雫4粒 暴言姫の贈り物
「月島はどうした?誰か聞いてる者はいないか?」
担任の声が教室に響く。
翌朝のホームルームでの事だ。
何人かが互いに目をやるが、言葉にはならず、ただ首がわずかに横に揺れるだけ。答えるものはいない。
「そうか。珍しいな。」
その言葉を最後に、出席簿を閉じて教室を出て行った。
カツン、と扉が閉まる。
僕は立ち上がった。
ホームルームが終わって、ざわつく教室の通路を無言で進む。月島と仲の良さそうな子たちに、片っ端から声をかけていった。
目的は住所。
当然僕なんか、月島の連絡先を知っているわけもなく、地道に聞き込みをする事しかできなかった。
「……え、何それ……」
「うわ、キモ」
「月島さん、可哀想〜」
節々からそんな声が聞こえる。笑い声が上がるたびに、全部自分に向けられたもののように聞こえた。でもそんな事はどうでもよかった。
——どうしても会って謝りたい。
今朝にそうするつもりだった。しかし、叶わなかった。
僕のせいで彼女を傷つけてしまったかもしれない。そう考えると胸が締め付けられる思いだった。
……けれど、そこにあるのは罪悪感だけじゃないかもしれない。
僕はきっと、許されたいだけだ。
「僕のせいじゃない」と、その一言を欲しがっているだけだ。
気がつけば昼休みになっていた。
僕は屋上で、転落防止用の網を掴んで外を眺めいた。
網の金属が冷たくて、指先からじわじわと体温が奪われていく。
下を見れば、街が遠い。風が強くて、制服の上着の裾が翻った。
でも僕の中は、もっと荒れていた。
誰にも教えてもらえなかった。
きっと知ってる奴はいるに違いない。でも僕が男で、クラスでも日陰にいる存在だから教えないのだろう。賢明だ。
しかし、どうすればいい。もしかしたら——今この瞬間にも。
嫌な予感が耳元で囁くみたいに離れない。
首を振って追い払っても、また同じ声が頭の奥に滲み込んでくる。
「陽彦、そんなに思い詰めてると周りの空気を悪くするぞ。」
声がした。顔を上げると、いつの間にか隣に、幼馴染の桜井孝平がいた。
制服の袖をまくって、メガネをクイっと上げていた。
「うるさい。お前には関係ないだろ。」
「俺に当たっても仕方ないだろ。聞いたぞー、お前のしてる事。」
その時だった。屋上の扉が開いた。
ふわり、と風に揺れる金髪のツインテール。
視界に現れたのは、クラスメイトの一ノ瀬七海だった
制服のスカートの裾を押さえながら、無言で、真っ直ぐにこちらに歩いてくる。
肩までの髪が風に遊ばれて、まるで何かを振り払うように舞っていた。
クラスで書き込みの時には一ノ瀬にも声を掛けていた。
しかし冷たく突き放されてしまった。今度もきっとそうだろう——そう思いながら、僕は黙ってその視線を受け止めると、僕の目の前で立ち止まった。
「ん!」
「は?」
「ん!」
手元を見ると折り畳んだ紙切れを持っていた。
「……くれるのか?」
僕は唖然としつつそれを受け取ると、一ノ瀬は何も言わずに背を向けて去っていった。
去り際、ほんの一瞬だけ僕の目を見た。その目だけが、何かを言いたそうだった。
何なんだ──
紙を開くと、そこには住所が書かれていた。月島あずさの自宅と思われる住所が。
その字は驚くほど整っていて、伝えたい気持ちを、ただ“形”にしたような筆跡だった。
「へえ、意外だな。」
いつの間にか覗き込んでいる孝平が隣で言った。
「あの暴言姫がこんなことするんだ。」
暴言姫?
「なんだよそれ。」
「知らないのか?声かける度に棘のある言葉が返ってくるから、付いたあだ名が“暴言姫”」
僕は紙を見つめたまま、心の中がざわつくのを感じていた。
教室では一ノ瀬にも聞いていた。でもその時は周りと同じように、嫌味を言われたけれど、どういう事だろうか。
しかし、理由なんてどうでもいい。
こんな手がかりを渡してくれるなんて——明日は必ず礼を言おう。そう心に誓った。
「孝平、あと頼むわ!」
「は?!」
「僕は月島の家に行ってくるよ。」
「ちょっ!今からか?!」
「今だからだよ!」
屋上を駆け下りる。
これで月島に会えるかもしれない。そう考えると風が背中を押してくれる思いだった。
陽彦が出て行った後、姿の消えた屋上の扉を孝平は黙ったまま見つめていた。
一人屋上に取り残された孝平は、呆気に取られていたが、しばらくして空を見上げると呟いた。
「……青春かねえ。」
◇◇◇
僕は息も絶え絶えに自転車を漕いでいた。
スマホで検索した場所はあと少しの所だ。
何を言えばいい。どう伝えればいい。
答えは見つからないまま、それでも足は勝手に前へ出る。
頭の中は、月島のことで埋め尽くされていた。
『なんだ。少しは見れる姿になったの。』
エリムが意地悪そうな声で投げかけてきた。
「そうかよ。知らないと思うけど、僕はずっとカッコ悪いんだぜ。」
『知っておるよ。ハルがカッコ悪いなんて、あの夜からずっとの。』
僕はフッと笑うと釣られてエリムも笑った。
車輪と風の調和した音が耳に届く。
「ありがとな。」
『戯け。ちゃんと謝ってから聞きたいの。』
僕は目を伏せた。
「わかってるよ。」
しばらくすると坂の向こうに二階建ての家が現れた。風が止まり、遠くで犬が吠えた。
目的地、月島の家だ。
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