第11話:金星の涙と、彗星の置き土産

ビー玉のワープ事件は、研究室に新たな興奮と、莫大な修理費の見積書をもたらした。


レイカは壊された分析器のことでダイスケを数日は口も利かなかったが、ビー玉に刻まれた未知の結晶構造の魅力には勝てず、結局は二人で頭を突き合わせてその解析に没頭することになった。



そんな中、ダイスケと彼の背後にいるピクシーさん(及び古代の魂)の興味は、すでに別の領域へと移っていた。

それは、あの「魂の記録装置」が断片的に再生する、さらなる古代の記録だった。



「―――災厄の日、天は裂け、地は揺らぎ、

 双子の星の一つは、その自転を狂わされ、

 灼熱の地獄と化した―――」



記録装置が再生する古の詩は、まるで神話の一節のようだった。

しかし、ダイスケはその詩が、ただの物語ではないと直感していた。



「双子の星…! アステラ、つまり地球にかつて存在したという、もう一つの惑星のことだ! 『金星』だ!」



ダイスケはホワイトボードに太陽系の図を描き、地球の隣に金星を書き加えた。



「金星は、大きさも密度も地球とよく似ている双子星だ。しかし、その環境は天国と地獄ほども違う。自転は逆向きで、一日が一年より長い。そして、地表は鉛も溶ける灼熱地獄。なぜこれほど似た星が、全く違う運命を辿ったのか、それは現代科学でも大きな謎とされている」


「古代の記録は、その謎の答えを知っているというのですか?」



アキラが、固唾をのんで尋ねる。



「そうだ。そして、その原因は、我々の想像を絶する、宇宙規模の『交通事故』だったのだ!」




ダイスケが次に再生した記録は、その衝撃的な出来事を物語っていた。

それは、数千年前、太陽系を一つの巨大な「ならず者」が通過した記録だった。



『―――天翔る大いなる髪の星(巨大彗星)が太陽の家族を掻き乱した。

 天王の星は横倒しにされ、海王の星は逆さの子(衛星トリトン)を抱き、

 黄泉の王の星(冥王星)はその道を歪められた。

 そして、我らがアステラの夜には、

 砕かれた星の涙(月)が浮かぶことになったのだ―――』



「巨大彗下星…!」



レイカが、息をのんだ。



「天王星の横倒しの自転軸、海王星の逆行衛星トリトン、冥王星の傾いた軌道…これらは全て、太陽系の形成初期の混乱期の名残だと考えられてきたわ。でも、もしもそれが、もっと最近、数千年前に起きた出来事だとしたら…?」



彼女の声は、興奮と恐怖で震えていた。長年信じてきた科学の常識が、根底から覆されようとしていたからだ。



「そして、月だ!」ダイスケが続ける。「地球の大きさに対して、月は不自然なほど巨大な衛星だ。これも、この巨大彗星が地球の近くを通過した際に、地球の一部をはぎ取り、あるいは別の天体をぶつけて形成された、『置き土産』なのだ!」





研究室に、壮大すぎる物語を前にした沈黙が落ちる。


太陽系の惑星たちが織りなす優雅なバレエは、実は、突如乱入してきた巨大な暴れん坊によってメチャクチャにされた後の、痛々しい姿だったというのだ。




アキラは、ふと不安になってダイスケに尋ねた。



「先生…そのおっきな彗星は、もうどこかへ行ってしまったんですよね…?」




ダイスケの表情が、曇った。



「…いや。古代の記録には、こうも記されている。『金星の涙は、未だ新しい』と。これは、金星が灼熱地獄になったのが、比較的最近の出来事であることを示唆している。そして、もしそれが事実なら…」



ダイスケは、太陽系の図の、遥か外側の空間を指し示した。オールトの雲と呼ばれる、彗星の巣が存在する領域だ。



「その巨大彗星は、太陽系の重力に捕らわれ、今もこの最果ての暗闇を、長い長い周期で回り続けている。そして、いつか…必ず、この場所に戻ってくる」




彼の言葉は、まるで確定した未来を語る予言者のように、静かに、しかし重く響き渡った。


それは、自分たちの研究が、ただの知的好奇心を満たすためのものではなく、遠い未来に地球を襲うかもしれない、避けられぬ運命に立ち向かうための戦いであることを、三人に突きつけた瞬間だった。





金星が流したという古代の涙。



それは、過去の悲劇を物語るだけでなく、未来への警告でもあった。




奇妙な三角関係の研究チームは、知らず知らずのうちに、太陽系全体の運命を左右するかもしれない、壮大な謎の入り口に立たされていた。

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