序章2

 そして私はもうひとつ、とても興味深いことを耳にした。それは鉄の札を介して、思い人に文を送りあうことが日常化しているということだ。遠くにいながらも恋心を伝えたいという気持ちは、いつの世も同じのようであるな。また羨ましいことに、愛しき人に心を寄せ思いの丈を綴った恋文が、瞬時にして相手の所有する鉄の札に届けられるそうではないか。いかなるからくりなのか全く想像できないが、手紙が思い人のもとに無事にたどり着くかすら不確実な時代を生きる私にとって、諸君たちの恋愛というものはとても容易いことのように思えて仕方がない。


 だが、現実はそうとは言い難いようである。諸君の多くが、一瞬で文が届くことがかえって恋煩いを増幅させるという皮肉を味わっているというではないか。自らの意思が瞬時に伝わるゆえに、相手からの意思も瞬時に受け取りたいとの心理に苛まれるそうな。諸君の時代の恋人たちは、「待つ」ことが苦痛となっているようだ。


 我々の世では個人に差はあれど、一日二日は言うに及ばず、ひと月でも半年でも一年でも思い人からの便りを待ち続けられる人がいる。ところが諸君の世では、一日どころか半刻(一時間)すら待てず心を苦しむ者が後を絶たないという。待てぬゆえに、相手が返信を送る前に怒りの文を畳み込んで自滅する者すらいるのだとか。哀れな限りである。


 また、鉄の札の驚異の技として、相手が文を一読したかどうかを、「既読」と称して知らせてくれるそうではないか。なんたる便利さよ。それゆえに、真心こめて書き上げた恋文が無情にも相手の目に届かず放置されるか、もしくは破棄されるという厳しい現実を突き付けられることになる。なんとも残酷な副産物を生んだものである。道具の進歩は、必ずしも人の心を満たすばかりではなく、何気に心に傷をつけてしまうこともあるようだ。


 そして、恋のすれ違いは時を越えた普遍の現象らしい。


 いくら手紙に気持ちを託しても、切なる思いが相手にそのまま受け入れられるとは限らない。むしろ文面の意味を誤って理解されることもある。さらには恋心が完全に空回りし、その内容を嘲笑されてしまうこともある。または、重すぎる恋心が逆に相手に怒りや嫌悪感を沸き立たせ、やんごとなき事態を招いてしまうこともある。愛しさ余って憎さ百倍、力をふるって相手に害を与える不埒者が現れることもある。私が伝え聞く限り、諸君の世で展開される恋のもどかしさは、我々の時代と何ら変わりはない。




 そんな、未来に生きる諸君らのいとしくも儚い恋模様に思いを致すとき、過ぎ去りし遠い昔のあの頃を回想せざるにはいられない。私にも諸君のように、恋という形なきものに夢中になった青春の日々があった。俗世を離れ還暦まで年を重ねたひとりの坊主にも、ある人を思い焦がれ、その小さくて純朴な心を両腕に抱いて我がものにしたいと夢想した時代がたしかにあった。


 あの忘れじのひと時は、すぐに瞼に浮かび、鮮明な映像としてよみがえってくる。


 これからしばらく、その映像を眺めてみようと思う。令和の世の諸君も、私、卜部兼好の若かりし日の恋を、私とともに見届けてみてはいかがだろうか。しがない一人の老人の単なる思い出話と片付けようが、諸君の時代にも通じる恋愛の奥ゆかしさを見出そうが、私の恋の話をどう捉えるかは君たちの自由である。


 元来、恋とは自由である。自由であるからこそ恋は育まれ、成就し、もしくは破れる。人が人を好きになることは、誰しもに与えられた自由であり、永遠なる煌めきを発する心の息吹である。自由であればこそ、運命は誰も予想できない結末へと導いていく。


 そうやって生身の人間同士の恋愛は、波乱万丈を含んだ物語として歴史に刻まれる。では、ご覧いただくとしよう。令和の世からさかのぼること七百年以上前の、恋という広く深い海に溺れた一人の男の物語に、何かを感じていただければ幸いだ。

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