第2話 <現代編:再会前夜>直樹の大晦日
大阪
2023年12月31日
23時10分
「中村先生。あと少しで新年ですね」
看護師の柏原君が、ストレッチャーを消毒しながら話しかけてきた。
「ほんとだね。みんなお疲れさまでした、だね。今日は、けっこう救急車来たんじゃない?10台くらいかな」
「たぶんですけど、さっきの救急隊で11台目ですね。今年もまた、この救急室での年越しですよ。先生は何回目ですか?大晦日当直は」
「いやあ、もう何回目か、わかんないなあ……。5年は続いてる?去年もさ、解離の患者さんを大学病院に急いで転院搬送して帰ってきたら、年越してたよ」
来年の新しいカレンダーが、今のカレンダーの奥にかかっている。
明日になれば、今年のカレンダーも任務終了だ。
「そうだったんですね。いつも通りのメンバーで当直でって感じですよね」
「たしかにね。だいたい年末メンバーで固定されてるね。病院が静かなら、もうちょっといいんだけどね」
「でしたら先生、来年の大晦日も当直に入ります?」と、柏原君が核心を突く。
「ありゃ。もう予約されるの?……来年の大晦日かあ。なんか、この調子だったら年賀状も、この病院に届くかもね」
「それって、もはや住み込みですよ」
二人ともマスクを着けたまま笑顔になった。
直樹は、ふと時計に目をやった。
秒針がひとつ、またひとつ……音もなく、時間を切り取っていく。
「そうだなあ。誰も手を挙げないんだったら、入るよ。
大晦日ってほら、元日ほどじゃないけど節目だし、忘れられにくいしね」
―何年か前の元旦の朝。
夜明け前の屋上に、みんなで白衣やスクラブのまま屋上に飛び出して。
毛布にくるまった誰かが笑って、初日の出にスマホを構えてた。
あのときの皆の笑い声が、耳の奥に残っていた。
あれは寒かったな―
「病院の屋上って、まだ自由に行けるの?」
「今はもう、鍵かけられてしまってますよ」
「だよね。初日の出を見た頃が懐かしいな」
―来年もここにいるだろうか―
そんな思いが、ふと脳裏をかすめた。
「先生はここ毎年、救急室で年越しですけど……ご家族のほうは、大丈夫なんですか」
ここではじめて心配される側に立つ。
「ああ……うん。年末年始は、俺以外はみんな嫁さんの実家に帰省中なの。
だから明日の元旦は、家に帰っても俺一人だよ。まあ、ちょっとだけ寝正月っていうのかな。初詣に行くなら二日かなあ」
「もう寝るしかないですね。当直交代までは……あと、9時間ちょいってとこですね」あくびをしながら柏原君が時計を見上げる。
「そうだね。もうひと踏ん張りだね。なにかあったら、また呼んで。
ちょっとだけICU(intensive care unit, 集中治療室)みてくるよ」
「おつかれさまです」
―平和に年を越せるといいが―
23時40分
ICU
「あ、先生。お疲れ様です。今年『も』なんですね」と笑顔で迎えられた。
「お疲れ様。今日は小林さんが夜勤なんだ。先に『新年おめでとう』を言っておくよ。俺は、もうここんとこ毎年恒例だよ」
「じゃあ、先生。私からも『新年おめでとうございます』、20分早いですけど」
小林さんの笑顔が増す。
「ありがとう。患者さんはどう?落ち着いてるかい」
「はい。昨日の緊急心カテの患者さんも、今日から昇圧剤がオフになりました。MB(心筋逸脱酵素の略称)上昇も軽かったみたいです」
「それは、よかった」
病院特有の乾いた暖房の匂いが、微かに鼻をついた。
他の夜勤の看護師が、手際よく点滴ラインを交換している。
点滴のポンプが、心拍のモニターが規則正しく音を刻む。
窓の外は暗く、ガラスには霜がうっすらと浮かび、
静寂が年の瀬を静かに包んでいた。
入院中の患者さんは、病院で新年を迎える。
―来年こそは、新年を自宅で迎えることができたら―
この病棟で皆が来年の希望を託している——そんな気がした。
今日が……今年が、終わる。
いよいよ新年か。
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