応援コメント

第4話 広島に誰が行く?」への応援コメント

  • こんな活動をされていたのですか?若かったのに凄いですね(今でもお若いですが)。正直、二十歳で、これだけの活動をされていた若者がいて、世の中全体の事を考えもせず、ただ難しい微分方程式を解き、物理の理論の幾つかを極めようとしていただけの男もいたとは、恥ずかしいですね。

    実は、広島で生まれ育った私は、原爆の日に広島市へ足を踏み入れたことはありません。小中学生の頃は、8月6日は登校日で、8時15分から黙祷で始まり、半日ほど原爆について学ばされていました。高校生になってから、その日はどうしていたのかは覚えていませんが、左よりの先生達と市内へ行きイベントに参加していた同級生や先輩は知っていました。捻くれ者だった私は、彼とは、お互いに距離を置きあっていたと思います。息子は、米国人ですが、父に連れられて、平和記念式典へ参加した事もあります。

    私が育った町の町議会は、原子爆弾をはじめとする核兵器を禁止する条例を可決して、町の境界に大きな看板を立ていました。その一つが、私の通学路沿いにあり(我が家の田んぼに建ててありました)、これを見てなんの意味があるのか、自己満足に過ぎないではないか?と思いながら、通ってました。

    自分でも、なんで、あれだけ反核に無関心を装っていたのか不思議です。

    作者からの返信

    ふみや57博士🎓。

    博士🎓は広島でしたね。

    うーん、若気の至りと言いますか。
    なんか、正義ってモノに強く惹かれてたんだと思います。

    私達は夏休みですし、わざわざその日が出校日ではありませんでした。
    うちの父方は誰も戦争で亡くなって無いのでその事については無関心😐でした。

    友達と若い頃に何度か沖縄に行きましたけど、ひめゆりとかには絶対行きませんでした。
    皆んな、あの活動でそういうのは避けるようになってました。
    私は学校の洗脳のせいだ!と思ってもいます。


  • おしたしさんの言う通りですね。
    嫌なことをやることに何も意味を成さない。自主性があるからこその活動だと思われ、嫌々したことは身につかず、そのものが嫌な記憶となるので、むしろ活動自体が破綻していると言えます。
    それが対外的なものなのだとしたら、事業の一環として全員参加すべきでしょう。

    作者からの返信

    かごのぼっち師匠。

    私達の時に一年だった子らは二年になり
    全員で参加しました。
    たぶん、あの子らの方がやる気あったんでしょうね。
    全員参加するにはかなりの費用が必要だったのにどうしたんやろ?
    七不思議のひとつです。