旅立つふたり、見送るひとり

「――レイワード。『恩寵争奪』に参加し、『腕輪』を集めて生き返りなさい」


 夜明けと共に。

 壊れた集落、仮宿の前で、ネルヴィはレイワードにそう言った。彼等姉弟の間では珍しい、有無を言わさぬ口調だった。


 実のところ、それは今に始まった話ではない。

 そもそも集落が襲撃を受けたとき、ネルヴィはレイワードに『腕輪』を持たせ送り出していた。紆余曲折あって彼が集落に戻って来ても、ネルヴィの思いは依然変わらない。

 ――レイワードを生き返らせる。

 結局のところ、それがネルヴィの望み――譲れないもの、なのだから。


「姉さん……」

「『無私の腕輪』に続いて『感謝の腕輪』を手に入れた今、資格としては充分なはず。アダマリア様と同行すれば危険も少なく済むハズです」


 あくまで厳しく言い切るネルヴィに対し、レイワードの歯切れは悪かった。

 それはひとえに、残される姉への心配ゆえ。

 生き返りを目指すという事は、八つの『腕輪』を集めるという事。そして『腕輪』を集めるということは、必然、地獄を巡る旅に出るという事だ。

 危険な旅になる。アダマリアと契約したレイワードはともかく、無力なネルヴィを連れてはいけない。だが、唯一の家族を独り集落に残していくなど、レイワードには耐え難いことだったのだ。


「でも、姉さんは……」

「わたくしのことは忘れなさい、レイワード。姉と、肉親と思う必要もありません。わたくしはあなたの『生前』を知りながら、あなたにそれを明かさなかった……わたくしはあなたを欺いていたも同然なのだから。こんな姉のことは忘れて、その御方と旅に出なさい」


 けれど、そんな心配も切り捨てるように。

 ネルヴィの口調は冷たいほどに鋭く、その決意は固かった。

 普段とまるで違う厳しい声音。けれどそれは姉の優しさの裏返しだと、レイワードには分かっていた。

 ――どうしてもあなたに生き返って欲しい、と。

 その眼差しから、声音から、握られた手に伝わる力から……地獄で築いた姉弟の絆を通して、彼女の心境がレイワードに痛いくらいに伝わっていたから。


 きっと今生の別れを前に。

 一言一言を噛み締めるように、ネルヴィは弟に言い聞かせる。


「レイワード。いつも言って聞かせたように、あなたには幸せになる権利があるのです。きっと地獄の誰よりも、あなたは生き返らなければならない。この死後の獄から、いわれなき罰から解放されなければならない」

「それは……」

「……ええ、あなたがわたくしの言葉に疑いを持っているのは分かっています。

 けれど、あなたの『生前』をわたくしの口から語ることは、どうしてもできません。真実を知ってしまえば、あなたは深く傷ついてしまうと分かっているから。いずれあなたが知ってしまうとしても……弱いわたくしには、そんな残酷なことはできないのです。あなたが残酷な真実を知らぬまま救われる、そんな夢想を抱かずにはいられないのです。

 けれど、こんな姉を信じてくれるのならば……どうか約束して、レイワード。

 ――あなたは絶対に生き返りなさい。腕輪を八つ全て集め、不当に奪われたあなたの人生を取り戻しなさい。

 それが、わたくしの唯一の望み。亡者となったわたくしに残された、たったひとつの救い」


 ネルヴィの言い分は、随分と勝手だったのかもしれない。

 自分への心配は受け取らず、けれど一方的に相手の幸福を願うなど。

 けれど、レイワードは涙ぐんだ。

 嗚呼、思えば……ネルヴィがレイワードに何かを望んだことはなかった。彼女はただひたすらに記憶喪失のレイワードを庇護し、現世や伝説を物語ることで心を慰撫してきたけれど、レイワードに何か見返りを求めることなど一度も無かった。

 無償の愛。

 それを注いできたネルヴィが、今、レイワードに救いを求めている。

 生き返れと、幸福になれと望んでいる。


 ならば……一体どうして、レイワードに断ることができようか。

 初めて頼られたのだ。望まれたのだ。

 目が潤むほどに嬉しくて、悔しくて、少年はただ頷いた。


「……わかった。俺は行くよ。アダマリアと一緒に、『腕輪』を集める旅へ」


 レイワードの返答を受けて、ネルヴィはやっと笑った。

 嬉しそうに、どこか寂しそうに。これで永い苦しみから救われると、そう伝わるほど清らかに。

 それで、レイワードの決意も固まった。


 例え、アダマリアの従者としての旅路だとしても。

 決して『恩寵争奪』を、生き返ることを諦めない――と。


 そんなやり取りを傍で見ていたアダマリアが、退屈そうに話を割った。


「……それで。話は決まったか?」


 彼女の方を振り向いたレイワードは、決意を新たに強く頷く。


「ああ。俺はきみの『腕輪』を集める旅に同行する」

「は、最初からそういう契約だ。今更誇らしげに言うでない」

「ご、ごめん……」


 ともかく、そういう事になった。

 レイワードは地獄に堕ちてからの数年を過ごしたここ、地獄の底を除けば最下層たる悪政獄を旅立ち、螺旋の世界を上へ上へと登っていく。

 八つの『腕輪』を、アダマリアと共に集める為に。


 ……無論、亡者が決められた刑罰圏を出ることは許されない。だが、そうした亡者を見つけ連れ戻すのは悪鬼の仕事だ。悪鬼に見つかろうが瞬殺できてしまうアダマリアが居る以上、その制約は無いに等しいものだろう。


 そんな訳で、早朝から集落を発つことになったレイワードたちだが。

 旅立つ前にふと、アダマリアが気紛れに声を上げた。


「ふむ……そうさな。小僧」

「ん?」

「私が『よい』と言うまで、黙ってじっとしていろ」


 言って、アダマリアが軽く腕を振った。

 瞬間、その巨大なる首腕――第五首腕たる人面蛇メドゥラが長い巨躯をうねらせながら虚空より現れ、その大口がレイワードをぱくんと格納した。

 余りにも唐突なことで、レイワードは回避の「か」の字すら行えなかった。


 そんな光景――弟が怪物に呑み込まれたのを目の当たりにして、ネルヴィの顔が蒼白に染まる。


「あ、アダマリア様、何を――?」

「は、慌てるでない。これからする話には奴は邪魔ゆえな。少し耳を塞がせただけだ」


 成程、確かに……人面蛇メドゥラはレイワードを呑んだ訳ではない。その分厚い頬の向こう側から悲鳴とも抗議とも取れないくぐもった声が聴こえてくる辺り、怪物はレイワードを大口に含んだだけらしい。尤も、会話を聞かれたくないだけにしては、余りに規模外な行動ではあるが。

 ともかく、レイワードを巨大人面ごと天高く持ち上げ。会話を聞かれないと判断してから、アダマリアは目の前のネルヴィへ切り出した。


「――さて、女。訊きたいことがある」


 ネルヴィがアダマリアの視線と言葉とを直に受けるのは、これが初めての事であった。

 黄金の瞳。縦に裂けた竜の瞳孔が、ネルヴィの姿を捉えている。

 銀髪金眼、同性すら身震いするほどの美貌は、けれどその本性をまるで覆い隠せてはいなかった。王冠めいた角、唇の隙間から覗く犬歯などなくとも、本能的に理解させられる。


 彼女がヒトのカタチをしただけの、邪悪極まる怪物であると。そして、非捕食者と捕食者の関係を――相手が気紛れを起こせば、間違いなく自分は死ぬだろうという確信を。


 こんな怪物が自分を助けてくれたなどと、レイワードの言でなければ到底信じられなかっただろう。

 心胆から震え上がりそうになりながらも、ネルヴィはの気構えもあり、しゃんと背筋を伸ばして会話に応じる。


「は、はい。アダマリア様……レイワードのこと、でしょうか」

「そうだ。ああ、それと貴様のことも尋ねておこう。何故貴様は『腕輪』を手に入れた。貴様の願いとは何だ?」


 視線を直に受けたネルヴィは直感した――その黄金の眼は、嘘など容易く見透かすだろう。不遜と取られれば喉を引き裂かれるかもしれない。

 だが、最初から偽るつもりはなかった。

 レイワードが聞いていないというのなら、を明かす事に衒いはない。

 ……ぽつぽつと。雪が静かに降り出すように、彼女はゆっくりと語り出す。


「人は、わたくしが地獄に堕ちたことを、悲劇と言うのでしょうけれど。

 わたくしはの下で、充分に恩恵を貪った。わたくしは地獄に堕ちて当然の女、わたくし達は地獄の業火に焼かれて当然の一族なのです。

 ……けれどあの子は。レイワードだけは、違う。

 あの子は本当に、何の罪も犯していないのです。何も知らず、何もできず、だというのに地獄に堕とされ……わたくしと同じように、惨い刑罰を……」


 抽象的で核心を突かぬ物言いは、そのぶんネルヴィの胸中で渦巻く、心を引き裂かんばかりの苦しみを色濃く映していた。

 そんなネルヴィは、救いを求めるように、今やアダマリアの手に嵌まった『腕輪』に視線をやった。幸運にも自分が授かった、八つに分かれた神の奇跡のうちのひとつへ。


「――わたくしはどうなっても構わない。どうかレイワードにだけは、救いを。

 そんなわたくしの祈りに、その『腕輪』は反応したのかもしれません」


 腕輪が冠する美徳は『無私』。

 なればこそ――おのが身さえ顧みず、どうかレイワードが救われますようにと純粋に願っていたネルヴィを、『無私の腕輪』は選んだのかもしれない。


 そこに一定の納得を得て、けれどアダマリアは質問を続けた。


「ふむ、貴様が『腕輪』を手にした理由は分かった。だが、女……そも、

 ああ、言っておくが、奴が無実かどうかなど私は興味がない。それは貴様の主観にもよるだろうからな。だが……『現世の記憶を持たぬ』、というのは話が別だ」


 アダマリアが言う「あの小僧」――レイワードは、現世の記憶を失っている。

 それがアダマリアが彼を通して耳にした、最も興味を惹く事柄。

 何故ならば。


「地獄の亡者に『記憶喪失』など、通常なら有り得んことだ。なにせ亡者の肉体とは、魂の複写、現世の記憶と記録で形成される仮初の器。自認や周囲の認識によって外見が変容することはままあるが、基本的に現世で負った傷や呪いは持ち越されん……外傷それが魂に焼き付くまではそれなりの時間がかかるし、魔術や呪いは一度死んだ時点で効果が途切れる。例え生前に記憶喪失を起こしたまま死んだとしても、それは亡者にまで引き継がれん。

 だが、事実あの小僧は記憶喪失だ。虚言を吐いている気配もない。気狂いの果てに精神が壊れたふうでもない。にも関わらず記憶喪失、それも現世の記憶のみを取り溢したとは、一体どういうことだ?

 ヒトの想念で在り方が歪むなど地獄では珍しくもないが……『現世の記憶を持ち込めなかった』なぞ、そんな事例は聞いたこともない」

「……」


 詰問に、答える声は無かった。

 それで一層、アダマリアはすぅと目を細めた。


「知らぬ、とは言わんのだな」

「……はい」


 観念したように、ネルヴィは頷いた。

 けれど真相を語る様子はない。ぎゅっと、彼女は口を噤んだまま青い顔で震えている。

 まるで……と、そう言いたげに。


 返事が返ってこないのを見て……アダマリアは溜息を吐いた。


「……まあよい。道化の来歴など私は気にせん。過去など知らずとも奴は愉快ゆえ、せいぜい道中の暇潰しにでも使ってやるとも。も、『腕輪』の献上で不問にしてやろう」


 さらりと。

 付け加えられた言葉に、ネルヴィは瞠目し……。

 けれど一切の言い訳もせず、ただアダマリアへ頭を下げた。丁寧に、深々と。自尊心プライドなど微塵も感じさせない仕草は、一周回ってかある種の気品さえ漂わせていた。


「……アダマリア様。どうか、どうか、レイワードをよろしくお願いいたします」


 そんな、誰もが同情するような懇願を受けて……けれど怪物たる彼女は、美貌を歪めて嘲笑を作った。


「は――貴様の一族は全員がそうも愚かなのか? この私に血縁の救済を望むとは。

 ならば望み通り、この小僧に生き地獄を味わわせてやるとも」


 アダマリアが再び腕を軽く振る。

 すると人面蛇メドゥラがその口を地面に近付け……どちゃり、と口に含んでいたレイワードを吐き出した。

 役目を終えた首腕が虚空に消える横で、レイワードはようやく自分が解放されたことを認識したらしい。地面に蹲ったまま、安堵とも恐怖ともとれぬ荒い息に背を上下させる。


「はぁ、はぁっ……よ、よかった……このまま呑み込まれるかと思った……」


 そんな彼の様子を一顧だにせず、アダマリアは一喝して歩き出す。


「小僧! 用は終わった、行くぞ」

「え――わ、分かった。それより、アダマリア。前から言おうと思っていたんだけど、俺にはレイワードって名前が、」

「ふん、何故私がわざわざ道化などの名を覚えねばならん? 貴様なぞ『小僧』で十分だ」

「そ、そうか……」


 慌てて立ち上がったレイワードが小走りでその背を追うのを、ネルヴィはその場に立ったまま見送った。

 これからの旅に、自分は同行できない。

 他ならぬ自分で言ったことだ。ああ、けれど……レイワードが己の手の届かぬところへ旅立つ様が、ぎゅうとネルヴィの胸を締め付けて。

 思わず手を伸ばし、その背を呼び止めようとして……慌てて、手を引く。

 自分はもう、レイワードの足手まといにしかならないのだから。

 だから――。


「行ってきます、姉さん!」

「――」


 遠くなる背が、不意にこちらを振り向いて。

 高く手を上げて、そう叫ぶ。


 レイワード。

 この手に残っていた最後の希望。

 けれど、この旅立ちは決して希望の喪失ではない。

 雛だった者が自力でこの手から飛び立つ、それこそが希望に他ならないのだから――。


「ええ。行ってらっしゃい、レイワード。どうか、遥かな現世まで」


 心配はある。

 なにせ、アダマリアを信用しきることはできないし。

 ふたつの『腕輪』が、生き返りを望む亡者に狙われることもあるだろう。

 それでも、ネルヴィは『弟』を、レイワードを信じると心に決めた。

 自分の下に『無私の腕輪』が顕現し、レイワードもまた『感謝の腕輪』に選ばれた。

 なればこそ、罪なき彼が救われることこそが天の、神の決められた運命だと信じるが故に。


 ただ――たったひとつだけ、懸念があるとするならば。


「……あなたはきっと、わたくしとの約束を守ってくれる。

 けれど……わたくしのもうひとつの願いは。あなたが残酷な真実を知らぬまま救われるというわたくしの我欲エゴは、きっと叶えてくれないのでしょうね」


 姉として、彼と数年を過ごした。

 だから分かる。レイワードは、自分の記憶を求めている。

 生前己が何者であったのか。何故地獄に、この悪政獄に堕とされることになったのか。

 それは喉の渇きのように痛烈に。

 それは腹の飢えのように強烈に。

 どれだけきつく忠告しても、彼はきっと求めてしまうのだろう。

 欠けた記憶を。失われた、あの残酷な真実を。


「嗚呼、可哀想なレイワード、わたくしの愛しきレイワード。

 もしもあなたが、己の真実を求めるならば。それがあなたの願いならば。

 それはきっと地獄の第七層、戦争獄にて明かされるでしょう――」


 決して届かぬようにそう言って。

 ネルヴィは小さくなる影を見送った。

 いつまでも、いつまでも。

 祈りのように、ずっと――。



 それが、彼等の旅立ちだった。

 レイワードとアダマリア。現在手元にある『腕輪』は二つ。残る腕輪はあと六つ。

 両者が望むは、ただひとりにのみ許される現世への生き返り。

 次なる目的地は第七層、戦争獄。


 ――『恩寵争奪』の第二戦は、近い。





《center》◆◆◆《/center》





 地獄の第七層、戦争獄。

 戦場にて蛮行を働いた兵士、あるいは戦争を起こした王や諸侯たち……尊い人命を軽視した、あるいは駒として扱った高慢なる者たちが堕とされるこの地獄とは、一言で言えば戦場そのものである。亡者たちはいくつかの陣営に分かれ、武器を持って敵と殺し合うことを強制されるのだ。


 それは石の砦に囲まれた荒地という、最も原始的な戦場。だが砦は半分以上崩れていて、大地は流された夥しい量の血で真っ赤に染まっている。

 そこでは常に無数の亡者による怒号と雄叫びとが応酬し、絶えず地響きが鳴り続け。周囲を無数の悪鬼が飛び回っては臆した者の背を突いて戦わせ、倒れた者はその槍で貫いて回収する。

 それこそが戦争獄――勝利しても何も得られない殺し合いを延々続ける、無限にして無意味の戦場である。



 そんな地獄の一角に、有り得ざるはずの平和があった。


「にゃーにゃっにゃにゃー、にゃーんだっかにゃー」


 特徴的な鼻歌が、のどかに響く。

 普通なら兵士たちの悲鳴や足音で掻き消されるはずのそれは、実に優雅に軽やかに、地獄の荒野を駆け回る。


 鼻歌を歌うのは、ひとりの亡者。

 純人とも獣人とも言い切れぬ、半端な姿をした亡者だった。右腕と右脚の一部だけが毛皮に覆われ、それ以外は純人らしくつるりとした白い肌を持つ。ぴょこぴょことその頭頂で揺れるのは、どこか愛らしい獣の耳だ。すらりとした細身の体、純人そのものの中性的な面貌は、愛嬌に富んだ仕草や表情を気まぐれに覗かせていた。

 そんな亡者は、ふんと野生動物めいて鼻を鳴らし、そしてふにゃあと肩を落とす。


「にゃふー、まったく疲れたにゃー」


 亡者が人語を放った。

 男とも女ともとれぬ高い声だった。獣人らしく発音が僅かに歪んでいて、それがまた性別の判別を難しくしていた。

 それはきっと、可愛らしい、と言って差し支えない仕草だったろう……その足元に、が無ければ。


 ――それは、死んだ亡者の山であった。亡者とは死ねば灰になって崩れる。それでも土に還りきらない程の、風に攫われきらない程の、夥しい量の死体がその周囲には散乱していた。

 否、散乱、という表現は正しくない。

 なにせその死体――大量の遺灰は、うず高く積み上がって山状にさえなっていたのだから。

 文字通りの死体の山。

 けれど更に悍ましきことに、その山の上に腰掛けて鼻歌を歌う異形モノがひとり。

 獣人でも純人でもないかの亡者は、ぺろぺろと呑気に右腕を、肉食獣めいた毛と爪と肉球とを持つ腕を舐める。

 きらり、瞬いたのは聖なる輝き。

 なんとその異形の腕には……間違いなく、光り輝くあの『腕輪』が嵌っていたのである。

 嗚呼、これでは死者も浮かばれぬ。

 けれど更なる冒涜とばかりに、かの亡者は愚痴めいた軽口を溢した。


「『腕輪』がのトコロに出てきてくれたのは嬉しいけど、こうも襲われちゃたまったもんじゃにゃいぜ。せっかく『悪王』の配下をあらかた片付けたってのに、これじゃあちっとも休めにゃい。おにゃーさん、どうせずこばこ襲われるにゃら、ベッドの上とかがいいんだけどにゃー」


 世の何たる無情さか。

 その亡者は愛玩動物めいて可愛らしかったが……残念ながら、品性というものを知らないらしかった。

 そんなお下劣な発言を、『山』の下に居た別の亡者たち――周辺で唯一生きている、三人の亡者が口々に非難する。


、下ネタやめてください!」「毎度毎度マジキツイです」「セクハラで訴えますよー」

「うっせーにゃー! おみゃーらだって本音は同じだろ、おにゃーさんだけが変態みてーに言うんじゃねーよ、毛玉吐くぞペッペッ」

「うわ汚っ!」「ホントに吐くとはマジ引きます」「強いから許されてるとこあるよなー」


 獣耳の付いた古代兜、鶏冠に飾られた騎士兜、牛角の生えた聖騎士兜……三者三様のデザインの兜を被った彼等『将軍直属の三獣士さんじゅうし』は、地獄に堕ちてもなお生前と同じ調子で軽口を叩く。

 そんな彼等を見下ろしつつ、獣腕の亡者は頬杖を突いた。

 へらり、冗談めかして呟く。


「あーあ、地獄に娼館があればにゃあ。

 どうせにゃら血の海にゃんかじゃなく、エロスの海に溺れたいし……死体の山に立つよりも、酒池肉林にタチたいもんにゃぜ」


 その亡者こそ、無双によって地獄の戦場に一時の平和を築いた比類なき猛者。

 生前は武勇名高き将軍にして、死してなお部下たる三騎士と共に戦場を馳せる無類の戦士。

 そして、八つの腕輪のひとつ、『誠実の腕輪』に選ばれし美徳の持ち主。

 即ち、レイワードとアダマリアの次なる敵。


 ――半獣人ハーフセリアン、亡国の猛将セルヴァール。

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