第13話:再起のバズと『自分の絵』の発見
給料日前の極限状態と、作画監督からの理不尽な修正の嵐に晒された日々が続いていた。美咲の心身は擦り切れる寸前だったが、悠斗の一言と、心の奥底で燃え続ける「描きたい」という「価値観」が、美咲をかろうじて繋ぎとめていた。美咲は、会社の昼休み時間、疲れた目を休ませるため、何気なくスマホを手に取った。会社の食堂は、先輩たちの話し声やフォークの擦れる音でざわついていたが、美咲の耳には遠い世界のことのように聞こえる。美咲は、自分の席で黙々と安いおにぎりを食べながら、SNSのタイムラインをぼんやりとスクロールしていた。そこに流れてくるのは、華やかな日常を送る友人たちの投稿や、有名イラストレーターの最新作。それら全てが、美咲の置かれた現状との間に、大きな隔たりがあることを示しているかのようだった。
美咲が描くようなアニメ調の絵ではなく、もっと自由で、表現力豊かな、個性の光るイラストが目に留まった。画面いっぱいに広がる色彩、生き生きとしたキャラクターの表情。その絵を見た瞬間、美咲の胸に微かな「違和感」がよぎる。なぜ、自分はこんなにも自由に絵を描けていないのだろう。なぜ、いつも誰かの指示通りに描いているのだろう。美咲の内部では、自身の「表現欲求」と「現状の仕事」との間に、解決されない「矛盾」が再認識されたのだ。この「違和感」は、美咲の心の中で、ゆっくりと「感情の膨張」を引き起こしていった。美咲の瞳が、その一点を凝視する。まるで、自分の心の奥底にある、忘れかけていた何かを必死に探しているかのようだった。
美咲の指は、まるで何かに導かれるように、スマホのイラストアプリを立ち上げた。そこには、数週間前に美咲が息抜きで描いた、個人的なイラストが保存されていた。それは、アニメ制作の厳しい現場とは全く関係のない、美咲が純粋に「好き」を詰め込んだ一枚だった。自分の好きなキャラクターを、自分の好きな構図で、自分の好きな色で描いたもの。特に誰に見せる目的もなく、ただ自分の癒やしのために、心の赴くままに描いた絵だった。美咲は、そのイラストをスマホで撮影し、軽い気持ちでSNSにアップした。「どうせ誰も見てないだろう。自己満足で終わるだけ」と思いながらも、美咲の心には、かすかな期待が残っていた。それは、誰かに自分の絵を見てもらいたいという、ごく自然な、しかし諦めかけていた欲求だった。美咲の指先は、投稿ボタンを押す瞬間、微かに震えた。
翌朝、美咲は驚きで目を覚ました。アパートの部屋に差し込む朝日が、いつもより眩しく感じられた。アラームよりも早く、スマホの通知音が鳴り止まないのだ。ディスプレイを見ると、アップロードしたはずのイラストに、信じられないほどの「いいね」とコメント、そしてシェアの数が表示されている。数字はみるみるうちに増えていく。まるで、美咲の脳内サーバーに、想定外の大量アクセスがあったかのような「エラー表示」だった。そのイラストが、瞬く間に拡散され、いわゆる「バズる」という現象を起こしていたのだ。美咲は、その光景を呆然と見つめた。まさか、自分の絵が、これほど多くの人々の目に触れることになるなんて。信じられない、という感情が美咲の全身を駆け巡った。
コメント欄には、「この絵、すごく好きです!」「色使いが最高!」「あなたの絵を見ると元気が出ます!」「こんな絵が描ける人を探していました!」「個展とかやってください!」「このキャラクターへの愛を感じる!」といった、温かい言葉が山のように並んでいた。中には、海外からのメッセージも多数寄せられており、美咲の絵が国境を越えて人々に届いていることに、美咲は深く感動した。美咲の目からは、とめどなく熱い涙が溢れる。その涙は、これまでの苦しみや孤独が、この瞬間に全て報われたかのような、温かい涙だった。美咲の内部システムは、この「結果」を「最適解」として認識し、全身に幸福感というドーパミンを放出する。美咲の口元には、久しぶりに心からの笑顔が浮かんだ。それは、疲労困憊の美咲からは想像もできないほどの、純粋な輝きを放っていた。
アニメ会社では常に修正され、自分の個性が認められることは少なかった美咲にとって、「自分の絵」を求められることは、新鮮な驚きと、そして圧倒的な喜びだった。まるで、自分の存在が、この広い世界の中で初めて肯定されたかのような感覚だった。フォロワーからの温かいコメントが、美咲の失いかけていた「描く喜び」を、再び心の中に灯してくれる。それは、アニメーターの仕事では得られなかった、純粋な承認欲求を満たす瞬間だった。美咲は、自分の絵が持つ力、そして個性が認められることの重要性を知った。美咲の「価値観」である「感動を届ける」という目的が、アニメという枠を超え、より直接的な形で実現できる可能性が見えたのだ。目の前の白い紙に、もっと自由に、もっと自分の心を映し出した絵を描きたいという欲望が、美咲の心の中でふつふつと湧き上がる。
美咲の脳内では、この新たな道が、自身の才能を最大限に活かすための「最適化された知性」として認識され、未来への「思考」へと繋がっていく。美咲は、鉛筆を握る手に、再び確かな温もりと、そして強い意味を感じていた。それは、単なる稼ぎのためではない。「誰かの心を動かす」という、美咲の絵の真価を見出した瞬間だった。美咲の瞳には、新たな希望の光が、力強く宿っていた。美咲は、スマホの画面に映る自分のイラストを、もう一度、深く見つめ直した。その絵は、美咲自身の心を映す鏡のように、彼女の目の前で輝いていた。美咲は、その絵をプリントアウトし、部屋の壁に貼られたアニメポスターの間に、そっと加えた。新たな物語が、ここから始まる予感がした。
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