青い星

 1660年8月。

 ベラスケスは61歳で亡くなった。


 同年4月、フェリペ4世の依頼で、スペイン王女マリア・テレサとフラン国王ルイ14世の婚儀のために、ベラスケスは奮闘した。あちこち飛び回り、疲労困憊だったのに、世話になったフェリペ4世のたっての願いを無下むげに断ることが出来なかったのだろう。無理がたたったのだ。


 …義理堅いというか、人がいいというか。まったく。


 セビは、惜しい才能と、惜しい友人を亡くし、人目をはばからず、大声で泣いた。大の大人(小人だが)が恥ずかしいという感情を忘れて泣いた。

 そして、そんなセビの横で、あるじのフェリペ4世も子供のように顔をくしゃくしゃにして泣いていた。


 四日後。ベラスケスの娘たちがセビの家を訪ねてきた。


「父がもし生き返らなかったら、四日目に友人のセバスティアンさんに渡して欲しいって書き残していたの」


 長女のフランシスカがセビ宛ての手紙を、次女のイグナシアが布に包まれた四角い箱を差し出す。


「俺に?」


「えぇ」


「何だろう?」


「さぁ…?」


 二人は「父がお世話になりました」と、丁寧に頭を下げ、帰っていった。

 一人になったセビは、まず、手紙を読むことにした。もう言葉を交わすことが出来なくなってしまった大切な友人の想いを少しでも感じたかったからだ。



 ―――――親愛なる友、セバスティアン・デ・モーラへ


 君がこれを読んでいるということは、

 私が再び復活することは

 なかったんだろうね。

 そうだったなら、非常に残念。

 なかなか、言う機会がなかったけれど、

 私にとって、

 君は聖セバスティアヌスだったんだ。


(へ!?)


 私の家族は黒死病で死んだ。

 その時、私にも熱が出ていた。

 高い熱だった。

 でも、夢に君によく似た聖人が出てきて、

 私に卵を一つくれた。割れていない卵だ。

 そして、【タダで死んではならぬ】と、

 言った。

 たぶん、奇跡ミラクルが起こったのだと思う。

 翌日には熱が下がって、私は復活した。

 聖セバスティアヌスは

 黒死病ペストの守護聖人だから、

 私のことを救ってくれたのだろう。

 ここで礼を言わせて欲しい。ありがとう。


(えっ?)


 ところで、君にお願いしたいことがある。

 他でもない、私たちの王様のことだ。

 ハプスブルク家の貴族連中なんて、

 いけ好かない嫌な奴だと思っていたけど、

 彼は違う。

 芸術を愛し、才能を愛し、

 家族を、友人を愛する。

 大切な子供たちを何人も亡くし、

 その度に自分を責める姿を私は見てきた。

 高貴なハプスブルクの血を嫌がっていた。

【私のせいで子供たちが…】と嘆く姿は

 父親以外の何者でもない。貴賤なんてない。

 彼は王の重圧に耐えながら、才能ある者を、

 私たちを応援してくれた。

 これからも彼を支えてやって欲しい。

 どうか頼む。


 最後にもう一つ、君にお礼を言いたい。

 私の工房の二枚の絵について、

 聞かないでいてくれて、ありがとう。

 あの絵は黒死病で死んだ家族への鎮魂と、

 私だけが生き残ってしまった悔恨を込めて

 描いたものなんだ。

 あのグラスは私たちの間で、

 黒死病を防ぐと伝えられている。

 いちじくも毒の予防に効くらしいよ。

 聖セバスティアヌスの君には

 必要ないかもしれないが、

 私の宝物を君に贈りたい。


 君には本当の私を知っていて欲しかった。

 こんな形でしか伝えられなくて、すまない。

 それでも、私たちの友情は

 宗教の壁をも超えられると信じている。


 君の友人、ディエゴ・ベラスケス―――――



 ベラスケスがセビに渡して欲しいと託した箱の中には、【セビーリャの水売り】の絵に描かれていたあの美しいグラスが入っていた。

 そして、そのグラスの底には、正三角形を二つ重ねた六芒星ヘキサグラムが彫り込まれていた。



 ―――――ダビデの星ユダヤの印



【画家の中の画家】と呼ばれたセビの友人は、最後まで、友人を思い、大切な人のために生きた…そんな人物であった。

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ベラスケスの青い星 瑞崎はる @zuizui5963

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