第16話
二人で暫く座っていたけれど、私のお腹がくぅっと、小さく鳴ったのを聞いていたレアンが、メイドを呼びに行った。
お腹の音を聞かれて恥ずかしかったけれど、私が食べることが好きだって知っていたみたいで、笑ったりしなかった。
逆に、今日もいっぱい食べて大きくなれと言われたので私は小動物じゃない、とツッコミたくなったけれど、あまりにも真剣な顔で言うものだから何も言えずに頷くことしか出来なかった。
すると、扉がコンコンとノックされてリメアが入ってきた。
「ルチェット様!昨晩は大丈夫でしたか?」
「レアンのおかげで大丈夫だった。」
「それはよかったです!さ、着替えて食事にしましょう!」
私はリメアの持ってきた洗面器で顔を洗う。
そして、手伝ってもらいながらドレスを着た。
私は昨日の幸福感からエレンの事が少し怖くなくなった。
だから、今日は大丈夫。
逃げないでちゃんと向き合いたい。
食堂に着くとすでにレアンとエレンがいて、エレンは楽しそうにレアンと話をしていた。
「あ、お姉様。おはよう〜!」
「おはよう…。」
全員揃ったので挨拶をして食事に入る。
エレンは相変わらずレアンに媚びるように話しかけていて、レアンも嫌そうにはしていなかった。
エレンが私の妹だからだろう。
アルベレア家ではお父様が評判を変えていたりする。
きっとアルベレア家を調べたレアンは、エレンの事を、人懐っこくて姉想いの優しい女の子だと思っているだろう。
実際はその真逆で、面食いの残酷で非道な女の子なんだけど。
エレンの話に聞き耳を立てると自分の事ばかり話しているし、もしかしたら本気でレアンを狙っているのかもしれない。
私はレアンと今の関係のままでいたいから、エレンがレアンと恋人になったりしたら…やっぱり痛い。
心が痛い。
何より、こんな妹にレアンを取られたくない。
私は会話にほぼ無理やりの形で入る。
「今日の朝食、美味しいですね。」
「ん、そうだな。」
「…美味しいよね!あ〜あ、エレン毎日ここでご飯食べた〜い。」
エレンの言っている事の意味が伝わってくる。
ここで地位もあってかっこいいこの人と暮らしたい。
ということだと思う。
「そういえばレアン、この後少し空いてますか?」
会話に切り込んでもだめ…なら、作戦変更するしかない。
私はレアンに話しかける。
作戦はこう。
レアンと庭園を散歩する。
仲良くしているのを見せつけてレアンは渡さないとエレンに意図を伝えないと。
ちょっと怖いけど、レアンがいるから手出しはできないと思う。
「空いているが、どうかしたのか?」
「私と庭園を散歩しませんか…?」
「えー!エレンも行きたい!」
「なら、この後三人で行こうか。」
エレンは、この話に食いついてくると思った。
これで私がレアンに甘えたりすればいいんだよね。
甘えたり……甘える?
そ、そんなの出来るかな、私が甘えるの?
考えていたら急に恥ずかしくなってきた。
でも、これで夫婦として愛し合っている所を見せれば、エレンも引き下がるかもしれない。
レアン、ごめんなさい。
少し利用させていただきます。
________
食事が終わって少し経った。
今、私はレアンと一緒にエレンを迎えに行っている所で、正直緊張している。
私の人生で最も多くの傷を与えてきたエレンとの直接対決だもん、それはそれは緊張していますとも。
私達がエレンのいる客室まで着くと同時に、エレンが勢いよく扉を開いて出てきた。
「あ、迎えに来てくれてありがとうございます!行きましょ!」
私達は外に出て庭園を歩く。
花の香りが全身を包んでくれて、甘い雰囲気が作れると思い、レアンの手に私の手をそっと重ねた。
「っ…どうした?」
「繋ぎたくなったんです…だめ?」
「……構わない…」
レアンは顔を顰めてるけど、構わないと言ってくれた。
エレンの方を見ると、レアンに気づかれないように私の事を睨んでいた。
私は背筋がぞくぞくとしてたじろいだけれど、めげずに甘える素振りを見せつける事に集中する。
ベンチまで着くとエレンが座ろうと促してくる。
私達は手を繋いだまま座ったのだけど、私が繋いでる反対側のレアンの腕をエレンがぎゅっと抱きしめていた。
「公爵様。エレンー、公爵様のこと好きかも!」
エレンはそう言って頬と胸をレアンの腕に押し付けていた。
エレンはこのあざとい仕草や言動で幾多の男性を落としてきたんだろう。
だけど、レアンは動じずに恥じることもなくこう言った。
「生憎、俺にはルチェットがいる。そういうのは他の男性にしてくれ。」
レアンは途中でこちらを向いて、まるで愛しいものを見るような、そんな視線で私を見た。
今まで考えないようにしてたんだけど、レアンってもしかして私のこと…。
流石にないない。
絶対私の勘違い。
だって、最初会ったときに愛さないってあっちから言ってるもの。
金平糖やチョコレートみたいに甘い視線を受けて、私はレアンの肩に頭を乗せて恋人繋ぎという繋ぎ方に手を組み替えた。
リメアから教わったこの繋ぎ方、なんだかさっきよりがっちり掴まれてて恥ずかしいかも。
というか、無意識に頭を乗せてしまった!
でも、レアンを見ると嬉しそうにしていたのでまあ良し…で、いいのかな。
しかし、エレンは気に食わなかったのかさらにレアンへアタックをする。
「でも、お姉様は政略結婚で来たんでしょ?ならお飾りですよね?私でもいいじゃないですか!」
「…本気で言ってるのか?」
あ、怒ってる。
雰囲気で分かる、絶対に怒ってる。
レアンは私の手をぎゅっと握り直すと、握っている手を見つめながらぽつりぽつりと話し始めた。
「ルチェットは、最初は飾りの妻のつもりだった。だが、接していく内にだんだんと守りたいと思うようになった。」
私とエレンは話に割り込むこと無く、ただ語られる話に耳を傾けていた。
割り込める程の隙は存在していなかったのだ。
「ルチェットは誰にでも優しくて、謙虚で、だが時々暗い表情を見せる。俺は、ルチェットのことが……そう、好きなんだ。」
諭すようにそう言われたエレンは悔しそうにして俯いていたけれど、パッと笑顔になって顔を上げた。
「…そうなんだ、お姉様のこと本当に好きなんだ。」
「あぁ。」
「そっか、変なこと言ってごめんなさい!そろそろ戻りましょ!」
「そ、そうしましょうか。」
私は語られたレアンの私に対する思っていた事を聞いて混乱していた。
好き……好き…………好き!?
レアン、私の事好きって…!?
二人と別れて部屋に戻ってからようやく頭が追いついてきて、一気に顔が赤くなってリメアに心配された。
熱が落ち着いてきた所で、私はエレンについて対策を練ることにした。
もうびくびく震えてただけのあの頃とは違うんだから。
何としてでも帰ってもらわないといけない。
リメアは紅茶を持ってくると言って外に出て行ったので、私は一人で顎に手を当てながら考える。
すると、ガチャリと扉が開く音がしたので、リメアだと思い話しかける。
「あれ?リメア、随分と早く戻って……」
「お姉様、リメアってさっきのメイド?」
その声を聞いた私はバッと顔を上げて目を見開く。
リメアではなくエレンがそこにいた。
何故?
客室に泊まっているから、私の部屋は知らないはず。
冷や汗が止まらない、逃げたい。
「ねえお姉様、公爵様ちょーだい?私公爵様のこと気に入っちゃったの。」
でも、ここで逃げるわけにはいかない。
私はヒュッと締まる喉を開けて、何とか喋り始めた。
「嫌、貴女なんかにレアンは渡せない。」
「は?お姉様ごときが何言っちゃってんの?」
「私は、レアンが大切なの。私の幸せを邪魔しないでほしい。」
…エレン、さっきから私の目を見てない。
なら、どこを見てるの?
「…そのネックレス、公爵様から貰ったの?」
「っ…だったらなんなの。」
「ほしい…ほしい!!!私にちょうだい!!」
瞬間、私の視界はぐるりと回転して、エレンが大きく目に映る。
馬乗りにされたと気付いてからは遅くて、私は抵抗するも、首を引っ掻かれながらネックレスを取られてしまった。
「わぁ…綺麗………お姉様ずるい!!!」
思い出したくない記憶がフラッシュバックして動けなかった。
やられっぱなしにされていると、満足したのかエレンは立ち上がって私の上からどいた。
私はすぐに起き上がってエレンを睨もうとした。
しかし、次にきたのは頭への衝撃だった。
「あははっ!お姉様は傷が付いてた方が可愛いわ!」
エレンは私のことを花瓶で殴った。
花瓶は大きな音と共に割れて、破片がそこら中にぱらぱらと落ちた。
私はどろりとした感覚を額に感じて、手で確認すると、私の手には血が付着していた。
「あ〜あ、面白かった!これ、死ぬんじゃない?公爵様は私がもらうから!ばいば〜い!」
そう言って嵐のような妹は部屋から立ち去って行った。
ぼろぼろの私は一人取り残されながら、ネックレスを取られてしまった悲しさで涙を流した。
しかし、このままではいけないと思い、私の中の小さな勇気を振り絞って追いかける事にした。
火事場の馬鹿力とはこのことだろう。
部屋を出て廊下を走りエレンを探す。
しかし、どこにも見当たらなかった。
執務室以外は。
まさか、執務室へ行ってレアンにちょっかいかけてるの?
エレンならやりかねないと思った私は執務室へと急ぐ。
途中メイド達に何度も呼び止められたけれど、そんなの気にしていられなかった。
執務室は扉が少し開いていて、中を覗くとやはりエレンとレアンが何か話していた。
耳を澄ませると、私は目の前が真っ暗になるほどの衝撃を受けた。
「お姉様は私の奴隷なの!だから公爵様には私の方がいいわ!私がせっかくお仕置きして育ててきたのに、お姉様は生意気なのよ!」
私はこのエレンの言葉から、私の出生やアルベレア家での人生を暴露されたのだと知った。
駄目、だめ、見捨てられる。
私はそう思うと止まらなくなって、その場から逃げようとした。
しかし、走る足音で気付かれたのかレアンは私の名前を大きな声で呼んでいた。
私は無我夢中で走り続けて、街を抜けて、たどり着いたのは街の外れにある森だった。
私は暗くなってきた空も気にしないで森の中へと入る。
森は私を歓迎してくれているかのようにざわざわと揺れている。
私は大きな木の下に座って、焦点の合わない瞳でぼーっと地面を眺める。
私から話したかった。
トラウマだからこそ、私から全て話したかった。
もう泣く気力も無く、ただぼーっとするしか出来なかった。
暫く座っていたら、私の隣に一匹のウサギがやってきた。
ウサギは私なんかに寄り添ってくれるように伏せて隣で寝始めた。
レアンは私のことをよくウサギだと言う。レアンはきっとかっこいいし強いからオオカミなんだろう。
そんな事を何回考えたかな。
レアンは私なんかにも優しくて、彼の周りの人は驚いていて、それで彼は私のことを好きだと言ってくれた。
「ぁ……そっ…か…」
私、レアンの事が好きなんだ。だからこんなに苦しいんだ。
気づきたくなかった。
私が目指す幸せには愛はいらないと思っていた。
けれど、実際はレアンが好きで堪らないのではないか。
実に滑稽だ。
だんだん瞼が下がってきて、頭も回らなくなってきた。
きっと額の出血のせいだろう。でも、これだけは、言いたかった。
「レアン…私も好きだった…」
それを最後に私は目を閉じた。
頭の傷が、ぽうっと光っていたのを知らずに。
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