翡翠の焰が世界を焦がす
借屍還魂
召喚
第1話 全てが崩れた日
それなりに上手く言っていた人生が、二年前、たった一本の電話で崩れた時のことを、
「…………お父さんが、倒れた?」
梅雨の終わりかけ、気温も湿度も高く蒸し暑い、ジメジメとした憂鬱な日。大学の食堂で、工場長である父が倒れたと知らせを受けた鏡花は、熱中症だろうかと思っていた。
しかし、駆け付けた病院で宣告されたのは、誰もが聞いたことのある大病。検査をしたところ、かなり酷い状態であることが判明したらしい。完治は難しく、高額の治療費が必要だと、示された金額に鏡花は眩暈がした。
鏡花の母は、鏡花を産んだ時に亡くなっている。父も母も兄弟がおらず、祖父母も鏡花が幼いころに亡くなった。頼れる相手はおらず、父が継いだ工場は、殆ど父が回しているようなものだった。
鏡花の大学の学費も、必死に勉強して返済不要の奨学金を取り、時には短期のバイトもして賄っていた。卒業したら、ようやく工場の仕事を手伝えると、そう思っていた矢先に、この状態だ。
鏡花は工学部で学んでいるが、基本的な理論を学んだだけの学部生だ。経営についても、加工技術もほとんど知らない鏡花に、今すぐ金を稼ぐ術は無かった。
それでも、此処まで行った大学を卒業しないのは勿体ないからと、長年勤めてくれている従業員たちの勧めもあって、何とか大学を卒業して。翌日からは、必死になって働いた。
最初の頃は、見舞いの度に相談に乗ってくれていた父も、徐々に体調が悪化して。鏡花が卒業して一年たたないうちに、眠る時間の方が長くなり、工場の経営も苦しくなっていった。
どうにかしたくても、何をすればいいのかもわからない。鏡花が苦しんでいた、ある日。大企業から、吸収合併の話が持ち上がった。鏡花が卒業する前、研究室内で名前を聞いたことがある有名企業だった。
『従業員は、そのまま雇う。今より待遇をよくしよう』
その条件を、そのまま父に伝えれば、随分やつれた顔で、仕方が無いと頷いた。
「今迄、工場が続いていたのは、皆のお陰だからなぁ。給料が上がるなら、それでいい」
皆にも苦労を掛けたし、お前にも無理をさせたなと、申し訳なさそうに鏡花の頭を撫でたきり。父は、眠りっぱなしになってしまった。
「眞金、今日の業務は……」
「……はい」
有名企業は、資金力からして違った。昔ながらの加工工場は、合併されると端から順に建て替えが始まり、最新機種の機械が並ぶようになった。
鏡花の仕事は、実際の加工ではなく、設計。今迄、手で加工していた図面を、新しい加工機で効率的に作れないかを考える仕事。手順や材質、様々な面からコスト削減を考えるのだ。
毎日毎日、資料と向き合い、計算をし、時には加工場にも足を運び。どれだけ多くの改善案を出しても、大企業が求めるレベルには足りず。上司からは仕事が遅いと溜息を吐かれ、給料は上がらず、仕事の山は積まれるばかり。
始業から終業まで、自分の仕事で手一杯なのに、後輩ができてから鏡花の仕事は更に増え。定時になってから、病院まで見舞いに行って、変わらず眠る父の顔を見て、それから仕事に戻るようになった頃。
コンビニで夜食を買った帰り道。メッセージアプリが軽快な音を立てた。
『来月の同窓会、鏡花ちゃんはどうする?』
『ご飯がおいしい所みたいだし、久しぶりに会えると嬉しい』
幼馴染からの、同窓会の出欠確認だった。そういえば、高校の同窓会では幹事を任されていたのだったか。鏡花はもう一度、文面を読み、そこに書いてある『鏡花』という名前を見て。暫く、呼ばれていないなと、思わず、その場で蹲った。
「みんな、頑張って仕事してるんだろうなぁ……」
仕事が軌道にのって、生活も安定して。早い人だと、結婚しているかもしれない。
「私は……」
それに比べて、自分は。新しい家族を作るどころか、唯一の肉親すら支えることもできず。工場は吸収され、治療費も溜まらず、仕事は増えているのに昇進も昇級もない。
名前を呼んでくれる相手すら、いない。そんな生活をしていることが、酷く、惨めに思えた。じり、と胸の奥が焦げるように痛む。
少しの間、操作しないうちにスマホは画面が落ちてしまって。暗くなった画面に映った、ボサボサの髪と暗い中でもはっきりとわかる隈を見て。ゾンビみたいだと、鏡花は静かに落ち込んだ。
「……こんな状況で、行けるわけ、ないよね」
こんな見た目で、華やかな同窓会にはとても行けない。そもそも、参加する費用さえ、今の鏡花にとっては負担が大きい。でも、素直に伝えれば、幼馴染が心配するだろうから。
見たけど、忙しくて返事を忘れていた。そう言い訳をしようと、鏡花はそのままアプリを閉じる。もう、仕事には戻る気になれなくて、重い足を引きずり家に帰って、買った夜食もテーブルに放り投げ、引いたままの布団に倒れ込む。
夜食、といってもゼリー飲料だ。腐りはしない。それにしても、最後に、ちゃんとご飯作ったの、いつだったっけ。
最近はお腹もすかないし、時間が無いからゼリー飲料ばかり食べている気がする。お金のためには、自炊した方が良いのは理解しているが、本当に時間が無い。何か、良い方法が無いかな。
少しの間、真面目に生活改善を考えていた鏡花だったが、過度の疲労で鈍った頭で改善案が思いつくはずもなく。その日も、泥のように眠りについた。
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