第2話

「見て……いたのか……?」


「ええ……最初から、ずっと」


静寂が、痛いほど耳につく。

夕日が彼女のプラチナブロンドを燃えるような色に染め、翡翠の瞳だけが、異常なほどの熱を帯びていた。


「どうして、ここに……」


「あなたをつけてきたから」


悪びれもせず、エリザは言い放つ。

その足が、一歩、また一歩と、俺との距離を詰めてくる。

まるで、獲物を追い詰める肉食獣のような、しなやかな足取りで。


「昼間の、お礼が言いたくて。でも、あなたは誰とも話さず、一人でこんな場所に来るから……気になってしまったの」


「……用が済んだなら、帰ってくれ」


「嫌」


即答だった。

彼女の唇が、楽しそうに弧を描く。


「ねえ、教えて。今の、何? 詠唱も、魔法陣もなかった。それなのに、空間そのものを抉り取るなんて……神話の時代の魔術よ。伝説でしか聞いたことがないわ」


「……何かの見間違いだ」


「嘘。この目で、はっきりと見たもの」


エリザは俺のすぐ目の前で足を止め、ふわりと甘い香りが鼻を掠める。

彼女は、俺の胸にそっと手を当てた。

薄い制服越しに、彼女の指の冷たさと、心臓のうるさい鼓動が伝わってくる。


「あなた、本当は『無能』なんかじゃない。違うでしょう?」


吐息がかかるほど近い距離で、囁かれる。

その声は、非難ではなく、むしろ歓喜に満ちていた。

まるで、ずっと探し求めていた宝物を、ついに見つけ出したかのように。


「……もしそうだとして、それがどうした」


「どうもしないわ。ただ……興奮する」


「は……?」


「隠していたのね。その、途方もない力を。虫けらを見るような目であなたを見ていた愚かな連中を、心の中で嘲笑いながら」


違う。

俺はそんなこと、一度も……。


「最高だわ。あなた、最高よ、リオ」


彼女の指が、俺の心臓のあたりを、ゆっくりと、なぞる。

その仕草は、ひどく官能的で、背筋がぞくりとした。


「私だけの秘密にしてあげる。だから、もっと見せて。あなたの『本当』を、私だけに」


これは、まずい。

完全に、狂っている。

彼女の瞳に宿るのは、純粋な探求心などではない。

独占欲。支配欲。そして、俺の力に対する、抗いがたいほどの渇望。


逃げなければ。

こいつは、俺の平穏を喰らい尽くす。


「断る」


俺は彼女の手を、乱暴に振り払った。


「俺に関わるな。今日のことは忘れろ。いいな」


「……ふふっ」


エリザは、振り払われた手を見つめ、楽しそうに笑う。


「無理よ。忘れられるわけがない。ねえ、リオ。あなたは私のものになるべきだわ。その力も、その身体も、その心も、全部」


「気でも狂ったか」


「ええ、狂ったのかもしれない。あなたに」


言葉が、通じない。

説得は無意味だ。

ならば、無理やりにでも……。


俺が、記憶を消去する魔術の行使を決意した、その瞬間だった。


「――そこで何をしているのかしら、お二人さん?」


凛とした、しかしどこか気だるげな第三者の声が、俺たちの間に割り込んだ。


はっとして声のした方を見ると、旧校舎の壁に寄りかかるようにして、一人の女が立っていた。

長い黒髪を緩く結い、白衣をだらしなく着崩している。

その豊満な胸元は大きく開かれ、見る者の理性を試すかのように、深い谷間を惜しげもなく晒していた。


「……イザベラ先生」


エリザが、忌々しげにその名を呟く。


この学園の保健医、イザベラ・ノクターン。

生徒たちからは「夜の魔女」と密かに呼ばれ、その妖艶な美貌と、意味深な言動で、あらぬ噂が絶えない人物。


「あら、生徒会長様じゃない。こんな場所で、Fクラスの……確か、リオ君だったかしら? 彼と密会なんて、感心しないわねぇ」


イザベラは、にこりと笑う。

だが、その目は全く笑っていない。

蛇のように冷たい瞳が、俺とエリザの様子を、値踏みするように観察していた。


「先生には、関係のないことですわ」


「あら怖い。でも、関係なくもないのよ? だって……」


イザベラは、俺の方に視線を移し、舌なめずりをするかのように、艶っぽく微笑んだ。


「私も、彼に用があるもの」


夕闇が迫る中庭で、二人の女の視線が、俺の上で、火花を散らした。

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