辺境の街

 アリスを含めた一行は、一旦本邸に通された。

 1歳になるまでアリスに接していた辺境伯家の人たちは、一様に笑顔で迎えてくれた。


「すっかり綺麗なお嬢様になられて」


 乳母だったという女性がメイドとして邸に残っていて、伯爵が彼女をアリスのいる応接に呼んだときには入ってくるなり泣き崩れてしまった。

 この地の記憶はアリスの中には残っていなかったが、まだ乳飲み子であったアリスを覚えている者が多数いて、こうして成長したアリスを見て喜んでくれる。それが嬉しかった。


 宿泊にと用意された別邸は、小さいながらも過ごしやすく整えられた美しい邸だった。中庭を囲うように建てられた邸は、窓が多く採光もよく温かい部屋であったが、ぐるりと森に囲われた守りは辺境らしい強固なものだった。


「秘する姫を囲うには最適だね」


 ディートハルトは別邸をそう評した。

 アリスは別邸で、実の母とここで暮らしたのだと思うと、決して生まれたことを忌避されていたわけではないのだと思えた。こんなに温かく明るい部屋で、アリスは1年を過ごしたのだ。


 しかし、長く郷愁に浸るわけにはいかなかった。最終目的地はここではないからだ。

 ヴィリス帝国の辺境伯家で、イスブルグ王国でのアリスの待遇について改めて説明を受けた。

 

 次に滞在するイスブルグの辺境伯家には、イスブルグ王国への留学をする目的で預けられる。グラーツ伯爵家とクラヴェル公爵家は国は違えど遡れば遠縁にあたるから、アリスがクラヴェル公爵令嬢として滞在するのには問題がないとされた。

 そして、辺境を守るグラーツ伯爵家は、主な機能はすべて辺境にあるが、次男が王都に邸を構えて王都との連絡役をしているという。

 アリスはその王都の邸に滞在して、10歳から12歳までの貴族の子が所属する学府へ通う。

 グラーツ伯爵家の現当主に、アリスとほぼ同じくらいの年の子供がいて、その子供と一緒に通うこととなる。

 そして、アリスの実母であるアンネリーゼが後妻として嫁いだ一件について、表向きは『病を得て療養が必要なため』となっている。しかし、同じころに学園へ通っていた者の中には、隣国の皇太子との仲睦まじかった様子を覚えている者もいて、様々な憶測が今も囁かれていることも伝えられた。


 アリスは公爵令嬢だ。それなりに教育も受けて来ているが、あくまで机上のことで経験がない。悪意ある噂が耳に入った時、対処できるよう、今ある情報は出来る限りアリスに渡されたのだ。


「彼方に行かれたら、私どもはお守りできません。くれぐれもご自身をしっかり持っていただきますよう」


 出立前に辺境伯から掛けられた言葉だ。


「ありがとうございます。また、戻る際にはお世話になります」


「頭を下げてはなりませんよ、アリス様。毅然となさいませ。わたくし共がアリス様のお世話をするのは光栄なことなのですから。クラヴェル家と所縁有る我が家ですもの」


 アリスが小さく頭を下げると、夫人が駆け寄ってアリスの肩をそっと押した。アリスにはその夫人の慈愛に満ちた笑顔が有難かった。



 

 送り出されたアリス達は、国境にある峠を越えて、イスブルグ王国へ入った。

 国境にある砦ではディートハルトの同行が功を奏して、さほどの検閲も受けずにすんなりと通ることができた。

 三番目とはいえ一国の王子と、力関係では上のヴィリス帝国筆頭公爵家の娘を含む一行だ。護衛も含めてかなりの人数がいるにも関わらず、ここまであっさりと国境を越えられるのは、ディートハルトが事前に手配をしていたのだろう。


 そうしてイスブルグ側の峠の麓に、最初の目的地であるグラーツ辺境伯領の城門が見えた。

 技術の流出を一番の難敵とする王国は、辺境の守りが固いと言われている。国境の検問を通過した後は、必ず辺境を領地とする貴族家の検閲を受けなければならない。

 関所のような城門を入ると、小さな街が広がっている。山を越えて他国から来るものをという意味と、一定この地に留めることで調意味合いとを兼ねた街である。ぐるりと町全体を城壁が覆っている一帯は、入る時は比較的簡単なれど、出るときには、検閲の結果次第では留め置かれることも有ってそう簡単ではない。

 いざという時には城門を閉じ、籠城できるような造りであるが、普段は、旅の者や周辺からの買い物客などで活気に溢れている。この城塞都市はこの地域で一番の商業都市なのだ。

 その街を抜けた少し高台の一角に、グラーツ辺境伯の邸がある。街より一段高い位置に建てられたその邸は、城塞都市の中でもひときわ堅牢な城のような建物だった。

 華美な装飾は一切見られない機能美だけを求めたような外観。それはある種畏怖の対象にもなりえるほどの存在感だった。

 あそこに囚われたらきっと逃げられない。辺境を守る城は、そうした空気を前面に見せる造りであった。


 アリスがその城門を潜ると、肌に当たる空気が違うように思えた。

 それは、アリスの心の温度だったのかもしれない。

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