第3話 境界の向こう側
翌日の授業中、陽の集中力は完全に途切れていた。
数学の津村先生が黒板に複雑な方程式を書いているが、陽の頭の中は昨日の桐生葵との会話でいっぱいだった。「影学園」――父が関わっていたという並行世界。それは本当に存在するのだろうか?
「高城!」
津村先生の声で我に返る。
「はい!」
「この方程式を解いてみなさい」
黒板に向かい、陽は無意識に方程式を解き始めた。頭の片隅では依然として葵の言葉が反響していたが、幸い数学だけは得意な科目だった。式を変形し、解を導き出す。
「正解だ」
津村先生は少し驚いたような表情を見せた。
「集中していないように見えたが、さすがは高城だ」
席に戻る途中、陽は教室の後ろに座っている葵と目が合った。彼女は静かに頷いただけで、何も言わなかった。
◇
昼休み、陽は屋上で1人、弁当を食べていた。奏は吹奏楽部のミーティングがあるとかで不在だ。
「ここにいたのね」
背後から声がした。振り返ると、葵が小さな古書を手に立っていた。
「あの話の続き?」陽は尋ねた。
「いいえ」葵は首を振り、陽の隣に座った。
「今は普通の高校生としてランチを共にしたいだけよ」
少し意外な言葉に、陽は笑みを浮かべた。
「随分と普通じゃない話をしておいて、急に普通の高校生なの?」
葵は小さく笑った。それが彼女の初めての笑顔だった。
「素質者も、ただの人間よ」
彼女は弁当箱を開きながら言った。
「2つの世界を行き来できるというだけで」
「本当に信じがたい話だね」陽は正直に言った。
「でも、もし本当なら……父さんについて何か分かるかもしれない」
「あなたにとって、父親はどんな人だった?」葵が尋ねた。
陽は空を見上げた。
「優しくて……知的で……少し変わった人だった。いつも新しい理論や実験のことを話していて、子供の僕にも分かるように説明してくれた」
「懐かしそうね」
「でも……7年前、ある日突然、姿を消した。警察にも探してもらったけど、何の手がかりもなかった」
陽の声は少し沈んだ。
「母さんは今でも父さんが戻ってくると信じている」
「あなたは?」
「……わからない」陽は正直に答えた。
「信じたいけど、時々……父さんは僕たちを捨てたんじゃないかって」
葵は何も言わず、陽の横顔を見つめていた。
「でも」陽は続けた。
「昨日君が言ったこと。もし本当なら、父さんが姿を消した理由がわかるかもしれない」
「放課後、図書室で待っているわ」
葵は立ち上がり、古書を胸に抱えた。
「準備はいい?」
「準備って?」
「心の準備よ」葵は真剣な表情で言った。
「一度、境界を越えると、もう元には戻れない。あなたの見る世界が、永遠に変わるわ」
そう言い残して、葵は屋上を後にした。
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