元婚約者の新しい婚約者
アリスは、その
そのアリスの様子を見ていた目の前のベシエール公爵夫人が、少し眉を下げて申し訳なさ気に笑った。
「リオノーラと申します。ディートハルト殿下とアリス様にご挨拶申し上げます」
女性は美しい礼を見せ、二人に頭を下げた。
茶色の髪に茶色の瞳。地味にも見えるその色味を纏う顔立ちは、穏やかで優し気。小作りな顔に可愛らしさの残る造形は、おそらくシルヴァンと同世代の女性であると思われるのに年上にも年下にも見える不思議な魅力があった。
顔を上げた彼女は、その丸い大きな目を細めて、アリスを見た。
「なんて可愛らしいのでしょう。シルヴァン様は勿体ないことを」
リオノーラはそういうと、アリスに目線を合わせるように少し屈んだ。
近くで見るとリオノーラの茶色の瞳には、榛色の虹彩が見えた。濃い茶色に美しく筋が入り、森を思わせる色だった。
その瞳を優し気に細めて、ふわりと笑う。そんな彼女に、アリスはしばし見惚れて、はっと我に返った。
「アリス・クラヴェルと申します。ご挨拶遅れて申し訳ありません」
「いいえ、こちらこそ不躾にお顔を覗き込んでごめんなさい。アリス様がとても可愛らしくて。もっと近くで見てみたくなってしまったのですわ。お許しください」
にっこりと笑いながらリオノーラは手を差し出した。アリスは恐る恐るディートハルトから手を放して、リオノーラの手に自身の小さな手を乗せた。
細く嫋やかな指先が、アリスの小さな手を包み込む。温かい手は彼女の人柄を表しているような気がした。
きっとリオノーラは、アリスがシルヴァンの元婚約者であることを聞かされているのだろう。他国の令嬢でありながら、このベシエール公爵家でアリスとディートハルトと対面することが許されている。
そして、シルヴァンの新しい婚約者なのだ。
「リオノーラ、アリスはあまり外の者と逢ったことがないんだ。いきなり距離を縮めると吃驚してしまう」
シルヴァンが心配げにそういうと、
「でもシルヴァン様、アリス様はちゃんとわたくしの手を取ってくださいましたわ。こんな可愛らしいお方と、仲良くしないなんて、わたくしにはできません。お逢いできた今日のうちに、わたくしを覚えていただきたいの」
アリスの手を引き寄せて、リオノーラはシルヴァンにそう返した。
その様子にアリスは思わず、クスッと小さく笑ってしまった。
あのいつも動じず、冷静に見えたシルヴァンが、リオノーラの返答に困った顔を見せたからだ。
「アリスは私の妹のような存在なんだ。もちろんリオノーラとも親しくなって欲しいとは思っているよ。思っているけれど」
「ではよろしいではありませんか。今日はそのためのお茶会でしょう?
わたくしの席はアリス様の横を希望しますわ。侯爵夫人、よろしいでしょう?」
多少強引とも思えるリオノーラは、そのままアリスの手を引いて席についてしまった。もちろんアリスを横に。
アリスは、横に座ったリオノーラから、ハイラント王国から持ち込んだお菓子の話を聞いたり、リオノーラがこちらの国に留学していた交換留学生だったことを教えてもらったりして次第に打ち解けていった。初めはシルヴァンの新しい婚約者だということで構えていたが、リオノーラの穏やかな語り口や、シルヴァンと同じ18歳の、それも高位貴族として教養のある女性らしい心遣いに触れているうちに絆された。
リオノーラはアリスがまだ10歳の少女であるにもかかわらず、あまり子ども扱いをしなかった。それはいつも年下として愛でられてきたアリスとしては新鮮であった。
茶会は、リオノーラを中心とした穏やかな空気の中でお開きとなった。
シルヴァンの隣に立つリオノーラを見ると、アリスの胸にチクリと痛みが走るけれど、シルヴァンの彼女に対する表情を目の当たりにしたアリスははっきりと自分との違いを痛感した。
もう自分の居場所はここにはない。
シルヴァンの隣はリオノーラのもの。アリスにはもう権利がないのだと、そう理解せざるを得なかった。
おそらく、この茶会は、アリスにシルヴァンを諦める切っ掛けを与えるものだったのだろう。シルヴァンはリオノーラをアリスに会わせることで、アリスの心にリオノーラという存在を植え付けた。
シルヴァンの婚約者は決してアリスを邪険にはしない。例え、アリスがシルヴァンを兄と慕ったとしても、それを微笑ましく受け入れる。そして姉のような存在としてアリスを受け止める。
そんな人なのだと、アリスに伝えたかったに違いない。
アリスは、ベシエール公爵邸を出るまでは泣かないと決めていた。現実としてシルヴァンが他の人と添うことを目の当たりにして、動揺したことを公爵令嬢として表に出してはならないからだ。
そして、新たな道を行くシルヴァンに、最後に見せる顔が泣き顔であってはならないから。
アリスは、笑顔でシルヴァンとリオノーラに別れの挨拶をした。
帰りの馬車の中、アリスはぽろぽろと涙を零した。
「泣いていいよ、アリス。泣いていい。今はしっかり泣くんだ。いまアリスの中にあるものを全て流してしまうまで」
「ディー様っ……」
ディートハルトは、アリスが泣き止むまで隣で何も言わずにただ手を握ってくれた。
その温かさが、アリスには嬉しかった。
アリスの涙が納まったころ、ディートハルトはアリスの顔を覗き込んでこう言った。
「アリス、僕の国においで」
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