第3話

「それなら、残念だけど君の力にはなれない。」


電話の向こうから聞こえたその言葉に、男の落ち着いていた心は大きく揺さぶられた。彼は分かっていた。チャンスは一度きり。逃せば、二度と誰も手を差し伸べてはくれないだろう。だからこそ、男はすぐに拒絶の理由を問いただした。


「なぜですか?もし金の問題なら、妻と私には多少の蓄えがあります。高額な報酬にも応じられるはずです。」


男は理解していた。能力者の密出国を手助けするとなれば、相当なリスクと報酬が伴う。自分は裕福とは言えないが、能力者である妻はそれなりの資産を築いていた。たとえ法外な額であっても、支払えない金額ではないはずだ。


「いや、金の問題じゃない。君は事態を甘く見ている。」


「君の彼女……いや、妻は能力者だろう? それがどういう意味か分かっているか? 能力者はその力を制御する装置を常時身につけさせられていて、それはネットワークに常時接続されている。四六時中の監視ではないが、能力を発動すれば即座に監視センターに通知が行く。そして知っての通り、あの装置は常に目立つ場所につけなければならず、しかも政府の認可がなければ取り外しはできない。」


「つまり、君の妻が国を出るには、まずあの装置を取り外さなければならない。でも、それがほとんど不可能に近いんだ。」


電話越しの説明に、男は一気に力が抜けるのを感じた。


「それに、能力者の密出国は重罪だ。ただの密航じゃ済まされない。君がすべきなのは、密航の手段を探すことじゃなくて、彼女と別れることだ。……じゃあ、この電話はなかったことにしよう。」


そして通話は切れた。


……


男の希望は潰えた。ようやく掴んだはずの最後の綱は、あまりにもあっけなく断ち切られた。まるで深い絶望の淵に再び突き落とされたようだった。


男はいつ妻を愛したのか、もう覚えていなかった。ただ、気がつけば二人の関係は深まっていて、能力者という身分ゆえに、人目を忍んで夜遅くにしか会うことができなかった。誰にも祝福されることのないまま、彼女の提案で密かに挙げた結婚の儀式。神の前で彼女が誓ったあの言葉は、今でも彼の胸に深く刻まれている。


二人はこれまでずっと注意深く、誰にも知られずに過ごしてきた。だが、最近になって彼女の妊娠が発覚し、すべてが変わった。今はまだ隠せていても、そう長くはもたない。病院に行けば、妊娠はすぐにバレてしまう。そして、もし胎児の父親が無能力者であると判明すれば、「先天的異常のリスク」などと理由をつけられ、中絶を強制される恐れがある。二度と彼女に会えなくなるかもしれない――その考えが、男の心をずしりと沈ませた。


うなだれた男は、絶望に身を任せるしかなかった。


その時だった。


「ピピピピ……」


電話の着信音が鳴り響く。


男は気力を振り絞って電話を取った。すると、次に聞こえた言葉が、彼の心の闇を一気に払った。


「君の奥さんの件、方法がないわけじゃない。ただし――問題は、君にその代償が払えるかどうかだ。」

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