第18話

 アルベールの苦悩に満ちた告白に、リラはただ黙って彼の言葉を受け止めていた。

 その優しい沈黙が、アルベールの心をじんわりと温める。

 誰にも言えなかった心の奥底の迷いを、リラだけは理解してくれているのだと感じた。


 リラはそっとアルベールの手を握り直す。


「アル、難しいことは分からないけど、アルが辛いのは嫌だよ」


 リラの声は、透き通るように澄んでいた。

 彼女の言葉は、複雑に絡み合ったアルベールの思考を、まるで魔法のように解きほぐしていく。


「騎士とか、王様とか、難しいルールは私には分からない。でもね、アルはアルだよ。誰かのために無理しちゃだめ。アルが本当に守りたいものを、アルが正しいと思う方法で守ればいいんだよ」


 リラは、アルベールの目をじっと見つめた。

 その瞳は、一切の曇りなく、ただアルベールの幸せだけを願っているように見えた。

 アルベールの胸に、温かい光が灯る。

 これまで囚われていた「騎士としての務め」や「国王への忠誠」という枠組みから、少しだけ自由になれた気がした。

 リラが言った通り、俺は俺なのだ。

 そして、今、最も守りたいと願うのは、目の前にいるこの純粋な姫である。

 アルベールは自分自身の気持ちを強く認識した。


「……姫」


 アルベールの声は、震えていた。

 長年押し殺してきた色々な感情が、堰を切ったように溢れ出しそうになる。

 彼は、リラの手をぎゅっと握り返した。


「ありがとう、姫。……あなたの言葉で、心が晴れました」


 その瞬間、アルベールの心の中に、一つの確固たる決意が生まれた。

 リラを、そしてリラが愛するこの森を守ることを、何よりも優先しようと誓ったのだ。

 たとえそれが、国王との対立を意味するとしても。

 アルベールの心に揺るぎない決意が生まれた。

 姫を守る。

 その誓いこそが、今の彼にとって何よりも大切なことだった。






 翌日の朝。

 リラが確認するとアルベールの脚はしっかりと治っていた。

 固定を外す。


「どう? 歩けそう?」


「はい、とても快調です」


 アルベールは足が開放されたことに安心感を覚える。

 とても爽快な気分だ。

 これでトイレも困らないだろう。


「良かった。温泉に入って汗を流してきなよ。その間に朝食を作っておくから」


「それは流石に申し訳有りません」


「源泉かけ流しだよ? アルが入っても入らなくても勝手に流れて行くんだから、入った方が得じゃない?」


「損得の話ではなくて……」


「アルはイチイチ考えすぎ! 脚をずっと固定していて凝っているだろうからお風呂に入って疲れを癒せって言ってるだけだよ」


 もう、腕を組むリラ。「蔦に頼めばいいの?」と言うので、アルベールは大人しく、温泉に向かうのだった。

 源泉かけ流しの温泉は、温度をちょうど良く保っているようで、快適であった。




 朝食を終えると、アルベールとリラは早速、薬屋開店準備を始めることにする。

 本来なら国王の所へ戻り、謝罪して持ち場につかなければならないのだが、アルベールは国王の元に帰る気になれなかった。

 職務怠慢でクビになるか、見つかればまた鞭打ちか、それより酷いことをされるかもしれない。

 それでも、もう、国王に忠誠を誓うことは難しそうである。


「私はまず、城下町の銀行から使えそうな薬草やプヨン液などを取ってきますね」


 アルベールは馬に跨る。

 胸元には昨夜したためておいた辞表を持った。

 昨日はよく晴れていたので、森の様子はいつもどおり穏やかだ。

 道などの舗装もモンスターたちが済ませてくれているだろう。


「うん、薬屋で待ってるね」


 リラは明るく見送った。



 

 薬屋に来たリラはまず、家にあった薬草やプヨン液、自分で調合した薬を、棚に並べる。

 そして、昨日、花のモンスターたちがくれた花を棚に飾るなどした。

 モンスターたちはリラの薬屋が本格的に始動することをどこかで聞きつけたらしく、お花や薬草の種、調合薬などを持ってきては置いていってくれる。

 リラは畑作りも勉強しなきゃなと思いながら、アルベールの帰りを待った。




 アルベールはまず城に向かった。

 国王への面会を求める。

 国王はすぐに姿を見せた。


「怪我はどうしたのだ?」


 そう、一応怪我を心配してくれる様子である。


「はい、姫が治してくれました」


「そうか、それは良かったな。では直ぐに持ち場に戻れ」


「いえ、今日は国王陛下にこちらを提出に上がりました」


 アルベールは国王に辞表を出す。

 国王はそれを見るなり、顔色を変える。


「お前、俺を裏切るのか?」


 そう、憤慨した。


「先に裏切ったのは国王陛下です。私は貴方の事が分からない」


 アルベールは表情を曇らせる。

 傷はリラの薬で癒えても、鞭打たれた身体は痛みを思い出す。

 国王の狂気に歪んだ表情も、脳裏に焼き付いて離れなかった。


「分かった。もう知らん。好きにしろ」


 国王は溜息を吐くと、辞表を受理してくれる様子を見せた。


「今まで有難うございました」


 アルベールは頭を下げると、部屋から退室する。

 国王はアルベールを見送り頭を押さえた。


「何でアルベールなんだ……」


 その呟きは誰に聞かれる事もなく、闇に飲まれるように消えるのだった。





 リラの薬屋に戻ってきたアルベールは、銀行から必要な物をおろしてきた。

 大荷物である。


「おかえりなさい!」


 リラが出迎える。


「綺麗に飾り付けましたね」


 花が飾られ、薬棚にも薬が収められている。


「これは?」


 何かの種を見つけてリラに質問する。


「何かの薬草の種みたい。畑の作り方を教えてね」


「そうなんですね。畑は私が作りますよ」


「じゃあ一緒にやろう!」


 リラは楽しそうだ。

 アルベールもなんだか楽しい気持ちになる。


 アルベールは持ってきた包みを広げた。

 薬草や薬液の仕分けをしなければならない。

 リラがこれまで集めてきた薬草や、モンスターからもらった貴重な素材が大量にある。

 アルベールはそれらを効能や希少性ごとに分類し、価格帯をリラに説明した。


「姫、この『万能薬草』は特に貴重なものです。それから、この虹色プヨン液も万能薬です、こちらの樹液は解毒作用があります。これらは高価に設定すべきでしょう」


「うん、分かった! でも、困っている人がいたら安くしてあげてもいいかな?」


 リラの言葉に、アルベールは一瞬たじろいだが、すぐに苦笑した。


「それは……姫の善意にお任せいたします。ただし、お店を続けていくためには、ある程度の利益も必要です。そして、他店への気遣いも必要ですよ。姫が必要以上に安くしてしまいますと、他の店が潰れます」


 リラは「はーい」と元気よく返事をした。

 また、商品の補充のために、アルベールはリラと共に森へ薬草採取に出かけた。

 アルベールの知識とリラのモンスターとの絆が合わさり、普段は手に入りにくい珍しい薬草も次々と見つかる。

 リラは特に、以前冒険者から幻のキノコだと教えられたキノコを見つけると、目を輝かせた。


「アル、これもお店に置こう!」


「姫、それはあまりにも貴重すぎます。薬として使うのはもったいないかと……」


「でも、困っている人がいたら、これが必要になるかもしれないでしょ?」


 リラの純粋な言葉に、アルベールは言葉を失った。

 やはりこの姫は、損得勘定では動かないのだと、改めて思い知らされる。

 やはり自分が側にいて、守り、教えなければ。


「あとは初級薬草などはこの森では取れません。明日草原へ採取に出かけましょう」


「うん、楽しみ」


 リラはずっと楽しそうだ。

 アルベールも心が和む。


「私は騎士の仕事をやめて来ました。村で新しい仕事でも探します」


「木のモンスターに家を建ててもらう?」


「いえ、しばらく村で宿を取ろうと思います」


「分かった。また明日」


「ええ、また明日」


 アルベールは馬に跨り村へ、リラは狼に跨り家に帰るのだった。

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