第4話:その声は、霊か、恋か、あるいはただの空腹か

例の「小脳直結型Nマシン」の実験以降、宇宙大輔の様子は明らかにおかしくなった。


彼は時折、研究の合間にふと虚空を見つめ、うんうんと一人で頷いたり、誰かと会話しているかのように口を動かしたりするのだ。



「…なるほど、なるほど。つまり、ボイド空間の反粒子は、正の重力下では斥力を感じるため、集合できないと…いや、実に興味深い意見だ」



誰もいない空間に向かって真剣に語りかけるダイスケの姿に、アキラは本気で精神科の受診を勧めようかと悩んでいた。


一方、レイカは腕を組み、鋭い観察眼でその奇行を分析していた。



「前頭葉への予期せぬ電磁パルス照射による、一時的な幻覚・幻聴症状。あるいは、自己の潜在意識を外部の存在として誤認する解離性障害の一種ね。二、三日で治まらなければ、精密検査が必要だわ」



科学的な診断を下しながらも、レイカはその説明にどこか釈然としないものを感じていた。

ダイスケの呟く言葉の断片には、時折、無視できないほどの知性がきらめいていたからだ。



「心配ないよ、二人とも!」



当の本人は、そんな周囲の心配をよそに、晴れやかな顔で宣言した。



「私は狂ったわけではない! むしろ、新たな知覚の扉が開いたのだ! 私の『淡蒼球』が、ついに霊的な送受信機としての本来の機能に目覚めたのだよ!」



ダイスケは再びホワイトボードの前に立ち、持論を展開し始めた。

それは彼が『宇宙徒然草』で提唱している、禁断の技術――『魂織術(たまおりじゅつ)』の概念だった。



「魂織術とは、淡蒼球を介して他者の精神、すなわち『魂』に干渉し、その知識や記憶にアクセスする究極のコミュニケーション術だ。私は今、無意識に誰かの魂と交信しているのだ!」


「非科学的にも程があるわ。そもそも魂の定義が曖昧よ」



レイカが冷ややかに言い放つ。


だが、ダイスケはニヤリと笑った。



「では、これはどう説明するかな、レイカくん? 君が昨日、頭を抱えていた量子テレポーテーションの安定化に関する数式。あの第3項の位相補正係数、虚数に置き換えてみたまえ。驚くほどシンプルな解が導き出されるはずだ…と、この『声』が教えてくれている」



レイカの表情が凍りついた。

その数式の悩みは、彼女が誰にも話さず、一人で格闘していた未公開の研究テーマだった。


それをなぜダイスケが?

しかも、彼の指摘した解法は、まるで雷に打たれたかのように、彼女の思考の盲点を突いていた。



「な…ぜ、それを…」


「だから言っただろう? 声が教えてくれるのだ」



それからというもの、ダイスケの「交信」はエスカレートしていった。

だが、彼が受信する「魂の声」は、高尚な科学的知見ばかりではなかった。



「うむ…声が言うには、研究室の角にある自動販売機、今なら当たりが二本連続で出る確率が93%だそうだ!」


(そして、実際にアキラが買いに行くと、本当にジュースが二本出てきた)


「レイカくん、その知的な眼鏡も素敵だが、時には外してみるのもいい。君の瞳は、まるでブラックホールのように全てを吸い込む魅力がある…と、声が囁いている」


「なっ…!何を馬鹿なことを!」



レイカは顔を真っ赤にしてそっぽを向くが、その手は無意識に眼鏡に伸びていた。


ダイスケがレイカを褒める(たとえ「声」のせいだとしても)のを見て、アキラの胸は面白くない感情でざわめいた。



面白くない。非常に面白くない。

彼女は対抗するように、ダイスケの前に仁王立ちになった。



「先生! 私の『身体感覚』が告げてます! 今日の夕飯は、先生の大好物の生姜焼きにすべきだと、強く! 強く告げてます!」


「おお、アキラくん! それは素晴らしいお告げだ!」



恋のライバルが、ついに人間を超えた不可視の存在になってしまった。

アキラは新たな頭痛の種を抱えることになった。


その日の夕方、ダイスケの交信はピークに達した。

彼は突然、椅子から立ち上がると、目をカッと見開き、研究室に響き渡るような大声で、誰も聞いたことのない言葉を叫び始めた。


それはまるで、古代の呪文か、あるいは異星の言語のようだった。



「&%#@%!」


「な、何!?」



レイカが即座にその音声を録音し、解析にかける。どの既知の言語とも一致しない。


しかし、その音声パターンは、極めて複雑で、構造的な情報体系を持っていることを示していた。

一頻り叫んだ後、ダイスケはぜえぜえと息を切らしながら、しかし恍惚の表情で言った。



「わかったぞ! ついにこの声の主の正体が判明した! 彼は…この研究室に太古の昔から住まう、『地縛霊』だ!」



シーン、と静まり返る研究室。

アキラとレイカが絶句する中、ダイスケはさらに驚くべき結論を口にした。



「いや、地縛霊などというオカルト的な存在ではないな。もっと科学的に表現すべきだ。彼は、このNマシンが作り出す特殊な反重力場に引き寄せられ、励起された意思を持つエネルギー体…そう、いわば『反重力場の妖精(アンチグラビティ・ピクシー)』と呼ぶべき存在なのだ!」



ここにきて、ついに科学とオカルトの完全なる融合(フュージョン)が達成された。

レイカは頭を抱え、アキラは目の前の現実から逃避するように、今日の夕飯の献立について考え始めた。



果たして、ダイスケに取り憑いた(?)「妖精」は、彼らを宇宙の真理へと導く福音となるのか。


それとも、ただの厄介な同居人となるのか。




奇妙な三角関係は、四人目(?)の登場人物を迎え、ますます混迷を深めていくのだった。

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