金メダルをくれた人

 またやってしまった。
 まただ。

 シンプルに「好き」なことを書けば良かったのか、みんなのように。
 そうだったのか。

 公式自主企画「この夏、あなただけの“好き”を届けよう」エッセイを書き上げた後、他の人の応募作品を眺めていたわたしは、いつものごとく落ち込んでいた。

 ……まあいいや。
 変化球を投げようとしていないのに変化球、しかもデッドボールになるのは、いつものことだ。
【素直な優等生さんいらっしゃい】
 所詮はそんな企画だったのだ、これも。

 ちぇっ。

 涙を拭ったところで、こちらの作品を読んでいった。
 名まえが眩しい。
 ゴオルド。
「ゴルゴ13」に出てきそうなギャランドゥ味がある。


 学生時代、作者ゴオルドさんは病んでいた。そんなゴオルドさんの独房に、小ねずみのように出入りして生きる希望を与えてくれたのは、伊集院光の深夜ラジオだったそうだ。
 月曜深夜。
 週のはじめからいきなり暴言を吐いたり卑屈になっては自虐ネタを飛ばすという、なかなかに飛ばした番組である。
 わたしならびっくりする。
 月曜日ですよ先生。

 現在ではいつでも好きな時間に再生できるラジオ番組だが、昔は一期一会、リアルタイムで聴くものだった。
 布団をかぶって一言もきき漏らすまいと、耳をすます孤独な重い夜。
 この同じ深夜に、確かに誰かが向こうにいるのだという安心感を電波の中に探していた長い夜。

 或る日、ゴオルドさんはネタを書いた葉書を伊集院光のラジオ番組あてに送る。
 黒画用紙に白チョークで線を引くようにして、それからのゴオルドさんを支えることになる一筋の自信は、その夜、闇の中から作者の心にきらきらと降りてきた。

 意外なことだが、わたしたちは、正しいものや正論によって救われることはあまりない。
 正義や正論など、陶酔してうっとりと唱えている者の自己満足にはなるだろうが、これみよがしに「だから従え!」と壇上から突き出されたとて、鼻につくばかりで蟲けらの我々にとってはなんの腹の足しにもならないのだ。

 間違えたもの、歪んだもの、劣ったもの。
 完璧ではない人間が、他者ではなく自らのうちにそのイビツな凹凸を見出し、
「ああこんな蟲けらのようなわたし。なんてね☆ミ」
 そんな滑稽と悲惨に開き直ってみせる時、わたしたちは最低最悪の絶望のどぶ沼から、浮草のようにわずかに軽くなって浮き上がる。
 そうだよね。そうだよ。
 どう足掻いたって、わたしたちは息を吸って吐いているだけ。

「白状すると、実はわたし、死んだら骨になる者です」

 地を這う蟲けらの命の卑屈さを諧謔にのせて軽々と、どこまでも蟲けら代表として吹き飛ばしていた、伊集院光の深夜ラジオ。
 作者ゴオルドさんは、偶然にもその憧れの伊集院光と居住地が近いことを知るのだが、ファンであるという錦の御旗を立てながらズカズカと浸食して拡散しようとする自己顕示欲を、そうとうな努力の上に封印する。
 それは、好きな人に迷惑をかけてはいけない、推しに面倒をかけてはいけない、尊い推しに、蟲けらのわたしごときがこれ以上、近づいてはいけない。そんな、いちリスナーの健気さの勝利である。
 そんなぎりぎりの駆け引きのさまも、実に好ましい。

「この人のネタは、馬鹿と賢いの両方がある」

 ダサい玉県の強豪を押し退けて、番組に送ったゴオルドさんの葉書は伊集院光に採用される。
 その時に伊集院光からもらった称賛コメント。
 それは色あせることなく、勲章となって、ゴオルドさんの胸に今もかがやいている。

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