エピローグ 医師の記録より

 ベイカー街221Bの朝は、いつも通り静かに始まった。

 雨はやみ、霧も晴れ、窓の外では新聞売りの少年が大声で号外を叫んでいる。


 ワトソンは机に向かい、一冊の革製の手帳を閉じた。

 それは医師としての記録であると同時に、一人の“命”を証明するための証言でもあった。


 彼の名はアダム。

 人造の肉体に宿った、理性と苦悩と選択の記録。


 ワトソンは小さく呟いた。


 「名を持った瞬間、人は人間になる……か」


 そのとき、後ろからホームズの声がした。


 「君が書き終えたのなら、新聞に目を通すといい。例の火葬場の件、やはり“自然発火”として処理されたようだ」


 「……アダムの痕跡は?」


 「一切なし。ただ、“焼け跡の中心に一輪の白い花が咲いていた”とだけ、記者は書いていたよ」


 ワトソンは目を伏せたまま、静かに笑った。


 「彼らしいな。派手な死は好まなかった」


 「……本当に死んだのか?」


 ホームズの問いに、ワトソンは首を横に振る。


 「分からない。だが、私には彼が“生きている”と、そう記録したい」



 それから数日後。

 ワトソンは郵便箱に入っていた小さな封筒を見つけた。

 差出人名はなく、ただ中には――一本の小さな金の鎖が入っていた。


 かつてワトソンが“もし名前を持てば、それにふさわしい証を”と、言ったことがあった。


 「……ありがとう。アダム」


 彼の声は風に消え、鎖は懐の中で静かに光った。

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シャーロック・ホームズの怪異録 II:ワトソン博士とフランケンシュタインの子 S.HAYA @spawnhaya

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