女神の花巫女の、契約から始まる幸せ結婚生活

愛崎アリサ

Chapter1 結婚して下さい

1-1 無職になりました

「契約を……更新しない?」


「そ。ごめんね、桐谷きりたにさん。うちの会社、過去最大の業績悪化なんだわ。今まで3年間、お疲れさんでした。というわけで、宜しくね」


 無表情な人事部長は形式的に頭を下げると、「さて、昼メシ昼メシ」と言って、そのまま会議室を出て行った。私は呆然とその場に取り残される。


 桐谷きりたに紗良さら、25歳、独身。無職になる日は、突然に。


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「……というわけで。私、4月から無職だよ、千紘ちひろ兄ちゃん」


『うお、マジか! やべえじゃん。どーすんの、紗良。どっか次のアテあんのか?』


 通話の相手は、いとこの桐谷きりたに千紘ちひろだ。彼は私の9つ年上のいとこで、34歳。幼い頃に両親を相次いで亡くした私は、父方の親族である彼の家に引き取られた。18歳で家を出るまで私を本当の娘のように育ててくれた叔父と叔母には、感謝しかない。そしてこの桐谷も、私にとっては、本当の兄のような存在。だから困った時には、私はつい桐谷に連絡をしてしまう。


 私はベッドに寝転がりながら、スマホに答える。


「そんなの無い。更新出来ると思ってた。ヤバいね。これから急いで就職活動しないと」


 一人暮らしの私にとって、仕事はまさに生命線。私がはあ、とため息をつくと、桐谷が電話口の向こうで大声を上げた。


『……いや、ちょっと待て!! ……紗良、俺、一つ、紹介してやれるかも!』


「えっ! 紹介!?」


『ああ……ちょっと待てよ。……うん、やっぱあった! 俺の同級生で、学生時代から長い付き合いのある男なんだが。化粧品会社を経営していてな。3月末で秘書が退職するから誰かいい人いたら紹介してくれ、って数日前にSNSでメッセージ来てたんだよ。どうよ、これ!』


「ちょっと待った!! 秘書? って、まさか、その人の? ……社長の?!」


『そりゃそーだろ』


「いや、待って! 私、社長秘書なんて、やったことない!!」


『平気だろ。そんなに大きな会社じゃないし。こないだ聞いた時は、社長秘書が未経験でも、社会人経験があればいい、って言ってたぞ』


 大雑把な性格の桐谷は、そう言って笑った。私は焦って問いかける。


「いや……ちょっと、未経験でもいいって……それ本当なの?! 私で大丈夫なの?!」


『大丈夫だって! とりあえず、話だけでも聞いてみようぜ。だってお前、このまま仕事決まんなかったら、春からどうすんだよ。貯金だって、紗良の年齢じゃ、そんなに無いだろ?』


「それはそう……すごくそう」


『ま、俺に任せとけって! とりあえず、お前の履歴書こっち送って。転送しとくから。あいつ、初対面の印象で断ることもあるみたいだから、あんま期待せずで。でもお前なら大丈夫だと、俺は思うぞ!』


「わ、分かった! 本当にありがとう、千紘兄ちゃん!」


 桐谷から先方との面会の連絡が来たのは、それから僅か数日後だった。


 翌月。面会の日は、薄曇りの肌寒い日だった。3月中旬の日曜日。私は桐谷に連れられて、喫茶店に来ていた。単なる付き添いの桐谷はスーツではなく、ボーダー模様のTシャツにベージュのパンツという恰好。私はさすがに、白いブラウスと紺色のスーツだ。ギリギリ結べるボブの髪も、ハーフアップにして整えてきたつもり。私はアイスティーを一口飲んで桐谷に囁いた。


「ちょっと緊張しちゃうよ。大丈夫かな、私」


 私の問いに、桐谷は真顔であっさり応える。


「緊張するほど大した奴じゃないから大丈夫だ。ちょっと毒舌なところがあるが、それがあいつの仕様だから、変なこと言われても気にすんなよ。あんまり酷かったら、兄ちゃんが怒ってやるから」


「う、うん……」


 桐谷から、事前にその人のプロフィールは送ってもらっていた。写真は非公開らしく、大雑把な経歴だけだけど。名前は弓月ゆづき伊織いおり、年齢は桐谷と同じ34歳、某化粧品会社の経営者。私は使ったことも無い、セレブに大人気の高級コスメティックだ。


「お待たせしました」


 ふいに後ろから聞こえて来た声に、私はびくりと肩を揺らす。桐谷が「お、来たか!」と笑顔で立ち上がった。優雅に登場したその人……弓月伊織は、少し会釈して向かいのシートに腰かけた。


「お二人とも、随分早い到着でしたね。僕の方が早く着いたと思ったのですが」


「思ったより、近かった。てか、お前、なんでここ指定したんだよ? お前の家、全然違う路線じゃねーか」


「この喫茶店のコーヒーが飲みたかったからですよ。ここで出している、パナマ産の豆を使ったコーヒーがお気に入りなんでね。いけませんか」


 桐谷は「別にいいけどさ」と言いながら、赤いビロードのシートにどさっと腰を下ろす。弓月は慣れた様子で店員に注文すると、「さて」とこちらに視線を向けた。私はドキッとして背筋を伸ばす。


 綺麗な人だ。背が高くすらりとした体格に、高そうなグレーのジャケットと光沢のある白いTシャツがとても似合っている。首にかかった羽根モチーフの細いネックレスは、プラチナだろうか。化粧品会社をやっているだけあって、肌もすべすべだ。優しげな目元は綺麗なアーモンド形で、これまた高価そうな、細い鼈甲フレームの眼鏡をかけている。優雅に微笑んでいる顔の造りも整っていて、所作にもどことなく色気がある。私は思わず、


(ヤバい、完全に場違いだ、私。この人、私と住む世界違いすぎる)


 と、早くもこの場から逃げ出したい気分になっていた。

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