閑話:ベシエール公爵家 ①

 シルヴァン・ベシエールは、公爵家の嫡男として生を受けた。

 ベシエール公爵家は、ヴィリス帝国の古参の貴族の一つであり、長く皇家を支える柱の一つであった。

 ベシエール公爵家は、帝国では珍しく代々武を継承している家である。帝国は、基本は実力主義であり、親が要職にあるからと言って子が継承できるわけではない。事実、文官にしろ武官にしろ、実力がなければ相応の地位に就くことはできない。子に同じ道を歩ませたければ、資質を見極め、厳しい教育を施さねばならないのだ。そんな中にあって、ベシエールは代々、同じ武の家と姻戚を結び、血統的に武に寄った家系を維持してきた。

 公爵であるシルヴァンの父親は帝国軍の長を長年務めており、厳格で公正な人柄が多く国民から支持を受ける常識人だ。事実、シルヴァンの母も、武の家門出身の伯爵令嬢であり、結婚前は女性騎士として皇城に勤めていた。

 ベシエール家は武人の家らしく、貴族家でありながら、質素な生活を良とし、贅沢を好まない家風でもあった。母も倣って同じような教育を受けた家から嫁入りしたので、シルヴァンは、貴族の子でありながら、必然的に着飾ったり遊興に浸ったりするような子供には育たなかった。

 シルヴァン自身は、貴族らしい贅沢をしない質素な質にもかかわらず、高位貴族であるが故、また、母譲りの端正な容姿故、貴族令嬢たちの婚活市場では優良物件だった。


 ただ、彼には、8歳の時に決められた婚約者がいた。相手はクラヴェル公爵家の末娘。その子が産まれたばかりの時にシルヴァンは皇家からの勅命により婚約者となった。

 相手は所謂『訳アリ』だった。しかし、その訳を知っている家は限られる。

 

 最初、ベシエール家はその娘の親となることを希望していた。 何せ、子供はシルヴァンしかいないのだ。

 無骨な武人であり、見た目も大柄で強面のベシエール公爵の本来の姿は、家族思いで子供が大好きな心根の優しい男である。

 シルヴァンのことももちろん可愛がってはいるが、女の子も欲しかった。その願望が強くて、皇家から三公爵家に赤子引き取りを打診されたときは一番に手を挙げた。

 公爵夫人は、もともとぎりぎりまで騎士として働いていたことも有って、シルヴァンを身籠った時、すでに貴族社会で言われるところの出産適齢期を過ぎていた。さらに殊の外第1子の出産が重く、最終的に腹を切って子供を取り出したため、二人目は望めなくなった。

 そう、本来なら、シルヴァンの妹として望んだ子。それがシルヴァンの婚約者だ。


 クラヴェル公爵家に引き取られた子は、アリスと名付けられた。

 複雑な事情の元に生まれた彼女は、将来的にはこの国には残らないことが決められていた。必ずベシエールの血を残さねばならないシルヴァンとは相容れない存在だ。

 それでも皇家は、アリスが事情を知らない他家と婚約をしないよう、シルヴァンとの婚約を整えた。仮初めの婚約である。


 当時8歳のシルヴァンは、まだ赤子のアリスに対面している。帝国にはあまりいない透けるように白い肌と、白銀の髪。瞼を開けば、薄い紫色の瞳。まるでおとぎ話の妖精のようなアリスに、シルヴァンは『守るべき存在』と認識した。

 儚く溶けてしまいそうな容姿。まだ赤ん坊のアリスは、泣き声も弱々しくて小さく儚い存在だった。

 妹がいたら、こんな感情なんだろう。この小さな存在を傷つけるもの全てから守ってやりたい。この小さな手に握る未来を守りたい。シルヴァンは強くそう思ったのだ。


 クラヴェル公爵家から、ある程度の分別が付くまでは交流は見合わせて欲しいと申し出があって、正式に婚約者だと紹介されたのはシルヴァンが13歳、アリスが5歳の時だった。

 しばらくぶりに見たアリスは、小さな淑女になっていた。すでに公爵令嬢としての教育は始まっていて、最初クラヴェル夫人の後ろに隠れて出てこなかった以外は、挨拶も礼儀も5歳ながらに綺麗に熟していた。


 ベシエール公爵家は、久しぶりに見たアリスに『やはり娘に欲しかった』と涙した。両親ともに子煩悩である。シルヴァンは両親の愛は重たいほどに分かっていたし、自分以外に子が欲しかっただろうことも知っている。

 このままアリスを娶ることができれば、両親は本当に喜んだだろうが、この婚約はあくまで仮初めであった。両親が涙するのも理解が出来た。


 遠からず近からずの距離で茶会を重ねるうち、シルヴァンの中でアリスは絶対的な妹としての存在になった。

 笑う顔は愛おしい。小さな彼女は、シルヴァンだけでなく、シルヴァンの父と母の心もがっちり掴んだ。

 アリスは真っ直ぐな子供だった。素直とは少し違う。クラヴェル公爵家の面々と自分の容姿にはかなりの違いがあることは早々に気付いたと思われるのに、それは家族から与えられる愛情の前では大きな意味を持たないものとして、彼女は自分の中に落とし込んでいた。

 それは卑屈な感情ではなく、どこかそれが最初から当たり前のように受け入れていた。

 シルヴァンとの婚約も、このままシルヴァンとは将来を伴にするのだと正面から受け止め、シルヴァンに子供ながらの真っ直ぐな愛情をもって接してきた。


 だから、シルヴァンは、アリスが生まれた時に決まった運命さだめが、国家間の情勢により変わるのなら、このままアリスを娶ってもいいのではと思うようになっていた。

 夫婦はいずれ家族愛に昇華する。だから、最初から家族として愛しているアリスを伴侶とすることに違和感はないとその時は思っていた。

 

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