第16話:モノポールの心は、引き合えない

レイカとアキラ、二人の天才的な協力によって、『GEEドライブ』の制御システムは飛躍的な進歩を遂げた。


しかし、それでもなお、超光速という神の領域に手を伸ばすには、最後の、そして最大のピースが欠けていた。

それは、船員を無限のGから守る「反重力エリア」を、完璧かつ瞬時に展開する技術だった。




「既存のNマシンでは、出力の立ち上がりが遅すぎる。無限の質量が発生する、そのコンマ1ナノ秒よりも早く、反重力場を展開する方法が…」



ダイスケは、研究室のホワイトボードの前で、腕を組み、唸っていた。


その時、彼の脳裏に、あの「古代の魂」の声が、再び静かに響き渡った。

それは、これまでの啓示とは異なり、まるで禁断の知識を授けるかのような、重々しい響きを持っていた。



『―――力の根源を求める者よ。

 汝、磁気の単極子(モノポール)を知るか。

 NとS、二つにして一つなるもの。

 これを分かつ時、世界の理(ことわり)は

 新たな貌(かたち)を見せるであろう―――』



「磁気単極子…モノポール…!」



ダイスケは、雷に打たれたように叫んだ。


それは、N極だけ、あるいはS極だけが単独で存在する、理論上は存在するはずだが、未だ発見されていない幻の素粒子だった。



「モノポールが、反重力と何の関係があるというのだ…?」



ダイスケが訝しむと、声はさらに続けた。



『―――万物は、陰陽にて引き合う。

 されど、正と反、二つの物質のN極同士は、

 引き合う理を持つ。

 これを成せば、通常の物理法則ではありえぬ力が

 生まれん―――』



「正物質のN極と、反物質のN極が、引き合う…!?」



レイカが、ダイスケの呟きを聞きつけ、驚愕の声を上げた。



「そんなことはありえないわ! 磁気の極性は物質の種類に依存しない。N極同士は、必ず反発するはずよ!」


「だが、もしも、モノポールを生成できれば、話は別だということだ!」



ダイスケの目は、再び狂信的な光を宿し始めていた。



「モノポールを安定して作り出すことができれば、反物質を磁気的に、そして安定して閉じ込めることが可能になる! それだけではない! この正反N極の引力こそが、既存の反重力場を遥かに超える、超強力かつ超高速な反発力を生み出す鍵なのだ!」



彼の語る理論は、もはやレイカの理解さえも超え始めていた。

それは、既存の物理学の教科書を、全て暖炉の焚き付けにするような、あまりに過激な理論だった。


しかし、その時、アキラが、以前開発した『反重力ジャイロセンサー』が、奇妙な反応を示していることに気づいた。



「先生、レイカさん! センサーが、何かを捉えています…!」



スクリーンに映し出されたデータは、信じられないものだった。

研究室の中の、何もない空間の一点が、ごく微弱な「向心力」を発生させていることを示していたのだ。


遠心力ではない、中心に向かう力。

それは、通常の重力下では起こりえない、異常な現象だった。



「これは…!」



レイカは、そのデータを見て、息をのんだ。



「反重力下では、遠心力とは逆の力が働く…。博士の仮説が、また一つ、証明されてしまったというの…?」



その異常な向心力の発生源は、ダイスケがピクシーさんと「対話」する際に、決まって立つ場所と、完全に一致していた。



「そうだ…この研究室の空間そのものが、ピクシーさん、あるいはゼファルの力によって、すでに我々の知らない物理法則下に置かれているのだ! このセンサーは、その歪みを捉えたのだ!」



彼らの研究は、知らず知らずのうちに、敵の土俵の上で行われていたのかもしれない。




その事実に、三人は慄然とした。




その夜、ダイスケは一人、モノポール生成の理論と格闘していた。


しかし、理論を突き詰めれば突き詰めるほど、その生成と制御の困難さが、巨大な壁となって彼の前に立ちはだかった。


(ダメだ…このままでは、GEEドライブは完成しない…)


焦りと疲労が、彼の心を蝕んでいく。

そんな彼の背中に、そっと温かいブランケットがかけられた。



「先生。少し、休んでください」



アキラだった。彼女は、温かいミルクの入ったマグカップを、彼の机に置いた。



「そんなに根を詰めたら、また倒れちゃいますよ」


「アキラくん…」



ダイスケは、アキラの優しい気遣いに、張り詰めていた心の糸が、ふっと緩むのを感じた。



「すまないな…私は、焦っているのかもしれん。ゼファルという影に、そして、光速という壁に…」



二人の間に、静かな時間が流れる。

アキラは、ダイスケの大きな背中を見つめながら、意を決して口を開いた。



「先生は、レイカさんのことが、好きなんですか?」


「…え?」



ダイスケは、虚を突かれたように、振り返った。

彼の頭の中は、モノポールと反重力で満たされており、そんな質問が飛んでくるとは、夢にも思っていなかった。


アキラは、俯きながら、小さな声で続けた。



「だって、先生、最近、レイカさんと話している時、すごく楽しそうですから…。私と話している時よりも、ずっと…」



その声は、震えていた。


ダイスケは、初めて、アキラの心の内に触れた気がした。

いつも明るく、自分を支えてくれる彼女が、こんなにも脆く、不安な気持ちを抱えていたことに、彼は気づいていなかった。



「それは…違うぞ、アキラくん」



ダイスケは、不器用な手つきで、アキラの頭にそっと手を置いた。



「レイカくんは、私の理論を理解し、共に戦ってくれる、最高の好敵手(ライバル)だ。だが、君は…」



ダイスケは、言葉を探した。



「君は、私が道に迷った時に、いつも温かいミルクを持ってきてくれる。私が、私でいられる場所だ。それは、どんな難解な物理法則よりも、ずっと尊いことなんだ」



それは、告白でも、約束でもなかった。

しかし、その不器気用で、誠実な言葉は、アキラの心に、どんな慰めよりも温かく響いた。




N極とS極は、強く引き合う。




しかし、N極とN極は、決して引き合うことはない。


ダイスケとレイカは、同じ「科学」というN極を持つがゆえに、反発しあいながらも、互いを高め合う存在。


そして、アキラは、そんな二人を優しく包み込む、S極のような存在なのかもしれない。




だが、そんな単純な磁石のような関係で、人の心が割り切れるほど、恋も、宇宙も、単純ではなかった。


二人の静かな時間を、研究室の監視モニター越しに、レイカが、どんな表情で見つめていたのか。



それを知る者は、まだ誰もいなかった。

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