第4話
数分前、マークは日本からかかってきた一本の電話を受けた。
声の調子から察するに、電話の主はおそらく真面目な一般市民。
自ら地下の仲介屋に連絡してくるなんて、よほど切羽詰まっていたのだろう。
言葉の端々に、誠実さと窮地からの必死さがにじみ出ていた。
さらに彼は、かなりの額の報酬を用意していると明言した──その一点だけで、マークの関心は大いに引かれた。
マークは、決して「善人」ではない。
だが、この灰色地帯では金を稼ぐこと以上に、恨みを買わないことのほうが重要だということをよく知っている。
揉め事を避け、人との関係を大切にする。
そういった生き方が、法も秩序もあやふやな東南アジアで彼が長くやってこられた理由だった。
彼の仕事は、簡単に言えば「橋渡し役」。
依頼を適任者に繋ぎ、その中から手数料を抜く。
戦闘力は高くないが、一応はれっきとした能力者であり、慎重でトラブルを避けるその性格から、黒市でも珍しく信頼のおける仲介屋とされていた。
今回も、いつも通り依頼を適当な人間に流すだけのつもりだった──
だが、今回の依頼はそう簡単にはいかなかった。
能力制御装置を外すには、能力者が直接現地に出向く必要がある。
そして日本は──政治が安定し、制度が厳格に整備された国。
能力者にとっては最も近づきたくない場所だ。
万が一発覚すれば、投獄はおろか、テロリスト扱いされる恐れすらある。
当然、マークは依頼を断った。
「……運が悪かったな。もう打つ手はないだろう。」
通話を切ったあと、マークはため息をつきながら頭を振った。
顔も知らぬ依頼人だが、あの電話越しの懇願の声は、必死に水面を叩く溺れかけの者のようで、少なからず胸を打たれた。
そのときだった──
「プルルルル……」
再び電話が鳴る。
今度は、低く落ち着いた──しかしどこか命令口調を含む男の声だった。
相手がいくつかの単語を英語で口にしただけで、マークはすぐに「自分が逆らってはいけない人物」だと悟った。
男の指示を最後まで聞き終え、マークはしばし沈黙。
そして電話を置くと、冷や汗をかいたまま、別の番号に発信した。
──
一方その頃、ヤーセンは一人で海を眺めていた。
鏡のように静かな水面。
そこに、携帯の着信音が響く。
画面に表示された名前は「マーク」。
つまり、仕事だ。
正直なところ、ヤーセンにとってはもう十分すぎるほどの報酬を手にしていた。
この地を離れる決意もしていたし、そろそろ“後始末”の段階だった。
だが、彼は義理を欠くような男ではない。
東南アジアに来たばかりの頃、マークにはずいぶんと世話になった。
「……最後の一件ってことにしておくか。」
そう呟いて電話を取る。
依頼の内容を聞き終えたヤーセンは、静かに口を開いた。
「……日本に潜入か。少々、厄介そうだな。」
「心配いらない。書類の手配は済んでる。信用できる奴に頼んで、偽造証明を用意してある。
君がやるのは、日本に入って依頼人の妻の装置を外すこと。それが済んだら、二人で飛行機に乗って国外脱出すればいい。」
マークの説明を聞いたヤーセンは、しばらく黙ったまま海の向こうを見つめた。
やがて目を細め、小さく息を吐く。
「……まぁ、旅行と思えば悪くない。
次の目的地はまだ決まってなかったし、日本ってのも悪くないか。」
「出発は、二週間後だ。」
「二週間後……?」
ヤーセンは眉をひそめる。
“二週間後、日本で何かが起きる”──そんな話をどこかで聞いた気がした。
けれど、それが何だったのかまでは思い出せない。
「……了解した。」
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