ちょっぴり未来が視える沙紀ちゃんと、ほんのり心が読める祐心君のラブコメ。

置田良

両片思い編

第1話 晴れ予報、傘、一人


 焼きたてのトーストを齧ると、サクッと小気味よい音がした。続けてパックで淹れた紅茶を一口。アールグレイの柑橘系の匂いがふっと鼻に抜けていく。おいしい。


 ――その瞬間、脳裏に駆け回った景色があった。


 昇降口、軒下。

 周囲の人は空を見上げている。

 私は悠々と、鞄から取り出した折り畳み傘を広げた。


 ……喉奥に残る紅茶の匂いが帰ってきて、元の時間――のんびり過ごしていた朝食時に戻ったとわかる。

 今視えたことは、たぶん今日起きることだ。

 そう長年の経験からわかってしまう。

 年季の入った折りたたみ式の携帯を開き天気予報を見ると、降水確率は十パーセント程度。だから皆は傘を持っていなかったのか。ともかく、今日は傘を持ち、自転車ではなく歩いて登校することにしよう。


「お母さーん、今日は折り畳み傘を持って行った方がいいかもー」


 伝えないのも寝覚めが悪く、洗面所で慌ただしく支度をしている母にも声をかけた。


「うっそー。さっき『今日は一日晴れ』ってテレビで見たよー?」


 どう説得したものかと考えると、玄関先でずぶ濡れの母にタオルを渡す光景も追加で視てしまった。どう転んでも持っていかないらしい……。


「あ、じゃあ勘違いかもー」

「ううん。一応持っていく、ありがとー」


 忘れてしまうのか、口だけなのか。持って行かないのもわかってしまったので曖昧に笑うことしかできない。


 そう。私は、昨日の夕飯のメニューを思い出すような気軽さで、未来を視てしまう。あんまり嬉しいことではないけれど……。


 ちょっと落ち込んだ気分を振り払い朝食の続きをと思った時、さらにもう一つ未来を視てしまう。それは、雨の中、昇降口から駆け出そうとするクラスメイトの男子の姿と、そんな彼に折り畳み傘を譲ってしまっている私の視界。彼の顔を直視できない私の言うことには「置き傘もあるから」と。

 置き傘用のそれは確かに存在しているが、残念ながら今の所在は家の玄関である。……置き傘も持っていくかぁ。


沙紀さーき、何をにやけてんの?」

「え……。お、美味しく焼けたから?」


 洗面所から戻ってきた母に笑われる。そっか、私にやけていたのか……。

 頬に手を当て、母に見られていることに気が付き手をおろす。その微笑ましいものを見るような顔はやめてほしい。


「……そんなに、にやけてた?」

「ううん。全然」


 存分に雨に濡れてしまえ。



   ◇



 俺が息を切らし遅刻すれすれで教室に飛び込むと、クラスの皆からの呆れた視線が俺の肌に刺さった。


「よ、祐心ゆうしん。まーたギリギリだな」


 廊下側の一番前の席に座る、友人の金田がからかってきた。感触的に、呆れが半分、面白がる気持ちが半分、といった具合。


「はぁ、はぁ……。おはよ。もっと余裕を持って来ようとは思っているんだけどさ」

「はいはい。一度でも早く来てから言えよ」

「早く来たことくらいあるわっ。たぶん。……ホントはこんなに注目浴びたくないんだよ、切実に」


 そこでチャイムが鳴り始めた。時間がないので挨拶もそこそこに教室奥後方、窓際から二席目の自席に向かう。チクリと頬が痛んだ。隣の席の氷澤ひざわ沙紀さんが無表情に、けれど何故か肌に圧がかかるほどの「心配」の感情を僕に向けていた。チクリとした原因はたぶん彼女だ。


「氷澤さん、おはよう」

「……おはよう。何か用?」 

「ええと、俺、どこか変かな?」

入倉いりくら君が遅刻ぎりぎりなんて普段通りでしょ」

「ははは、確かに。まあ、家が近いとつい気が緩んじゃって」

「そう」


 そっけない。席に座りながら頬を掻いていると、氷澤さんが「でも、雨が降ったなら傘をさすべきだと思う」と呟いた。「それはそうでしょ」と返すと、不思議な視線が向けられる。ええと……若干照れている? なぜ?

 その時やっと担任が教室に入ってきて、会話は途切れる。


 前の席の森田から、スマホにメッセージが飛んできた。


『あいかわらずの氷対応されてて草』

『盗み聞きすんなし』


 俺が返したメッセージに、親指を立てたサムズアップのリアクションが返される。話は終わりだな。チラリと氷澤さんの方を盗み見ると、空を眺めているようだった。


 氷澤さんは男子の間で、そしておそらく女子からも、感情に乏しい冷たい人だと思われている。

 ――そんなことないと、俺は知っているけれど。

 ――だからこそ俺は氷澤さんのことを好きになったのだけれど。


 このことについてだけは、俺の面倒くさい超能力チカラに感謝している。



   ◇



 あえて誤解を招く表現をするならば、俺は心が読めるらしい。嘘です。何となく相手がどのような感情を抱いているか分かるだけで、言語化された思考ほどの詳細な心はわからない。

 おまけに精度よくわかるのは、俺自身に対して向けられた視線に乗った感情だけ、というピーキーさだ。

 例えば友人同士が声を上げて口論をしているとして、感情の高まりはわかるにせよ、理知的に議論が白熱しているのか、頭に血が上って口喧嘩をしているのかの判断にもあまり役立たないポンコツ能力である。


 ここまで役立たずのくせにデメリットはちゃんとある。強い感情を向けられると肌に痛みを覚える。――特に悪感情に対しては、強い不快感を覚えてしまう。


 小学生のとき、図工の作品が何かのコンクールに出品されて入選したとかで、体育館での全校集会で壇上に上げられた。

 数百名の視線に晒された。無関心なものが大部分ではあったが、それでも気分を悪くするには十分なほどの負の感情も向けられた。

 早く集会が終わって欲しいという苛立ちの感情。

 こいつなんかがという怒り、あるいは嫉妬の感情。

 上級生からの容姿を値踏みするようなものもあった。


 耐えかねた俺は……その場で嘔吐した。


 更にはそれによって、より強い不快感を向けられ、最後には意識すらをも手放した。これがトラウマとなり、未だに人前に立つことは得意じゃない。

 今では大分耐性が出来たけれど、この能力を恨みこそすれ、感謝することなどあり得なかった。


 ――彼女に、出会うまでは。


「では次の問題を……入倉、解いてみろ」


 午後の数学の授業中、教師に当てられ現実に引き戻される。口頭で答える問題ではなく、黒板に途中式を含め書かせられる問題だった。とはいえ簡単そうな問題で助かった。


 クラスメイトの視線に耐えながら前に歩み、解答を黒板に筆記する。

 感触的に、集中して授業を受けている生徒は五割未満か。入学して半年ほど経過した時期なこともあり、皆気が緩んでいるのだろう。そうこうして当てられた問題は解き終えたので、そそくさと席に戻ろうとする。


「よし、正解だ。では次は、氷澤解けるか?」

「はい」


 瞬間、感じる視線が増えた。次いですぐに俺への視線がほぼ零になった。

 今席に戻ると前に出ている氷澤さんと道が重なってしまいそうだと気がつき、黒板の外側の端へと一歩身を引く。すると教室の様子が良くわかる。言うまでもなく、皆の視線は氷澤さんに注がれていた。


 気持ちはとても、とってもよくわかる。


 端的に言うと、氷澤さんは凄く綺麗だ。

 百六十センチを越えたほどの背丈と、スッと伸びた背筋。肩につく程度に伸びた絹のような黒髪、そして何より静やかに澄んだ目がとても印象的だ。

 視線が合ってしまう。見過ぎだったと慌てて逸らすが、何かを不思議がる感情、そして得心がいったという気持ちを投げられる。

 なんだろう? と視線を戻すと、既に近くに来ていた氷澤さんがほんの微かに口元を緩めて「通路、ありがとう」と呟いた。

 心臓が、跳ねる。


「……別に」


 ぶっきらぼうにこんな言葉しか返せない自分が情けなかった。



   ◇



 放課後。雨が降っていた。それは窓を越えて、かすかに音が聞こえて来るほどだ。

 俺は廊下で窓の前に立ちつくし、思いのほか強い雨が降る外の景色を眺めていた。


 家を出る前にスマホで確認した天気予報は終日晴れで、傘なんて持ってきていないし、生徒会が行っている、卒業生が忘れていった置き傘を利用した傘の貸し出しサービスも完売御礼らしい。――チッ、生徒会に入った小学校からの友人との、腹立たしいメッセージのやり取りを思い出してしまった。


『傘ある?』

『そうだねぇ……。傘という概念が存在しない異世界に転移してしまった自覚はないかなー』

『生徒会の貸し出し用の傘、まだあるか?』

『アッハッハ。たった今最後の傘がなくなったよ。具体的には異世界うんぬん書いてたころ!』

『そっか……お前のおかげでその人に傘が渡ったんだな。よかったよ』

『うんうん。僕えらい』

『皮肉で言ったんだよ!』


 ――という具合。

 そこから先は、何かメッセージは来ていたが未読スルーだ。まぁ、いきなり「傘ある?」は確かに言葉足らずであったと思うので、夜には既読をつけてやろうと思う。


 さて。どうしようか。

 時間潰しなら、図書室に行く手はある。実はこれでも、俺は図書委員だったりする。もちろん今日は非番だが。

 図書委員になった理由は、クラスの男子は誰もやろうとしなかったことがひとつ。そして、読書にせよ勉強にせよ、図書室では誰もが手元に集中していて誰も俺に視線は寄越さないし、加えて数少ない能力の利点が活かせる場面があるからだった。


 俺には、自分に視線が向けられた時以外にも思いがおおよそ解るときがある。それは、近くに心が強く強く揺さぶられている人がいるときだ。


 だから図書室で本を読みながらとても感動している人がいれば、俺には把握できてしまう。そして近くの書棚を整理するふりをしてその本をこっそり確認し、後で自分でも読んでいる。こうして知れた本がいくつかある。

 プライバシーを少々侵害してしまっている気もするが、(ある一名は除き)そう滅多に起こることではないし、この能力のデメリットには釣り合わないし、それに誰に懺悔できるものでもないと割り切ることにしている。

 ……が、委員会の仕事中は、これは不可抗力だからと言い訳できるが、今行くと心を盗み見る為だけに行くことになるな。やっぱり図書室も止めておこうか。


 仕方がない。一度雨脚の強さをちゃんと確かめようと昇降口に向かうことにした。


 昇降口横の階段を降りていく。一階に到着した途端、視線を感じた。あれ? 氷澤さんだ。なんだか怒っているし、それに少し……緊張している??

 靴を取り出すときもチラチラ見られていることを肌で感じたので、軒下に一人立っている氷澤さんに話しかけてみる。


「氷澤さんも傘忘れたの?」

「……傘ならあるけど」

「そっかよかった。なら誰か待ってるの?」

「まあ、そんなところ」


 話しかけた途端に目を逸らされるようになってしまった。こうなると氷澤さんがどんな気持ちなのか、あまりわからない。

 改めて外に目を向けると、サアサアと歌うように雨粒が降り注いでいる。さすがに傘を差さなくても大丈夫とは言えない。


「えっと、俺も今手持ち無沙汰でさ。よかったら、一緒に時間潰してもいいかな?」

「えっ!? え、ええと……」


 先に言った通り、視線が向けられてなくても、強い感情はわかってしまう。そして氷澤さんは今、めちゃくちゃはちゃめちゃに、困惑してしまっていた……!


「ご、ごめん! 急に迷惑だったよね! 俺家近いからやっぱ帰るわ!」


 幸い(?)教科書等は全部置き勉で学校にあるので、濡らしてしまう心配はない。


「待って……!」


 まさに駆け出そうとしたとき、氷澤さんとしては大きめの声で伝えられたその言葉と、肌に刺さった「待ちやがれこのヤロウ」とでも表現すべき視線に呼び止められた。

 振り返ると「これ使って」と、水色の折りたたみ傘を差し出される。


「いや、受け取れないよ」

「私はこれの他に置き傘もあるから大丈夫。遠慮しないで」

「でも、もしかしたら氷澤さんが今待っている人も傘忘れているかもしれないし……」

「それも大丈夫! ほら、風邪でもひかれた方が私の気が滅入るから」


 グイグイと押しつけられる。勢いに負けて、つい受け取ってしまった。


「あ、ありがとう」

「わかればいいのよ」


 鼻からフンと息を吐き、用は済んだとばかりに踵を返す氷澤さんに「今度お礼するから」と言うと、振り向きながら「そんなの気にしな――」まで言いかけて固まった。


「氷澤さん……?」

「あ。えっと……。そ、それじゃあ……同じようなことがあったとき、傘貸してくれる?」

「それはもちろんだけど――」


 そんなことじゃお礼にならないと告げるが、首を横に振られる。


「わかればいいの! し、強いて言えばなるべく大きい傘だとなお良し! 以上! また明日ねっ」


 そう言うと、氷澤さんは置き傘を取るでもなく、靴を脱ぎ捨て校舎の中に入って行ってしまった。あ、上履きを取りに戻ってきた。靴も直している。徹底して俺を無視しているが、能力がなくても耳が赤くなっていることがわかる。そして、何も言わずまた校舎に入って行った。


 しびれを切らして待ち人を迎えに行っているのだろうか?


「……帰るか」


 傘を開き外に出ると、雨が傘を叩いた。

 その楽し気なリズムを聞きながら、俺は一人、帰路につくのであった。

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