第4話 鳥籠の姫
「さてと。」
オーレルは少女の方へと振り返る。貧相な服装は泥と血で濡れ更にみすぼらしさを増していた。だがそんな少女が不思議とかっこよく感じられた。気高く、誰よりもギラついた目をしていた。昼間とは別人と思えるように顔つきが違う。囚われの姫は鳥かごを抜け、既に大空を見ていた。
「魔女・・・。あなた魔女なの? じゃあ今のも、魔術なの?」
まるで星空でも眺めるかのように少女はまっすぐとオーレルを見つめていた。少し前まで虚ろで空白そのものだったその瞳は、透き通るほど鮮やかに感じられた。できない。この少女を殺すことなどオーレルには不可能だった。だがそれは世界の掟を破ることになる。これまで殺してきた数多の罪なき人々への冒涜となる。魔族は滅んだ。それが一般の常識である。魔術師は常に、人知れず影ながら魔族と戦わなくてはならない。魔族について知ってしまった者は、例えどんなに無垢な子供であろうと口封じに殺さねばならない。
「・・・・・。」
「あっ。ごめんなさい。魔女って呼んじゃ駄目だったね。あなたの魔術、凄い綺麗だった。」
魔術。オーレルは魔術の天才だった。長い歴史を振り返っても彼女ほど抜きん出た才などありはしないだろう。齢5にして一般の魔術師では足元にも及ばぬほどの魔術の極みにたっていた。人類史上最強の魔術師と呼ばれるヴァルトランの元に師事し、その洗練された魔術の前にはどんな魔族もひれ伏すよりほかなかった。齢13にして魔女オーレルの名を冠し、数多の魔族魔術師より畏敬される存在となった。
オーレルはそんな自信のことが嫌いだった。魔術の才など欲してはいなかった。誰かを傷つけることしかできないこの力が心底嫌いだった。立場上、争いだらけのこの世界に生まれてしまったがために、殺しを強要されてきただけだ。オーレルは魔族も人も誰も傷つけたくなどなかった。
そんな自身の魔術を今、目の前の少女は綺麗と称した。たった今魔族の男を焼き殺した炎を。そしてこれから、この罪なき少女すら焼き殺す地獄の業火を。
「私もそんな風に魔術を、夜空の星よりも綺麗な魔術を使ってみたい! でも私には魔術の才能がないから・・・。それでも、一生懸命頑張れば、あなたみたいな素敵な魔術師に、なれるかな?」
「私みたいな・・・?」
先ほどまで憐みの対象でしかなかった少女がひどく羨ましく感じられた。彼女は自身を縛り付ける全てのしがらみから解放されたのだ。彼女は希望を、理想を、まだ見ぬ未来を捉えている。
ふと少女の澄んだ瞳に反射した自分の姿に目をやった。赤月に照らされた己の顔は、鳥かごに閉じ込められた小鳥のように窮屈そうに見えた。本当の奴隷は誰か。それを突き付けるかのように交信受が音を立て始めた。
「すみません。少し急用です。すぐ戻ります。話はまた後で。」
「あっうん。じゃあここで待ってる。またトイレ?」
「・・・こんなところでしません。」
オーレルは少女から少し離れた池のほとりまで歩いた。再び交信受を取り出すとホログラムが浮かび上がる。黒のローブをまとった男が口を開く。
「定期連絡もよこさず、どうした? 何があった?」
「申し訳ありません。敵の罠にかかり、少しうとうとしていて。ですが問題ありません。魔族は既に始末しました。」
「ほう。ではやはり魔族はいたのだな。」
「はい。魔族の正体は神父でした。まあとは言っても、神父本人というよりは神父を殺しなり替わった〝
「そうか。して、その魔族はどのような魔術を?」
「魔術ですか? すぐに始末してしまったので詳しくはわかりませんが、舌を伸ばして相手を攻撃するような魔術ですかね。」
オーレルはリュスの魔術について先ほどの少女なら詳しく知っているかもしれないと思った。先ほどの少女に聞きに行けばよい。だがここで少女の名を出してしまえば、少女を殺すしかなくなってしまう。元より殺す以外に道はない。しかしそれでも、オーレルの中にある葛藤という小さな壁がそれを寸でのところで阻止した。
「・・・どうした? オーレルよ。少し気分が悪そうに見えるが?」
「なんでもありません。少し眠気がありまして。」
「そうか。ならばよいのだが。舌を伸ばす魔族か。心当たりがある。そうだ。間違いないな。オーレルよ。件の魔族を始末したからといい油断するでないぞ。連中は恐らく1人ではないだろうからな。」
「1人ではない・・・? 魔族は群れないはずでは?」
「そうだ。だが一部例外もおる。あの〝
「〝
数年前のことだ。ある〝
「奴ら程ではない。所詮は〝
「なるほど。それは厄介ですね。しかも今回の敵は殺した神父に扮して人間社会に適応していた。もしこれが奴だけの固有の能力ならいいのですが、奴の魔術は恐らく舌を伸縮自在に伸ばし操ると言うもの。殺した人間になりかわる能力を組織の他の構成員も使えるとなると・・・。」
「うむ。厄介だ。これは久方ぶりに長丁場になりそうだな。貴様1人で大丈夫か?」
「問題ありません。所詮は〝
「そうだな。だが油断はするでないぞ。そういえば、半年前まだ若い魔術師の少年2人が北部で失踪したとの話を聞いたことがある。」
魔術師の失踪。それは死を意味する。魔術師は常に人知れぬ夜の闇の中、人食いの魔族と戦い続ける。死ねばその体は貪り食われ、死体すら残らない。
「・・・なるほど。ではその少年の捜査もかねてもうしばらく北部に滞在します。せめて遺体、遺品だけでも回収できるよう努力します。」
「・・・わかった。くれぐれも気を付けるようにな。」
男がそう言うと共にホログラムは消えた。オーレルは近くの茂みに目をやる。わずかな魔力についてはずっと感知していた。魔力量からして魔族や魔物ではない。人間だ。それもまだ若い。オーレルが茂みを掻き分ける。そこには昼間の小太りな少年の姿があった。少年は足を怪我し、ただその場に蹲っていた。
「あっ、さっ、さっきの・・・。魔術師の・・・。」
小太りな少年は恐怖と夜の森の寒さで震え切った声で辛うじて話す。
「ひっ、昼間のっう、昼間のことはごめんなさい。本当にごめんなさいっ。あいつに、謝らないと。たっ、助けて。」
話し方と表情からしてその言葉が命惜しさでないことはオーレルにはわかっていた。人は追い詰められた時に本性を出す。まだ若いこの少年はきっと、誰かの欲望に踏みにじられる痛みをここで知ったのだろう。彼らのしたことは到底許されることではない。しかしそれでも、罪を認め、しっかりと前を向いたこの少年は少なくとも自分よりは立派だと、そんな感じがした。
「しっ、神父がっ。長い舌のっ、あの化け物がっ。みんな食われちまうっ。イェルドの野郎もっ、俺を庇って。このままじゃ、ヴィっ、ヴィレヤも食われちまう。俺たちのせいでっ、なあ頼む。なんとかしてくれっ!」
少年は大粒の涙を流しオーレルに懇願する。イェルドというのは長身の少年のこと、ヴィレヤというのは少女のことだというのはすぐにわかった。少年の足の傷は浅くはないが、出血はそこまでひどくない。命に別状はないだろう。だがこの少年は既に魔族を見てしまった。このまま生かすわけにはいかない。
「ごめん。」
オーレルが杖を振ると同時に少年はその場に倒れ込んだ。即死だった。オーレルの杖は少年の神経を真っ二つに裂いた。脊髄神経の暴走で腕がまだぴくぴくと動いている。オーレルは再び杖を振った。灼熱の業火が少年の体を焼き、跡形もなく消し去った。
「さて。」
オーレルはヴィレヤの元へ戻ろうとしたがそこにしばらく留まった。答えのないどうしようもない問いの回答を模索する際、水回りでしばらく考え込むという癖からくるものだ。池のほとりに座り込み、赤月の下で1人思案に暮れた。その静寂の崩すかのように、1つの魔力が森の中に突然現れた。魔族のものだ。オーレルはすぐさま立ち上がった。だがその時既に魔族はオーレルの背後に立っていた。
身長は180前後だろうか。痩せぎすで鳥のように軽やかそうな体系。蝙蝠のような漆黒の翼が背中から2対(4枚)生えている。翼には無数の傷跡と縫い痕あり。顔下半分を黒い仮面で隠しており赤く光る眼だけが覗く。青白の腕にはヴィレヤを抱えていた。ヴィレヤは額から血を流し、ぐったりとしていた。
「魔女オーレル。まさかあなたが来るとは。」
「速いですね。〝
オーレルは魔族に杖を向ける。すると魔族はニヤリと笑った。
「どうした? 攻撃してこないのかい?」
甲高い声で魔族は言う。
「リュスがやられたのは驚いた。そしてリュスの死んだであろう所にこの餓鬼がいたのはもっと驚いたぜ。おかしいよな? 魔族を見ちまったパンピーは高尚なる魔術師様に殺されちまうってのによ。」
そう言うと魔族は鍵状に伸びた爪をオーレルに向ける。
「俺はカルド。誇り高き〝
あの方。その言葉がオーレルには引っかかった。〝
「さあ? そうするよ! って、いっでええ!!」
突然カルドは叫んだ。目を覚ましたヴィレヤがカルドの腕に嚙みついたのだ。
「私のことは気にしないで! だからっ!」
ヴィレヤがそう言いかけたところでカルドはヴィレヤを締め上げた。
「このクソガキが。この俺に噛みつくとは。生意気な。いいだろう。もうオーレルなどどうでもいい。お前には最上級の死を送ってやる。ただで死ねると思うなよ。」
そう言うとカルドは翼を広げ赤月の浮かぶ空へと舞い上がった。
「流石に人質ありとは言え、相手が貴様では今の俺では分が悪い。こいつは人質だ。俺はこいつに拷問の限りを与えて苦痛に苦痛を与えて殺す。ただし1日だけ待ってやる。明日、月が空のてっぺんに昇ったその瞬間。俺はこいつへの拷問を開始する。ここから少し東に、グラウ=ベルクという街がある。そこで待っているぞ。」
そう言うとカルドはヴィレヤを抱えて夜の闇へと消えていった。
ヴィレヤは言った。自分もオーレルみたいな素敵な魔術師になれるのかと。彼女に魔術の才がないのはオーレルも一目でわかった。それに彼女はまだ純粋で現実を知らない。それでも尚、あの澄んだ瞳を裏切ることはオーレルにはできなかった。才能も何もない。そんな憐みの対象でしかないただの奴隷少女の瞳に、何か特別な可能性を感じてしまったからだろうか。
ヴィレヤは自由の鳥だ。鳥かごから放たれた自由の鳥だ。どこまでも飛んでいける。きっと自分なんかよりずっと遠くへと。そんな気がした。
オーレルは無性にヴィレヤと話してみたくなった。この短い間に何があったのか。何が彼女を変えたのか。何がそこまで彼女を突き動かしたのか。彼女を殺すのはそれを聞いてからでいい。
「あなたは星を見た。その星を私はまだ知らない。ねえ、あなたはどうやって鳥籠を抜け出したの? どうしてあなたは、空の広さに気づいてしまったの?」
オーレルは空に広がる星々に向けてそっと手を伸ばした。色白で細くやわらかなその指には、微かに血の跡が残っていた。
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