第6話 古井戸の先へ
中庭の古井戸。
桜ヶ丘学園の創立当初から存在する遺構だ。実際に水を汲むために使われることはなくなったが、学園のシンボルとして残されていた。
放課後、陽は約束通りそこに立っていた。昨日からずっと考え続けた末の決断だった。真実を知りたい――たとえそれが、自分の想像を超える世界だとしても。
「来てくれたのね」
後ろから葵の声がした。振り返ると、彼女は昨日とは違う表情をしていた。どこか安堵したような、そして決意に満ちた表情。
「ああ」陽は頷いた。
「父さんのこと……そして『影学園』のことを、もっと知りたい」
「覚悟はいい?」葵は静かに尋ねた。
「一度この道を選んだら、後戻りはできないわ」
陽は一瞬、躊躇したが、すぐに決意を固めた。
「大丈夫」
葵は微笑み、井戸に近づいた。
「この井戸は単なるシンボルではないの。境界への扉なのよ」
彼女は右耳のピアスに触れ、井戸の縁に何かの文様を描くような動きをした。すると、井戸の中から青い光が漏れ始めた。
「さあ」葵は陽に手を差し伸べた。
「一緒に行きましょう」
陽は彼女の手を取り、二人は井戸の縁に立った。下を覗くと、そこには水ではなく、渦巻く青い光が見えた。
「飛び込むの?」陽は少し動揺した。
「心配しないで」葵は微笑んだ。
「私が導くから」
深呼吸をして、陽は葵と共に井戸に飛び込んだ。
落下感はあったが、すぐに重力が変化したように感じた。二人は青い光のトンネルの中を、横に、そして上に移動しているようだった。周囲では光が万華鏡のように乱舞している。
数秒後、二人は床の上に立っていた。
「ここが……影学園?」
陽が立っていたのは、広大なホールだった。古い西洋建築を思わせる柱と天井、大理石の床。壁には奇妙な文様が刻まれ、かすかに発光していた。
「そう」葵は頷いた。
「正確には影学園本部。桜ヶ丘学園の本館裏手に位置している……とは言っても、別次元にあるけれど」
ホールには数人の学生が行き交っていた。制服は桜ヶ丘学園と同じだが、皆、胸元に異なる色とデザインのバッジを付けていた。
「あの人たちも素質者なの?」
「ええ」葵は説明した。
「バッジの色と模様は、それぞれの境界力のタイプと強さを表しているわ」
葵は陽を連れて廊下を進んだ。行き交う学生たちが好奇心溢れる目で陽を見ていく。
「初めて見る顔だから、みんな興味津々なのよ」
葵は言った。
「新しい素質者の発見は珍しいから」
彼らは階段を上り、「境界委員会」と書かれた扉の前に立った。
「境界委員会の人たちに会うの?」
陽は少し緊張した。
「そう。まずは委員長に」葵は扉をノックした。
「どうぞ」中から女性の声がした。
部屋に入ると、そこには威厳のある雰囲気を持つ年上の女子生徒が机に向かっていた。長い黒髪をポニーテールにし、凛とした藤色の瞳を持つ彼女は、完璧な佇まいで2人を迎えた。
「桐生、戻ったのね」
彼女は葵に言った後、陽に視線を移した。
「こちらが噂の新しい素質者?」
「はい、委員長」葵は敬意を込めて答えた。
「高城陽です。昨日境界感応器で測定したところ、極めて高い反応が出ました」
「高城……」委員長は意味深な表情を浮かべた。
「高城理人の息子ね」
陽は驚いた。
「父さんのことを知っているんですか?」
「知らない者はいないわ」
委員長は立ち上がり、自己紹介した。
「御堂院凛子(みどういん りんこ)。桜ヶ丘学園3年、境界委員会委員長よ」
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