複眼の男

デッドコピーたこはち

複眼の男

 バー・コチニールにひとりの男が入ってきた。男は複眼だった。三百万個の超小型並列カメラが男の顔面の三分の一を覆っている。男はこの常軌を逸した人体改造によりほぼ360°の視界を得ていた。男の死角は自身の足の裏くらいである。

 男はそのトンボにも似た顔も複眼も微動だにさせず、店内を見回した。他の客からその様子は、異様な風貌の重身体改造者の男が、入店直後ふいに静止しただけのようにみえた。複眼の男の視線は他者に悟られない。しかし、その警戒のための振る舞いは理外の威圧感となって伝わり、他の客は好奇の視線をすぐさま引っ込めて、男を見ないようにした。

 男はさざなみが引くように視線が去っていくのを感じ取ると、バーカウンターまで歩みでた。そして、椅子に座り、口を開く。

「シュナップス」

 無口な店主がうなずく。

 すぐさま、無色透明な酒がショットグラスで差し出される。とろりと粘性の高い蒸留酒は、ハーブの芳香を立ち上らせながら、グラスの中でわずかに波打ち、水面にバーの赤い照明を反射させて、美しく輝いている。

 複眼の男がグラスを掴み、ぐいと飲み干そうとしたそのとき、二人の男がバーのドアを開いた。

 二人の男はサイバーサングラスを掛けたダークスーツ姿で、双子のようにそっくりだ。男たちは殺し屋だった。二人は複眼の男を視認すると、ジャケットの内側に隠し持っていたサブマシンガンを構えた。その様子を男の複眼は捉えている。

 男の人工神経系は昆虫をインスパイアした分散型で、身体の神経節ごとにある程度の独立した知性が備わっている。男の脳が反撃を命じると、神経節は中央集権的な神経系では不可能な速さで最適な姿勢を男の身体に取らせた。

 複眼の男は身体を捻りながら腰に提げたうすらデカいリボルバーを抜き、刺客の男たちの脳天に一発づつ弾丸をぶち込んだ。複眼の男の反撃を男たちが知覚するよりも早く、さらに二発の弾丸が男たちの胸を撃ち抜いた。

 一連の動作は、一般的な自動式拳銃が一発目の弾丸を発射し、遊底を後退させ切る前に行われた。それが、複眼の男が自身の操作で次弾を発射できるシングルアクションリボルバーを使っている最大の理由だった。

 入店したばかりの二人の男がもんどり打って倒れると、バーの中は騒然となった。驚愕の叫びや悲鳴が轟く中で、複眼の男はシュナップスを一息で飲み干した。グラスをカウンターに置くと、男は店主に言った。

「騒がしくしてすまん。片付けておいてくれ」

 多めのクレジットを男が支払うと、店主は静かにうなずいた。

「ありがとう」

 複眼の男は店から出て行った。

 店は男が去ってからも騒がしかった。しかし、店員が二つの死体を片付けて、その痕跡を綺麗さっぱり掃除してしまうと、徐々に静かになり、しばらくするといつも通りになった。

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複眼の男 デッドコピーたこはち @mizutako8

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