本の知識と現実はかなり違っていた
菜の花のおしたし
第1話 個人から社会へ
高校生の頃から個人の事から社会へと私の興味は変化していった。
図書館の虫になって、図書館の司書さんから覚えられるくらい通った。
高校生を卒業して、自分の力で生きていく道を模索していた時に友達のお母さんからある病院を紹介された。
そこで働きながら准看護師の資格を取ろうと思ったのだ。
ところが看護部長との面接で、大阪にある准看護学校があり、全日制でおまけに二年この病院で働けば全ての費用は病院が負担してくれると言う話だった。
そんな美味しい話はない。私は受験し合格した。
その学校には学生自治会があり、この自治会の活動の日本柱、ひとつは平和活動だった。
あとひとつはうたごえ運動。ちなみに私は二年で自治会会長を務めた。
それまで机上の学問だったにすぎなかった平和問題が現実として私の前に現れた。
入学時はその活動に参加するかどうかは決められない。
しかし、二年になると、進級前の三月は殆ど、寮規則の見直しや平和活動とうたごえを取り組むかどうかで春休みは帰省すらできずに、徹夜で話あった。
自治会の物事の決定は多数決ではない。ひとりでも反対すれば決定できない。
だから、ひたすらに議論して中々決まらない。
私は敢えて、平和活動やうたごえ運動には反対した。
それは皆んなの中でなんとなくやるのが当たり前みたいになっていると感じていたからである。
なんとなく、しんどいと思いながらやるならやらんでもいいやん。そんな気持ちだった。
まあ、反対は私だけだったけど、頑固に反対したから。長引いた。
と言うのも、平和活動と言うのはしんどい取り組みなのである。一年の時に皆んなイヤイヤやってきた。
まだ10代の後半の私達にとって、戦争体験者の話は暗くてうんざりする、戦争についての学習会もなんでこんなんしなあかんの?とか言う声も多かった。
特に毎月の6日と9日は塚本駅の前での原水爆禁止の署名と募金活動は雨だろうと雪だろうと何があってもやらなければならない。
実習に入る二年にとっては、実習地からとにかく走って帰るのは大変なのだ。
実習地は堺や森ノ宮、西淀川を中心に大阪府に散らばっていたから実習地から6時までには帰るとなると電車の中でも走りたくなるくらい焦るのだ。
おまけに、絶対に毎回、いちゃもんつけてくるおっさんがいた。相手するのも怖いし嫌なのである。
その署名を国会へ持っていくのだ。全員でバスに乗り陳情である。相手にもしてくれない議員も多かった、いや、殆どは秘書が無造作に受け取るだけ。
「あれ、捨てるんとちゃうかー?」と皆んな言っていたっけ。
八月には原水協の大会へ代表を送り出すのだが、それのカンパ活動も大変だった。
実習の昼休みにあちこちの病棟を回ってカンパのお願いをする。
卒業生は沢山してくれた。婦長や看護部長は本当に沢山してくれた。
それと白いナース用のストッキングの販売もやった。それのマージンも大会への費用にするのだ。
実習となれば、記録や前学習をする事だけでも夜も寝られないのに。
それでもやるか、どうか?
ただこれまでの歴史的取り組みだからと決めていいのか?
私は皆んなに会えて問いかけたかったのだ。
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