第2話





 今朝は曇っていた。

 雲のせいで少し暗い教室は、なんとなく落ち着く。


 **


「『心』はどこにあると思いますか?」


 教師の声に、何人かのクラスメイトが顔を見合わせる。

 道徳の時間。今日はAI倫理の一環として、『人間の心とは何か』というテーマで授業が行われていた。


「心臓ですか?」

「いや、脳だろ。感情とか全部あっち系でしょ」

「でも、そういうのって、ロボットにもつけられるんじゃないの?」

「ってか、『心がある』って誰が決めんの?」


 机の上で指を組みながら、僕はなんとなく、話を聞いていた。

 いや、耳には入っていたけど、どこか遠くで響いてるだけだった。


「じゃあ、ハルくんはどう思いますか?」


 不意に、僕の名前が呼ばれる。教室がわずかにざわつく。

 少しだけ間を置いてから、僕は言った。


「……わかりません」


 教師は優しく笑っていたけれど、クラスの誰かが「らしい」って呟いたのが聞こえた。


 **


 放課後、昇降口で靴を履き替えていると、花音ちゃんがとなりに来た。

 手にしたスマホには、見慣れたニュースのロゴ。


「ハルくん、またヒューマノイドの暴走だって。今度は中国の企業製らしいけど」


「……そっか」


「あのさ、ハルくんって、たまに『人間じゃないみたい』って言われない?」


 唐突な質問だった。でも、花音ちゃんは悪意なく聞いている。

 僕は少しだけ考えてから、微笑んだ。


「それ、褒めてる?」


「んーん、ちょっとだけ寂しいって思っただけ」

 花音ちゃんはそう言って、ピースサインを残して帰っていった。


 **


 夕方、家に戻ると、いつものように甲斐が出迎えた。

 今日はグレーのパーカーにエプロン姿。髪は相変わらず爆発してる。


「おかえり。手洗え。んで飯」


「……ただいま」


 テーブルには焼きサバ、味噌汁、卵焼き。和風だった。


「卵焼き、今日甘くない」


「朝『甘いのくどい』って言ったの、お前な」


「でも今日の気分は甘いだった」


「……お前なぁ」


 甲斐は不満げにため息をつきながらも、僕の湯飲みにお茶を注いだ。

 それを見て、胸の奥が少しだけ痛くなった。何かを言いたいのに、言葉にできない。


「ねえ、甲斐」


 箸を置いて、口を開く。


「なに」


「……僕のこと、どう思ってる?」


「は?」


「きみ、僕のこと、本当はどう思ってるの?」


 沈黙。

 甲斐はしばらく黙って、目線を逸らした。


「なんだよ。急に」


「ねえ、教えてよ。僕はマリアの代わりなの?

 それとも、きみにとってはただの……責任?」


 その瞬間、甲斐の眉が僅かに動いた。

 でも彼は、何も言わなかった。ただ黙って食器を片づけ始めた。


「……なんでもない。もういいよ」


 言った自分が一番わかってる。これは、答えがほしいんじゃなくて、ただ、

『怖い』だけだ。


 **


 夜。

 眠れなくて、外に出た。


 ほんの少しだけ歩くつもりだった。

 近くの公園、街灯の下。誰もいないブランコに座る。


 そこで、彼に会った。


「あれ?またきみか」


 あの男だった。甲斐にそっくりの、でもどこか狂った目をした男。

 手には何も持っていなかったけど、血の気のない声だけで、十分に怖かった。


「ねえ。きみ、心ってどこにあるか知ってる?」


 僕は言葉が出なかった。


「僕ね、ずっと探してるんだよ。でもどこにも、ないの。

 だから、もしかして、きみが持ってるのかなって」


 笑ってた。

 でも、笑ってる目じゃなかった。


 足が震えて動かない。息が苦しくて、喉の奥が震えたそのとき。


「……ハル!!!」


 甲斐の声が、雷のように響いた。


 男はこっちをちらりと見たあと、ふっと背を向けて、闇に紛れて走り去った。


 甲斐が駆け寄って、僕を抱きしめる。

 無言で、ただ、その金属の体温で。


 僕はようやく、声を絞り出した。


「……怖かった」


 **


 次の日の朝も、晴れていた。


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