イエスとブッダのいる王国

【短編寓話】イエスとブッダのいる王国

　俺は王だ。俺はこの国で一番偉いので、気に入らない奴は誰でも処刑（しょけい）できる。特に、俺の地位を脅（おびや）かすものは決して許さない。

　ある日、俺のもとへイエスがやってきてこう言った。「この世界はすべてが神によって支配されています。神とは全知全能（ぜんちぜんのう）の偉大な存在です。」

　神？誰だそれは？俺は見たことも聞いたこともない。そんな奴がいるのなら、王国で一番偉い俺のもとになぜ真っ先に現れない？

　イエスはこう続けた。「誰も神には逆らえません。あなたも自分の行（おこな）いを悔（く）い改（あらた）めて神に従（したが）うべきです。」

　ふざけるな！そんな真実かどうか確かめようもない話など信用できるか。王国で一番偉いのは俺だ！誰にも従う気はない！こんな話を広められたら俺の地位が脅（おびや）かされる。

　俺は直（ただ）ちに臣下（しんか）に命じ、イエスを捕（とら）え、磔（はりつけ）にして処刑（しょけい）した。

　次に俺のもとへブッダがやってきてこう言った。「この世界はすべてが法で支配されています。すべては永遠ではないという法です。」

　法？確かにそれは正しいだろう。俺であろうと平民（へいみん）であろうと、鳥も獣（けもの）も木も花も、すべては死ぬ運命にある。

「誰も法には逆らえません。あなたも法に従わざるを得ないでしょう。」

　ううむ、確かに王たる俺であろうとも、死の運命には逆らえん。まったく嘆（なげ）かわしいことだ。

　ブッダは続けた。「他にもあります。行動には必ず結果が伴（ともな）うという法です。」

　確かにその通りだ。努力して良い行動をとれば良い結果が、怠惰（たいだ）で悪い行動には悪い結果が伴（ともな）う。これらの法は、俺でも普段（ふだん）から感じていることだ。なんと、法とはまぎれもない真実ではないか。嘘（うそ）くさいイエスの話とは大違いだ。どうやらブッダの話は信用できそうだな。

　ブッダは言った。「法を学び、魂（たましい）を克服（こくふく）するのが仏教です。」

　おお、素晴（すば）らしい！俺は立ち上がった。その仏教というやつは、わが王国にとって有益（ゆうえき）であるに違いない。俺は直（ただ）ちにブッダへ巨額（きょがく）の投資（とうし）を決め、臣下（しんか）にも仏教を学ぶように命じた。

　●

　俺たちは平民（へいみん）だ。生活は苦しい。飢（う）えと病気で周りの人たちが次々に死んでいる。俺たちもいつまで生きていられるかわからない。

　ある日、俺たちのもとへブッダがやってきてこう言った。「この世界はすべてが法によって支配されています。すべては永遠ではないという法です。」

　うるさいよ！そんなことは言われなくても十分わかってる！こっちは今まさに死んでいってる真（ま）っ最中（さいちゅう）だ。

　ブッダは続けた。「他にもあります。行動には必ず結果が伴（ともな）うという法です。」

　なんだと！俺たちが苦しい生活を送ってるのは、俺たちの行動が悪いからだというのか！王はあれほど悪い行動をとりながら、良い思いばかりしてるというのに。ふざけたことを言いやがって！

　俺たちはブッダを殴（なぐ）ってやろうと思った。だが待（ま）て、ブッダは王に気に入られている。ブッダを殴（なぐ）れば、俺たちは王に処刑（しょけい）されてしまうかもしれない。まったく、何もかもが憎（にく）たらしい奴だ！

　俺たちはもうそれ以上ブッダの話を聞く気にはなれなかった。聞いているフリだけして、あとは無視（むし）した。

　長々（ながなが）とした話を終えると、ブッダは満足（まんぞく）した顔で帰っていった。俺たちが仏教とやらの素晴（すば）らしさを理解したと思ったのだろう。馬鹿（ばか）め！誰が理解などしてやるものか！

　次に俺たちのもとへイエスがやってきた。俺たちは驚（おどろ）いた。イエスは王に処刑（しょけい）されたはずだが、噂（うわさ）によると墓（はか）の中からよみがえったという。そんなことがあり得（え）るのだろうか？

　イエスは言った。「この世界はすべてが神によって支配されています。神とは全知全能（ぜんちぜんのう）の偉大な存在です。」

　それはすごい奴だな。だが本当だろうか？俺たちは見たことも聞いたこともない。

　イエスはこう続けた。「誰も神には逆らえません。あなたたちも王も神の前では平等（びょうどう）な存在です。」

　そうだとしても、俺たちの立場はそう変わらないだろう。今だって王には逆らえないのだ。いや、あの王にはうんざりしてる。神というやつは、王よりはマシなのか？

「神を信じて周りの人たちを愛するなら、神は皆さんを天国へ連れて行ってくれるでしょう。誰でも、身分（みぶん）の分（わ）け隔（へだ）てなく。」

　イエスの話はまったく信じがたい話ばかりだが、なにやら希望の光は燦然（さんぜん）と輝（かがや）いている。救いのないブッダの話とは大違いだ。どうやらイエスの話は聞く価値がありそうだ。

「神を信じ、魂（たましい）が救済（きゅうさい）されるのがキリスト教です。」

　おお、素晴（すば）らしい！俺たちは立ち上がった。どうせここでじっとしていても、俺たちはただ死んでいくだけなのだ。ならば、キリスト教というやつを信じてみよう。

　●

　こうしてこの王国では、平民たちはキリスト教を信じて、貴族（きぞく）たちは仏教を学ぶようになりました。ああ、いつの世も庶民（しょみん）とエリートは解（わか）りあえないものなのでしょうか。

　●

　その後、平民たちの間で不思議（ふしぎ）なことが起こりました。バラバラだった平民たちは、やがて互いを愛し合い、みんなでまとまって力を合わせるようになりました。なぜなら、周りの人たちを愛する者こそが神に愛される――そうキリスト教で学んだからです。

　一方、貴族（きぞく）たちの間にも不思議（ふしぎ）なことが起こりました。高慢（こうまん）だった貴族（きぞく）たちは、やがて慎（つつし）みを覚（おぼ）え、「努力して良い行動をしなければならない」と考えるようになったのです。

　貴族たちは“名誉（めいよ）”を合言葉（あいことば）に、財産（ざいさん）を惜（お）しげもなく投げ出し、貧（まず）しい平民たちを救おうとしました。なぜなら、財産（ざいさん）をため込んでいても死の運命には逆らえないし、かえって死が怖くなる――そう仏教で学んだからです。

　彼らは知恵を絞り、多くのものを作り出しました。学校や病院、技術や産業、そして人権思想（じんけんしそう）までも。

　それによって、平民たちは次第（しだい）に飢（う）えと病気から解放（かいほう）されていきました。さらには、文字を読み、知恵をつけることもできるようになりました。

　そして平民たちは、より多くの仲間を集めて、ますます強い力で団結（だんけつ）していきました。

　平民たちはキリスト教を、貴族たちは仏教を信じ続けました。そしてこの二つは、いつしか見事（みごと）に調和（ちょうわ）していったのです。

　それはやがて、とても大きな力のうねりとなりました。気づけば、国中（くにじゅう）の誰も彼もが、「自由で、平等で、豊かな国」を目指して走っていたのです。

　――そして、とうとう、あの暴虐（ぼうぎゃく）な王を打ち倒すことができました。

　イエスとブッダのいる王国は、ついに豊かな民主主義国家（みんしゅしゅぎこっか）となったのです。

　●

　さて、あとになってから考えてみると、あの王は暴虐（ぼうぎゃく）ではありましたが、とても賢い王でもありました。彼の見立ては、すべて当たっていたのです。

　キリスト教は、やはり王の地位を脅（おびや）かしました。そして仏教は、やはりこの国にとって有益（ゆうえき）だったのです。

　また、あとから思えば、イエスとブッダのどちらか一人でも欠けていたなら、この国は成功しなかったでしょう。

　イエスがいなければ、たとえ国が豊かになっても、平民たちは力を合わせて王を打ち倒すことができなかったはずです。きっと今でも、みじめな思いをしていたことでしょう。

　一方、ブッダがいなければ、国そのものが豊かにならず、平民たちは知恵をつけることもできなかったでしょう。そして、たとえ王を倒しても、次に現れるのは、愚（おろ）かな平民による新たな暴君（ぼうくん）だったかもしれません。

　イエスとブッダは、いつの間にかこの国を去りました。行方（ゆくえ）を知る者はいません。

　やがて、人々は豊かさと幸せの中で、この二人のことを忘れていきました。

　――しかし、神と法は、今でも世界を支配しています。

　死んだわけではありません。