笑顔の決別

 触れたアリスの手を、シルヴァンの手が握った。小さくて白い手は、シルヴァンの大きな手にすっぽりと包まれる。

 暖かくて大きな手だ。その温かさにアリスは滲む涙をぐっと堪えて微笑んだ。


「ずっと、お兄様で居てくださるでしょ?」


「もちろん。私もアリスのことはずっと大切だ。一生大切に想うよ。

 君はこんなことを言ったら怒るかもしれないが、本当の妹だと思っていた。私にはきょうだいがいない。アリスは私のたった一人の妹なんだよ。

 顔合わせは君が5歳の時だったが、実はその前、君がまだ乳飲み子だったころに会わせてもらった。一目で大切な存在になったよ。小さな君をずっと守っていくんだと思った。それは今も変わらない気持ちだ」


「わたくしもずっと兄だと慕うわ。できれば、シル兄様の大切な人とも仲良くしたいの。紹介してくださる?」


 アリスはちょっとだけ首を傾げてシルヴァンに問う。目尻を下げて小さく笑ったシルヴァンが、大きく一度頷いた。


「ああ。ぜひ会って欲しい。素敵な人だよ。きっとアリスと仲良くなれると思う。ただ…」


 一瞬、シルヴァンが言葉を躊躇った。


「実は、この解消が為されてからでないと、あちらに申し出ができなくてね。ただの友人となる可能性もある」


「え?」


「他国の令嬢なんだ。それも王命で婚約者がいる。おそらく破談になるだろうと見越しているが、私が相手になれるとは限らない」


「兄様ほどの人でも駄目なの?」


「あちらの王族の血が濃い人でね。すんなりとはいかないだろうな。今はまだお互いに婚約者がいる者同士だ」


 シルヴァンの言葉に、それでも彼がその人を望むのが分かった。

 シルヴァンは、この国の3大公爵家の跡取りだ。おそらく皇位継承権も低いながらも持っているだろう。

 相手の令嬢も、王家の血筋が濃いという。すでに決められた婚約者とはおそらく幼少期からの政略的なものだったのだろう。


「兄様、それでも手に入れたいと願う人なのでしょう?」


「アリス……」


 銀縁の眼鏡の奥、藍色の瞳が憐憫を帯びる。憐れんで欲しいわけではないが、シルヴァンの謝罪の気持ちは十分伝わった。


「シル兄様は、幸せにならなければならないわ。だって、ベシエール公爵家は兄様一人しかいらっしゃらないのだもの。繋いでいくためにも、兄様にはちゃんとした奥様が必要だって、わたくしにもわかるもの。

 だから、ちゃんと捕まえてくださいね、その素敵な方を」


「ああ、わかった」


 アリスの言葉に、シルヴァンがしっかりと頷いた。シルヴァンは貴族らしい考えも出来る聡明で自分を律する青年である。そのシルヴァンが大きな賭けに出ているには、勝算ありと見込んでいるからだろう。

 その相手に会える日も、そう遠くはないと思えた。

 

「アリス、君にも隣国に相手がいると聞く。私はまだどんな相手なのか知らないが、私もアリスの幸せを願っているんだ。もしその相手が決まったなら、私も会わせてもらっていいだろうか」


「……わたくしもまだ何も知らないの。もし、そういう相手が決まったとなったら、ぜひ兄様に紹介するわ。

 我が家のお兄様たちと、お姉様、そしてシル兄様がいいと言ってくれる相手でなければ、わたくしは彼方の国にはいかないわ」


 アリスの周りは過保護なものが多い。両親はもちろん、兄たちも姉も、アリスが幸せにならない選択はきっと許さない。

 それは、シルヴァンも同じだろう。ここまでこうしてアリスは守られてきた。


「必ず、そうして欲しい。アリスに相応しいかどうか見極める。もしろくでもない相手なら、必ず私が責任をもって他を探すよ」


 真面目な顔でそう言ったシルヴァンに、アリスは自然と微笑むことができた。

 それは、アリスを家族としてずっと見守ってくれる証であったし、それが嬉しくもあった。心の奥がズキリと痛いけれど、向けられる家族としての親愛は暖かく、最初に決めていた通り、シルヴァンには笑顔で別れを告げることができたことをアリスは安堵した。


 

 シルヴァンから解消を告げられた後、アリスは姉の元で涙が枯れるほど泣いた。そして、姉・エルヴィーヌはまるで自分事のようにアリスと一緒に泣いてくれた。

 シルヴァンへの想いを全部言葉にして、姉と一緒に泣き倒して、義母・ブリジットが用意してくれた甘い甘いお菓子をたくさん食べて、ただただ涙が出なくなるまで泣いた。

 

 程なくして、アリスとシルヴァンの婚約解消は無事に国に認められた。

 アリスには婚約者がいない状態となり、アリスには知らされなかったが、クラヴェル公爵家には他家からの釣り書きが多々届くようになった。

 クラヴェル公爵家はアリスの婚約について、時期を見て決定する旨を表明し、全ての釣り書きに断りを出した。

 それを皇帝も認め、クラヴェル公爵側が婚約者選定を開始したと宣言しない限りは、他家は手出しができなくなった。


 その後、シルヴァンは新しい婚約者を得た。

 交換留学生として帝国に来ていたシルヴァンと同じ年の隣国の公爵令嬢であった。

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