第14話:歪む空間、食事の作法、心の法則
研究室に現れた影の魔物を前に、三人は絶体絶命の窮地に立たされていた。
ダイスケが身を挺して立ちはだかり、レイカが消火器を構えるが、物理的な攻撃が通用するかは誰にも分からなかった。
魔物の影の腕が、アキラに触れようとした、その瞬間。
「そこまでよ!」
凛とした声と共に、研究室のドアが再び開いた。
そこに立っていたのは、Dr.レイカの指示で動く、数人の屈強な警備員たちだった。
彼らが構える特殊な装置から放たれた閃光が、魔物を包み込む。
「ギャアァァ…!」
魔物は、光を浴びると、まるで黒い煙が霧散するように、苦悶の声を上げながらその姿を掻き消した。
後に残されたのは、不快な空間の歪みの残滓と、呆然とする三人だけだった。
「…あなた、こんなこともあろうかと、警備を強化していたのね」
ダイスケが、息をつきながらレイカに言う。
「当然よ。非科学的な現象であろうと、リスク管理は科学者の務めだわ」
レイカは冷静に答えるが、その手は微かに震えていた。
アキラは、その場にへたり込んだまま、恐怖で動けずにいた。
ダイスケが駆け寄り、その肩を抱きかかえる。
「大丈夫か、アキラくん! 怪我はないか?」
「は、はい…先生…」
ダイスケの腕の中で、アキラはかろうじて頷いた。
その瞬間、彼女を心配そうに見つめるダイスケの真剣な眼差しと、それを見て、わずかに眉をひそめるレイカの視線が、一瞬だけ交錯した。
謎の魔術師「ゼファル」の襲撃。
それは、三人の研究が、もはや安全な研究室の中だけでは完結しない、危険な領域に踏み込んだことを意味していた。
翌日、三人はゼファルの正体と目的を探るため、改めて対策を練っていた。
「ピクシーさんの話では、ゼファルは『ボイド空間』と交信し、その力を利用しているという。我々の反重力技術とは、似て非なる体系の力だ」
ダイスケは、ホワイトボードに二つの力学体系の図を描きながら説明する。
「彼の魔術は、物理法則を根本から覆すのではなく、その『誤差』を突くような効果を持つらしい。例えば、空間を微妙に歪ませ、光の屈折率をわずかに変えることで幻覚を見せる。あるいは、空気の密度を局所的に操作して、不可視の衝撃波を生み出す…」
「まるで、現実世界をハッキングするようなものね。非常に厄介だわ」
レイカは腕を組み、唸る。
そんな中、アキラが、襲撃された時の奇妙な感覚を思い出して口を開いた。
「あの…昨日、あの影の人が連れてきた手下ですけど…その人たち、なんだか変な匂いがしました」
「匂い?」
「はい。なんていうか…鉄が錆びたような、血のような…でも、一番気になったのは、その人たちの『食事の仕方』なんです」
アキラは、以前、レイカの紹介でゼファル一味の疑いがある人物たちの張り込みに、協力したことがあったのだ。
「彼ら、メインディッシュから食べるんです。それも、お肉だけを先に全部食べて、付け合わせの野菜には一切手を付けない。まるで、獲物を仕留めた獣が、肉から食らうみたいに…」
その言葉に、ダイスケの目がカッと見開かれた。
「それだ!」
彼は、埃をかぶった書棚から、一冊の古びた本を取り出した。
それは、彼が趣味で集めていた奇書の一つ、『万物照応・食事作法占い大鑑』だった。
「私のライフワーク、『宇宙徒然草』にも書いたが、食事の仕方はその人間の本能、すなわち思考パターンと仕事のやり方に直結する! メインから食べる者は、目標に対して最短距離で突き進むが、細部への配慮に欠ける傾向がある! 彼らは、目的のためなら、周囲の犠牲を厭わないタイプだ!」
「博士、正気ですか? 占いで敵の行動原理を分析するなんて」
レイカは、こめかみを押さえた。
「占いと侮るなかれ! これは、長年の人間観察に基づく統計学だ! そして、ゼファルは、この『本質』を見抜く術に長けているのだ! 彼は、淡蒼球を介して人の魂に干渉するだけでなく、その人の持つ本能的な行動パターンを読み解き、心理を操る!」
ダイスケの理論は、あまりに飛躍していた。
しかし、その時、レイカのPCが警告音を発した。
ゼファルの魔術による空間の歪みを解析していたプログラムが、一つの結論を導き出したのだ。
「…信じられないわ。ゼファルの使う空間歪曲のパターンは、人間の脳が恐怖を感じた時に発する、特定の脳波パターンと、酷似している…。彼は、物理的に空間を歪ませると同時に、我々の脳に直接、恐怖という『幻覚』を送り込んできているのよ」
科学とオカルトが、再び奇妙な形で結びついた瞬間だった。
ゼファルは、物理法則の隙間を突き、人の心の隙間をも突いてくる。
彼に対抗するには、反重力技術を完成させるだけでは不十分だ。
彼らのチームは、宇宙の謎だけでなく、人間の心の謎にも、立ち向かわなければならなかった。
そして、三人はまだ知らない。
ゼファルが狙う究極の目的が、彼らが追い求める古代の技術の、最も危険で、最も魅力的な側面と、深く結びついていることを。
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