正直という檻
ツナギ(綴)
正直という檻
私の職場には、正直すぎる18歳の少女がいる。
ここでは仮に相手をAさんとしよう。
私の職場には複雑な事情を抱えた人が多くやってくる。
そういう社会的に行き場のない人を雇う場所だから、としか言えないな。
それが私の仕事だ。
Aさんは生活保護申請をしようとしているらしく私の元へと相談というか報告に来た。
その為に、まずは専門の人に明後日相談兼、話を聞きに行くらしい。
「そうなんですね、話は分かりました。」
「……」
「……最近体調が優れていなかったのはこれの所為ですか?」
「……はい」
「昨日は無断欠勤でしたね?」
「すみません。一応連絡が難しそうだったので、寮の人に連絡してもらえるように連絡したのですが……」
「その連絡は頂きましたよ」
「……?」
Aさんは訳が分からなそうに首を傾げている。
「あなたからの連絡がありませんでしたので、……どうしてですか?」
私がそう言うとAさんは言いにくそうに、でもすぐに口を開いた。
「起きれなくて、……すみません。何度か起きた瞬間はあったのですが、意識が曖昧で、連絡できる状態では……それに、今更の連絡は迷惑かとも思ったので……」
この子にはこの子の何かがあるのだろうが、ここは職場だ。
ちゃんとして貰わねば困る。
何より、この子のためにならない。
「はっきり言いますね、連絡がないほうが迷惑です」
「……???」
そういうと彼女は困惑した表情をした。
彼女にはまだよく分からないのだろう、この報告の本当の意味が。
「あなたははっきり言わないと分からないようなのではっきり言わせていただきますが、迷惑です。」
「私は怒っているわけではありません」
「確かに報告がなかったことに関してはよくありませんが、私が言いたいのはつまり」
「あなたが連絡をくれなければ、私はあなたに何をすることもできない。ということです」
「連絡がなければ、状況に応じて対処することも、手助けすることも、できません」
「あなたが行動しなければ、私は何もできないんですよ?」
全てを聞くと彼女は驚いた表情をした、途中まで頷いていたから報告の大切さを分かってはいるのだろうが、
助けるという言葉からどこか引っかかった反応を示していた。
「昨日、私の方からの連絡をしましたよね?」
「はい」
「昨日は何時に起きたんですか?」
「最終的には五時くらいに目覚めました、途中で何度か起きはしたのですが、気絶した……というか」
「こういう精神が不安定になったり、過去のフラッシュバックが起きた次の日はどうしても起きれなくなるんです。
本当に……申し訳ありません」
「話は分かりました」
「ではまず、前提の確認をしましょう。あなたは本来何をするべきだったと思いますか?」
「え、っと。起きて、ちゃんと会社に連絡することです」
「よかったです。そこはちゃんとわかっていたんですね」
「ではあなたに足りないのはなんだと思いますか?」
「……?ちゃんと起きること?」
悩み困惑しながらも彼女はそう答えた。
「そうです。あなたにあと足りないのは行動です」
「はい」
「私が連絡がなかった時、なんて思ったと思いますか?」
「……?????」
「残念だって思ったんです」
「……」
「私は職場の皆さんを信頼しています。ですが、連絡が来なかった。残念です」
「はい」
「ですので、今すぐにとは言いません。頑張ってくださいね」
「分かりました」
「では、あなたの不調の原因である生活保護申請ですが、具体的に何が気になっているんですか?」
「担当者さんとの意思疎通がうまくとれていない気がするんです」
「助けて欲しい訳ではない場面で「つまり、できれば助けてほしいってことだよね?」と聞かれたりするので。
意味としては間違ってはいないのですが、本質的な意図がこの言葉では伝わらないんですよ」
「これはいわゆる伝言ゲームと同じだと思います」
「私の伝えたい意志を担当者さんはオブラートに包みすぎる、そのせいで私の率直な意見が無視されているんです」
「私は、
そもそも私の生活が苦しい原因はあの人達なのに、なんで私が助けて、って言わなければならないんですか??」
「私が言いたいのは、そういうことではなく」
「貰えるものは貰いますが、渡す気がないなら要りません。支援するかしないかの意思を明確にしてください」
「たったこれだけの要求を、担当者さんはきれいすぎる言葉に変換します」
「
「美談は魅力的でしょう、分かりますよ、その気持ちは」
「ですが、美しい言葉は罪人の罪の意識を殺します」
「その人が何をしたかという現実的事実をまるでなかったかのように錯覚させます」
「私はそれが嫌でしょうがない」
「自分の意思が無視された挙句に、
私には耐えられないし、……赦せない」
「私は
「怒っていますか?」
彼女の普段の話し方とは全然違う。
家族の話、いや、親の話からだろうか?
その話を始めてから、Aさんの顔も声も話し方も普段と全く違う。
言葉で表すことはできないが、とても怒っているような、憎んでいるようなよく分からない感じがした。
「え?あっ、いえ。怒っているつもりはないのですが」
「よく言われるんです、親の話をするときはなんだか怒ってるみたいだって」
「自分ではそんなつもりないんですけど……」
「いえ、怒っている感じというか……何とも言えないですが、本当にいつもとは全く違うので」
「自分でもよくわかりませんが、怒ってはいないので大丈夫ですよ」
「私はただきれいな言葉で意志を捻じ曲げられることが不安でたまらないんです」
「だから、あの人が担当者であることが不安なんです。私がどれだけ率直にものを言おうと、説明しようと、あの人の耳には届きませんから」
「担当者さんのきれいな言葉はあの人の思い込みやすい性質を加速させて、また
「私は担当者さんにはただ、支援する気があるか、ないか、を明確にしてもらえればそれでいいんです」
「ただ、支援する場合は接触禁止のもとで通帳にお金のみを入れてくれればいい、本来はそれが理想です」
「形に残さないと
「つまり、Aさんはそういう“形”ある制約が欲しいんですね」
「そうです」
「邪魔をされる可能性があるので、支援すると言うならばもういっその事払ってもらう形を……」
「それは感情論ではないですか?」
「…………感情、論……?」
「私は今事実ベースに話しています」
「…………そんなつもりは……」(ぼそっ)
「あなたは、確実に守られる約束が欲しい」
「ですが、矛盾しているとは思いませんか?」
「家族との縁を切りたいと以前言っていましたよね?」
「家族からの支援を受けることとは矛盾していませんか?」
「……そうですね」
「私にとっては、貰えるものは貰いたいんです」
「それが嫌いな相手であれば尚のこと……」
「それに、生活保護を申請しないに越したことはないではありませんか?」
「だから、接触無しでお金を振り込んでもらうというのはあくまで私個人の理想の話です」
「現実問題、そうすることは難しい、あくまで理想の話なんですよ」
「生活保護の申請が通るのかだって怪しいですから」
「そうですね。はっきり言えば難しいです」
「はい。私の考えは甘いと思います」
「ですが、金銭的に苦しい生活と、命」
「上司さんはどちらを取りますか?」
「分かりません。そんな状況になったことなどありませんので」
「確かに。学校にも家にも、どこに行っても自分の居場所がないなんて……」
「……なかなかありませんよね笑」
「……無いに越したことはありません」
「Aさんは、何もしなかったのですか?」
「もちろん、先生に助けを求めたことは何度もありましたよ」
「ですが、反抗期だから、親のほうが辛いから、って我慢を強いられました」
「Aさんはその時、何と言われたら納得できましたか?」
「なっ……とく?」
「なんと返答されたら、話を聞いてもらえていると感じましたか?」
「………………」
「……分からない、ですかね」
「?」
「あっ、分からないなら分からないって言ってくれた方が、いいです」
「その方が、話を聞いてくれてるなって感じがします」
「変に共感したり、分かった風を装われることのほうが私にとっては不快でした」
「…………」
これは、……何とも言えない感覚になる。
この子は、どうしてこんなに真っ直ぐなんだろうか。
「……そうですね、私には分かりません」
「分からないものは分かりませんから」
「……そうですね」
Aさんは、無表情の顔でずっと苦しそうに話していたが、
私がそう言うと、少しだけ安心したような顔をした。
私には何も分からない。
彼女の苦しみも、辛さも、孤独も、絶望も、何もかも。
だからせめて、本音で話そうと思う。
仕事の話をしていて思う。
彼女は本当に純粋な子だ。
社会で生きていく中で誰もが忘れていくことだ……。
彼女の仕事の納品数が減った時何か問題があったのかを
「最近、少しだけ拘るようになっちゃったんですよね笑」
「もし、『自分がこの記事を読むならどうした方が読みやすいかな』って思っちゃって笑」
Aさんはどこか気まずそうにそう話してくれた。
この会社にはもう、AIを使って書く記事にそんなことを思う人間なんて居なくなってた。
所詮機械、マニュアル通りの確認だけをする、そういう風になっていたから。
だから、相手の立場になって考える、たったそれだけのことに。
部下も私も言葉を失っていた。
もうそんなこと、随分考えていなかったから。
私たちは彼女の当たりの発言に呆気に取られてしまったんだ。
「これが本質なのかもしれないな」そう部下が呟いた。
内心で私も同意した。
その通りだ、と。
Aさんの当たり前は、私たちがいつもどうしても忘れてしまう視点だ。
でも、それがAさんにとってはいつものことであることは、普段の行動から滲み出ている。
相手がどうやって受け取るだろうかと返信に迷い、
立場や関係性を意識しすぎるがあまり作業効率が下がっていることも。
そんなことは気にせず、仕事を効率化するために動いていい。
間違いを指摘するのは悪いことではない。
そういったら作業効率はずいぶん上がった。
本当に素直だ。
そんな彼女に、こんな表情をさせる親は、いったい。
Aさんに何をしたというのだろうか。
明るいのに明るくなく、暗いのに暗くない。
だけど、底は見えない。
私には、彼女が不気味に見える。
確かに。
Aさんが親について話すのは今回が初めてではない。
その度に感情論と論理話が混濁しているが、いつも大本の筋は通っているようには感じる。
考えが甘いのは咎めないが、 金銭の問題は正直難しいところではある。
だが、話の中で親への恨み辛みを少し口にしている。
まぁ、本人は話し合いに必要だと思って話しているんだろうな、経緯の説明として。
だが、私はそこに興味は無い、そこには感情が乗っているから。
詳細な説明としては少々荒い。
冷静であると主張したいAさんにとっては、それは弱点となり、論理的会話の中で大きな隙になるだろう。
これはに関しては私のただの憶測だが、
親と話す際も、同じことをしているのだとするならば、親にそれを利用されていてもおかしくはない。と思っている
淡々とものを言えるようになれば、今よりは説得力が増すことだろう。
Aさんはまだ若い。
だからこそ感情に流されていることに気づけない。
だが、Aさんはずっと事実のみを求めて考えすぎてしまう。
昨日の欠勤もそれが悪い方向に働いた結果だ。
「Aさんは思考しすぎて思考に縛られています」
「だから」
「Aさんはもう少しだけ、Aさんを解放できるようになればいいかと思いますよ」
彼女は素直で純粋で加えて正直すぎる。
まぁ、信頼出来る人間ではあるけれど、今のままでは、少々正直すぎる。
無理をしているのかは分からないが、Aさんは、何でもかんでも正直に答える。
別に隠してもいいと言うのに。
まぁ、私はそれを怒らない。
むしろ正直なのはいいことだし、報告してくれるのは好ましく思う。
だが、それは私だから通用するということとも言える。
このまま行けば世間では生きていけない。
それはAさんも分かってはいるんだろうが、これに関しては私もなんとも言えないな。
まぁ、Aさんがそういう姿勢を示すのは仕事だけかもしれない。
私も、全てを知っているわけではないからな。
だが、仕事だからこそ、相手が理解しやすい言葉に変換する必要もある、あえて黙るという選択も。
だが、Aさんはそうしない、……何故だろうな。
……改めて考えてみれば、この年まで過酷な環境で生きてきているのに、気づかないことなどあるだろうか?
それに、彼女の分からないことは分からないと言ってほしいという言葉。
裏を返せば、そう言われたことなどないということだ。
その発言は、自分が誠意をもって相手に接することを前提にした発言だ。
つまり、彼女は対話に真意を交わすことを求めている。
そんな彼女が、こんな単純なことに気づかないなんてありえない。
真実を求めて思考を続け、それが時に毒になっている彼女ならもう分かっているはずだ。
……じゃあ。
何がAさんをそこまで真っ直ぐにさせるんだ。
怖いくらい……不気味な真っ直ぐさだな。
Aさんは、恐ろしく強いのかもしれないな。
大抵の人間が自分であることを捨てるというのに。
それは世の中の難しいところだが、この成熟した未熟さは、ある種の事実を追求する証のようだに見えてくる。
過酷な幼少期の中で、働く歳になってまでその心を持っているなんて、それは大抵の人が出来なかった自我の尊重だ。
いや、もしかしたら、 自我を尊重出来なかったものの末路の可能性もあるのだろうか。
なんせAさんの目には、ずっと諦めが宿っている。
潔いといえばそうだが、 それは危ういことだ。
これは、上司としての意見ではない、個人的感想だ。
Aさんは変だ。
本当の真実を求め、真実をある程度は理解しているように見えるというのに、純粋な思考を持ち。
相手の立場に立ってものを考えるなんて。
過酷な環境なら、そんなことを忘れていてもおかしくないというのに。
Aさん、彼女は。
『異常だ』
「そうですね笑」
何も言っていない私に……
彼女は、そう……答えた。
正直という檻 ツナギ(綴) @Tunagi_gennrei
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