第8話『もう一度、朝の電車で』-真一side-

桐島さんに会えない日々が続いた。

彼女が体調が悪いと言った翌日から、朝の電車でその姿を見かけることはなかった。メッセージを送ってみても返事はない。


ただの風邪ではなかったのだろうか。それとも――僕が知らないうちに、何か彼女を怒らせてしまったのだろうか。考えても答えは出ないのに、不安ばかりが募っていく。


僕にできることはないのか。そう自問するうちに、一つの考えにたどり着いた。

彼女があんなに熱心に話していたゲーム。少しでも理解できれば、彼女のことを今より近くに感じられるかもしれない。



***



​その日の会社帰り。僕は突然思い立ち、実家に立ち寄ることにした。


「日菜子、いるか?」


妹の部屋のドアをノックすると、中から元気な声が返ってきた。部屋に入ると、壁には僕の知らないキャラクターのポスターが貼られている。


「どうしたの、また何か聞きたいことでもあるの?」


日菜子が面白そうに僕を見た。


「前に話していたゲームを貸してくれ」


僕の言葉に、日菜子は目を丸くする。


「え、お兄が? どういう風の吹き回し? 彼女にでも影響された?」


心臓が一瞬跳ねた。思わず視線を逸らし、「……まあ、そんなところだ」と曖昧に答える。


彼女が楽しそうに話していた世界を、自分も覗いてみたかった。どうしてそこまで夢中になれるのかを知りたかった。


日菜子はいくつかソフトを取り出し、「お兄にはこれがおすすめ」と一つを渡してくれる。表紙には、僕が見ても名前すら分からないキャラクターが大きく描かれていた。


言われるままにソフトとハード機を借り、その足でマンションに帰る。早速ゲームを起動すると、そこには桐島さんのストラップと同じキャラクターが登場した。


「ああ、この子か……」


未知の世界。主人公の選択肢は、社会人としての僕の感覚では理解できないものばかりだ。


「なんでこれを選ぶんだ……? 僕には理屈が分からない……」


戸惑いながらも、彼女の気持ちを知りたい一心で進めていく。画面のキャラクターが喜ぶたびに、ふと桐島さんの笑顔がよみがえった。――もしかすると、これが彼女の言っていた“楽しい”なのかもしれない。



***



​ある日の会社帰り。ホームで電車を待ちながら、なぜだか分からないまま、ふと後ろを振り返った。そこに立っていたのは――桐島さんによく似た人だった。


「……桐島さん?」


最初は見間違いかと思った。でも振り返ったその顔を見た瞬間、胸の奥が一気に熱くなる。間違いなく本人だ。元気そうな様子に、心の底からほっとした。


「……こ、こんばんは……」


おずおずと返してくれた声に、嬉しさが込み上げる。小野の言う通り、もし僕のことを誤解しているなら、無視されるかもしれないと不安だったからだ。


「……ずっと会えなかったので心配してました。あれから体調の方は大丈夫ですか?」


久しぶりに同じ電車に乗る。隣に並んでいるのになぜか遠く感じて、何を話せばいいのか分からなかった。けれど勇気を出して口を開くと、桐島さんは少し笑顔を見せてゲームの話をしてくれた。

その笑顔に、僕はまた希望を持てた。


「……また明日、朝の電車でお会いできませんか?」


思い切ってそう誘う。困ったようにうつむく彼女を見て、胸が締め付けられる。

――ただ必死に、うなずいてほしいと願った。


控えめながらも頷いてくれた瞬間、嬉しさが込み上げて抑えきれなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る