第9話 滅びの胎動
帝国の討伐軍が、整然と森へと侵入していく。
重厚な鎧に身を包んだ精鋭たち。
規律正しく編成された隊列には一切の隙がなく、行軍の足音さえ律動を刻むように揃っていた。
だが、森が迎えたのは、「戦い」ではなかった。
静かに――
まるで地の底から滲み出すように、瘴気が立ち上った。
それは靄となって森の地面を這い、幹を伝い、空へ昇り、兵たちの喉や鼻、皮膚の隙間からじわじわと侵入していく。
「っ……ぐぅ……!」
「身体が……重い、魔力が……!」
「結界が……張れない……っ!」
叫ぶ声が、呻きへと変わる。
兵士たちの顔色が見る間に蒼白になり、手足が震え、武器を支えきれずに落とす音が次々に響く。
魔法使いたちは必死に詠唱を始めるが、魔力の循環が断たれ、詠唱の構築すら途中で崩壊する。
精鋭と謳われた騎士たちでさえ、体を支えきれず、崩れるように膝をついた。
「指揮系統、破綻! 各隊、後退を――」
「……っ、誰か、聞こえ――」
通信も遮断され、連絡魔導器はすでに沈黙していた。
瘴気はただ、無言で命を削っていく。
兵士たちは、血の通わぬ人形のように、音もなく地に崩れ落ちていく。
地に刺さった槍が、倒れた者の体の重みで静かに傾き、鈍い音を立てて倒れた。
数百人の討伐軍――
その誰もが、敵の姿を見ることすらないまま、声も、希望も、死さえも音もなく、森に吸い取られていった。
◇
森の奥、祠の眠る洞窟の前。
アレンたちは岩陰に身を潜めながら、異様な気配を肌で感じていた。
「なんだ……この震動は……?」
洞窟の壁に手を当てたアレンは、確かな振動を感じ取る。
鼓動のように、断続的に伝わる震え。
まるで何かが――この森そのものが――胎動しているようだった。
壁画の中、銀髪の少女――ノエルアの像が、まるで実体を持ったかのように浮かび上がって見える。
(祠には触れていない……それなのに、どうして……?)
カイが低く唸った。
「瘴気の濃度が……あり得ない。防護魔法が焼けるように消える……!」
ケイトも顔をしかめ、結界の補強に追われながら呻く。
「……この森は、ただの異常区域なんかじゃない……!」
アレンは、ぎゅっと拳を握った。
脳裏に浮かぶのは、あの白髪の少女――リィナの笑顔。
(やはり……彼女が鍵なのか?)
だが、まだ確証はなかった。
今、確実にわかっているのは――
「……ここを離れるぞ」
低く、アレンは言い切った。
「祠がどうこう言っている場合じゃない。今すぐ、森を脱出する」
カイとケイトが頷き、三人は岩陰から飛び出した。
――その背後で。
祠の石扉が、音もなくひび割れた。
僅かな光とともに、内側から漏れ出すように瘴気が滲み出す。
森の空気が、低く、重く、脈打ち始める。
夜の闇よりも深い瘴気が、世界そのものを侵し始めていた。
滅びの胎動は、もはや誰にも――
止めることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます