第7話:透ける壁と、透けない本心
『反重力ピンセット』の暴走事件は、結果としてチームに大きな進歩をもたらした。
ピクシーさん(経由ダイスケ)の指摘した「質量と周波数の関係」は、反重力制御における画期的なブレークスルーとなったのだ。
今や彼らのピンセットは、ゴマから消しゴムのかけら、果てはアキラの弁当に入っていたミニトマトまで、多種多様な物体を自在に操れるようになっていた。
技術的な成功は、研究室の雰囲気を明るくしたが、同時に新たな問題も生み出していた。
それは「壁の透過現象」である。
安定した反重力場を長時間発生させられるようになった副作用で、研究室の壁、特にNマシンの周辺の壁が、時折、すりガラスのようにぼんやりと透けるようになってしまったのだ。
壁の向こうの廊下を人が歩く影が、幽霊のようにうっすらと見える。
「すごいぞ! これは反重力が原子間力を弛緩させ、光が物質を透過しやすくなるという私の理論を裏付ける現象だ!」
ダイスケは興奮して壁を観察しているが、女性陣にとってはたまったものではない。
「プライバシーも何もあったものじゃないわ。いつ壁が完全に透けるか分かったものじゃない」
レイカは腕を組んで不機嫌そうに言う。
「先生、これ、そのうち床まで透けたりしませんよね…? 下の階、用務員のおじさんの休憩室ですよ…」
アキラは現実的な心配をしていた。
そんなある日、ダイスケがまたしても「ピクシーさんからのお告げだ!」と宣言した。
「この透過現象を逆手に取り、能動的に制御する技術を確立する! 名付けて『反重力スコープ』! 壁の向こう、箱の中身、果ては人体の内部まで、X線なしで透視できるようになるのだ!」
「博士、それはもはや兵器開発か、あるいは犯罪の領域ですわ」
レイカの冷たい視線が突き刺さる。
「いやいや、医療への応用だよ! これがあれば、外科手術は大きく変わる! しかも、そのためには、この空間の歪みを精密に検知するセンサーが必要不可欠だ。ピクシーさんは、それを『反重力ジャイロセンサー』と呼んでいる」
ダイスケは、またしても虚空からの助言を元に、新たな開発計画をぶち上げた。
そのあまりの突飛さに、レイカとアキラは頭を抱えたが、彼の瞳が本気であること、そしてその理論が奇妙な説得力を持っていることは認めざるを得なかった。
開発が始まると、三人の役割は自然と決まっていった。
ダイスケはピクシーさんとの「対話」を通じて、センサーの基本設計と理論構築を担当する。
レイカは、その無茶な理論を現実的な数式とシミュレーションに落とし込み、膨大な計算を行う。
そしてアキラは、二人が設計した複雑怪奇なセンサーを、持ち前の『身体感覚』を頼りに、一つ一つ手作業で組み立てていく。
それは、気の遠くなるような精密作業だった。
「レイカさん、この水晶振動子、ほんの少しだけ傾いてる気がします。設計図では水平のはずですけど…」
「そんなはずないわ。私の計算は完璧よ。コンマ1ミクロンもズレはないはず」
アキラの感覚とレイカの理論が、またしても衝突する。
二人が火花を散らしていると、ダイスケがのんびりとした口調で割って入った。
「ああ、それならピクシーさんが言っていたぞ。『空間そのものがわずかに歪んでいるため、完璧な水平は存在しない。被験体K(アキラのこと)の感覚こそが、その歪みを捉えているのだ』とな」
「なっ…!」
レイカは絶句した。
自分の完璧な計算が、この世界の不完全さによって覆される。
そして、それを感覚だけで見抜いてしまうアキラと、その背後にいる(とされる)妖精の存在。
レイカの科学者としてのプライドは、ギリギリと音を立てて軋んだ。
悔しさに唇を噛むレイカの横で、アキラはダイスケにそっと尋ねた。
「あの、先生。ピクシーさんって、いつもどんな風に見えるんですか?」
「うむ、そうだな。光の粒子が集まったような、キラキラした小さな…いや、待てよ。最近、少し姿が変わってきたような…」
ダイスケは首をひねる。
「なんだか、時々、レイカくんの姿に似て見えることがあるのだ。特に、難しい数式を解いて、ふっと笑った時の…」
「えっ!?」
その言葉に、作業台を挟んだ二人の女性の動きがピタリと止まった。
アキラは、手にしていた精密ドライバーをカタンと落とした。
レイカは、モニターを睨みつけていた顔を上げ、耳まで真っ赤に染まっていた。
研究室に、気まずい沈黙が流れる。
ダイスケだけが、その沈黙の意味に気づかず、首をひねり続けている。
「うーむ、なぜだろうな。ピクシーさんは、私の理想の具現化なのか、それとも…」
反重力ジャイロセンサーは、空間の歪みだけでなく、この複雑な三角関係の歪みまでも検知してしまいそうだった。
壁は透けても、人の本心はなかなか透けては見えない。
三者三様の想いが交錯する研究室で、またしても奇妙で甘酸っぱい夜が更けていく。
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