第6話
しばらくして、男の妻は一日の仕事を終え、ようやく帰宅した。彼女は能力者として大手企業に勤めており、その仕事は能力者でなければ就けない特別な職種だった。そのため、収入も一般よりはるかに高く、夫が高額な報酬を支払えると自信を持っていたのも、彼女の存在があってこそだった。
帰宅した妻は他のことをする間もなく、すぐさま夫に今日の出来事について尋ねた。彼女は夫が、ネットにメッセージを残したあの謎の人物と会いに行ったことを知っていたため、結果を気にしていたのだ。男は隠す理由もなかったので、今日の出来事を一から十まで正直に話した。
依頼が受け入れられたと知った妻は喜んだが、すぐに不安そうな表情を浮かべた。報酬額はまだ知らされていなかったが、相当な金額になるだろうという予感はあった。もちろん、全く支払えないわけではない。しかし、もしこれが詐欺だった場合、そのお金を失えば、逃亡の計画そのものが頓挫してしまう。それが、妻が最も恐れていたことだった。それでも、このチャンスを逃せば、もう二度と同じような機会は巡ってこないかもしれない。彼女の心は大きく揺れていた。
不安を言葉にしたくなかった。夫もきっと同じことを考えているに違いない。だが、不安を口にすれば、夫の決意を揺るがすことになってしまう。だから、彼女は気持ちを整え、妊娠してからというもの、久しく味わえなかった平穏な時間を夫と共に楽しむことにした。
翌日の昼、仕事中の男に、マークから口座情報と金額を記したメッセージが届いた。男は迷うことなく会社に休暇を申し出、その足で銀行へ向かった。そして妻に電話をかける。提示された金額は、一般的な依頼と比べれば確かに高額だったが、能力者に関わる案件としては妥当な範囲だった。妻とも短く相談した上で、男は緊張しながらも金を振り込んだ。
しばらくして、マークから返信が届いた。
「確かに入金を確認した。今夜、改めて連絡する。そのときに詳しい計画を話そう。」
詐欺でないことが分かり、男の胸の重しが少しだけ降りた。最初の賭けは、どうやら成功したようだ。男はすぐに妻へこの知らせを伝えた。妻は電話口では言葉少なだったが、その声の向こうに隠しきれない喜びが伝わってきた。男は銀行のロビーの椅子から立ち上がった。もし騙されたと分かったらすぐに警察に通報するつもりだったので、念のため銀行内で連絡を待っていたのだ。全てが順調に進み、ようやく彼は安心して銀行を後にした。
夜が訪れ、妻もこの日はいつもより早く仕事を切り上げて帰宅した。ふたりは電話を今か今かと待ち続けた。
――ピリリリリリリリリリ……
ついに電話が鳴った。男は発信者名を見ることなく、すぐに受話器を取った。耳元に届いたあの聞き慣れた声。彼は、ついにその時が来たと悟った。
「娘さんとの旅行の件、手配できそうな人が見つかったよ。」
唐突な言葉に男は一瞬困惑したが、すぐに相手の意図を理解した。これは、自分が依頼主であるかどうかの確認なのだと。
「娘ではありません。妻です。お忘れですか?」
「失礼、では本題に入りましょう。」
確認が終わると、相手は手早く計画の説明を始めた。
「まず、奥さんの個人情報を送ってくれ。こちらで必要な書類を準備する。その後、信頼できる協力者が日本に渡り、君たちと接触する予定だ。彼が奥さんの“制御装置”を外す。そうすれば、奥さんが能力者だという事実を隠したまま、日本を離れることができる。その後は二人で飛行機に乗ればいい。計画はそれだけだ。協力者は二週間後に現地入りする。安全のため、接触の具体的な日時と場所は、改めて連絡する。それまでの間、準備を整えておいてくれ。」
そう言い残し、相手は一方的に通話を切った
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