第19話 幼なじみ
「皇帝陛下の暗殺未遂事件はご存知ですよね?」
マーシャルが話し始めた。
私がまだ小さい頃の事件だったが、帝国からオートマタを一掃した事件として、語り継がれていた。
事件の概要はこうだ。
皇帝陛下の主催で開かれた大規模な晩餐会があった。
この時の皇帝陛下は今の皇帝陛下のお父様でまだ30代だった。
この頃には充分に普及していたオートマタもたくさん給仕に働いていた。
晩餐会は大成功を収めたが、終盤に差し掛かった頃に事件が起きた。
一体のオートマタが皇帝陛下を襲ったのだ。
オートマタの握ったナイフが皇帝陛下の腹を刺したが、幸いにも軽傷で済んだ。
その後、取り押さえようとした者たちがオートマタに近づくと、オートマタは暴れ回り、二人の死者と数十人の怪我人を出した。
オートマタの力は強く暴走したら人間が簡単に止められるようなものではなく、魔石の魔力が切れるまで止まらなかったのだ。
当初は、安全だったはずのオートマタの暴走だと思われていたが、後から、魔石に込めた魔力によりオートマタを操る新技術が開発されていた事が分かった。
その新技術の開発者が有名なオートマタ技師であったジョージ・カーロックだった。
皇帝陛下の暗殺未遂事件にその新技術が使われたかどうか、証拠は無かった。
しかし、ジョージ・カーロックは実質の犯人として扱われた。
彼はその後、老齢であった事もあり、病を得て失意のうちに亡くなったと言う。
「私の本当の名前はマーシャル・カーロックと言います」
マーシャルが続ける。
「私はちょうど事件の頃に生まれて、世間の冷たい目に晒されながら育ちました。でも、私は祖父が大好きでした。祖父は私が小さい頃に亡くなりましたが、オートマタの技術を祖父から学びました」
「私がオートマタを触ると祖父の息子だった父は苦い顔をするだけでしたが、母はとても嫌がりました。それで、私はずっと母に折檻されながら育ちました。でも、仕方なかったんだと思います。周りの人達も私達一家を見る目は冷たくて、母も辛かったんです。私は大人たちからは遠巻きにされて子供達からはいじめに遭いました。その中に子供の頃のルークもいたんですよ」
ルークの事を語る時のマーシャルの声には、なんだか懐かしむような響きがあった。
「あの、クレア様。ルークにいじめられていたと言っても、まだ小さな頃で、ルークももっと大きないじめっ子たちの中に居たってだけなんです!」
マーシャルは私の目を見て慌てて真剣に訴える。
「再会してからは直ぐに謝ってくれたし、ここに来るまでの間にルークは本当に頼りになったんですよ!」
マーシャルの迫力に圧倒されるものがあった。
「ええ、分かっているわよ」
私が言うとマーシャルは目に見えてホッとした。
「私が虐められたなんて言ったせいで、ルークが誤解されたらどうしようと思っていたんです」
そう言う、マーシャルの笑顔が可愛くて、本当にルークの事が好きなんだと思った。
「どんなに虐げられても、私はオートマタが好きだったんです。密かにまだオートマタを使っているお屋敷に行って技師として働いていたら、宮殿から声がかかり、皇弟殿下の元で働く事になったんです。後は、以前アイゼル様の所でお話しした通りです」
マーシャルの話しておきたい事とは、祖父が皇帝陛下の暗殺未遂事件を起こして、自身も虐げられて来た事だった。
「やっぱり、私みたいなのがここで働かせて頂くのはダメですよね」
そう言って自虐的な笑みを浮かべる。
「そんな事ないわよ。お祖父様が疑われしまったのは気の毒な事で、実際には何があったか分かっていないんでしょう?」
実際の出来事は分かっていた。
私は本の中で読んでいる。
マーシャルのお祖父様は無実だった。
「例え、お祖父様が犯人だったとしても、孫の貴方に罪はないもの。ここにいてもらう事になんの問題もないわ」
私が言うと、マーシャルの顔がパッと明るくなった。
「アイゼルも大丈夫だと思うけれど、折を見て私が話しておくわね」
アイゼルはオートマタ事件が表面的なものでない事は知っている。
これも本を読んでいたからわかる事だ。
アイゼルとマーシャルは、この物語のヒーローとヒロインとして結婚するんだから、心配しなくていいわよ! とは言えないけど。
「皇帝陛下に信頼されて、妹の子をここまで連れて来てくれたんですから、自信を持って」
マーシャルの手を握って言う。
「クレア様、ありがとうございます」
マーシャルは安心してくれたみたいだった。
「ところで、マーシャルは皇弟にお会いしたことはありますか?」
マーシャルの心配を解消出来た所で、私には聞きたいことがあった。
「ありますよ。病弱な殿下に病気を移さないように、殿下の基本的な日々のお世話はオートマタがしていたんです。だから、オートマタの整備で私も殿下のお近くにいました」
それは私が本を読んで知っている事だった。
——そして、そこで貴方は皇弟と恋に落ちて、子供を産むのよ!
そう、これが本来の物語だった。
皇弟とオートマタ技師の間に生まれたのが、アイゼルの元に連れて来られて赤ちゃんの正体。
皇族の血を引くからと命を狙われているのは変わらないけれど、皇帝陛下の子ではなかったのよ!
けれど、何故、こんな違いが生まれてしまったのだろう。
皇帝陛下と皇弟殿下は、同じ皇族で、その子なら命を狙われる。
だから、どちらでも物語の辻褄は合う。
けれど、何故、皇帝陛下の子を産むのが私の妹なのか?
イレギュラーな私の存在のせいなのか?
単なる偶然?
それに、どうしてマーシャルは皇弟と恋に落ちなかったのか?
「あの、マーシャル?皇弟の事はどう思っていたの?」
私は聞いてみた。
「え?どうしてですか?」
なんだか露骨に嫌な顔をする。
「毎日、と言うと大袈裟ですけど、違う女人を呼んで遊んでましたよ。せっかく病気を避けるためのオートマタなのにあれではすぐ病気が悪化してしまいますよ。とても痩せていましたけど、同情できませんでした。オートマタは会話は出来ても本当の人間ではないから、ほとんどの時間をオートマタにお世話されているのは、可哀想だとは思いましたけれど」
昨日、アイゼルの前で話したのと変わらない答えだ。
本来ならマーシャルは皇弟に同情して子供を作ってしまうんだけど、同情出来ないかぁ。
なら、この話は進まないなぁ。
「でも、皇弟殿下ってアイゼル様に似ているかも知れませんね。コケた頬がふっくらしたらそっくりかも。あ、アイゼル様に失礼ですね。すみません。きっと、ルークの方がアイゼル様に似ていますね。アイゼル様を五歳くらい若くしたらきっとそっくりですよ!」
確かに、アイゼルとルークは整った顔立ちが似ていると思った。
「ルークとはいつ再会したの?」
「皇弟殿下の城に着いてすぐです。ルークが門番をしていて、私の方は気付かなかったけれど、ルークの方は直ぐ気づいてくれたみたいで、ちょうど休憩時間になったから、門を通った私をすぐ追いかけて来て、昔の事を謝ったんです。それで、私も思い出したんですよ」
皇弟より先にルークに会っていたわけね。
ルークの事は私にも分からなかった。
どうしてか、物語に入って来てしまった異端者が、この物語を根本から変えてしまったのだろうか?
——私のように。
「長く時間を取らせてしまったわね。道具の方はいつでもいいから、貴方の時間のある時にお願いね」
「はい、クレア様」
そう言って別れた。
ミアが入れ替わりに部屋に入ってくると、何を話したのか興味津々だった。
ミアも話せない事があるのは重々承知している。
「マーシャルはルークが好きみたいね」
と言うと、恋バナに満足して、ニコニコでお茶の後のテーブルを片付けていた。
マーシャルは皇弟の赤ちゃんを産まずに、この物語のヒロインから降りたのだと思う。
ルークとの恋を応援してあげたい気分になっていたけど、それでこの世界はどうなるの?
私もまだ先の物語を詳しく思い出せないまま、物語のズレを確認するだけだった。
ターニアの様子を見に行くと、ちょうどアイゼルも来ていた。
昨日、アイゼルからキスされたのに、拒んで逃げてしまったから、気まずい思いをした。
アイゼルはベビーベッドを見て優しく微笑んでいたけれど、私には何も言わずに部屋を出て行った。
侍女たちにターニアの様子を聞いて、しばらくターニアを眺めてから私も部屋を出た。
部屋を出ると警備をしていたルークに声をかけられる。
「クレア様、もうすぐ僕の休憩になるので、無礼は承知の上で、お話ししたい事があります」
そう言うので、久しぶりに庭園に出たるつもりだったから、東屋で待っていると伝えた。
庭園は数日の雨の後も変わらず美しかった。
庭師が、嵐が多く不安定なこの地で育つ花を選んでいるのだろう。
花を眺めているとルークがやって来た。
城の護衛の制服を着て歩くルークはスタイルも良くて庭園の中でよく映えると思った。
東屋に腰を下ろすと、早速ルークが口を開く。
「話とはマーシャルのことです。マーシャルがクレア様の部屋に伺ったのを見ていて、きっと、マーシャルが素性を話したのだと思います。でも、それはマーシャルには何の罪も無いんです」
「彼女の祖父のことも、証拠もないのに周りが勝手に決めつけただけで……、それなのに、子供だったとは言え僕はマーシャルに酷い事をしてしまって」
「クレア様、どうかマーシャルを誤解しないで下さい。アリシア様の出産にもずっと付きっきりで、ターニア様をこちらにお連れする時も、何度マーシャルの優しさと勇敢さに助けられたか分かりません」
必死にそう訴えるルークはやはり美しい顔だった。
「大丈夫よ、ルーク。マーシャルがとてもいい子なのは分かっているから、素性の事で悪扱いなどしないから、ね」
私は優しくルークに微笑んだ。
「ありがとうございます!」
ホッと緊張が緩んだルークも、また可愛かった。
「貴方達、とても似ているわね。マーシャルもルークが自分を子供の頃に虐めた事があるけど、誤解しないでって言っていたわ。ここまでの旅でとても頼りになったって、ね」
「マーシャルが……」
ルークは赤くなった。
何と言うか、お互いの気持ちはバレバレなんだけど、片思いの反応をされてしまうと胸がキュンとする。
しかも、とんでもない美青年なんだから、目の保養になる。
ずっと見つめていたい気がしたけど、ルークは休憩も終わるからと行ってしまった。
ルークとマーシャルはこのままくっついてしまうだろうし、アイゼルとマーシャルが恋に落ちる事はないのだろ……。
ザッ!
東屋で住っていた私は急に肩を掴まれて驚いた。
「きゃっ」
振り返るとアイゼルがいた。
「どう言う事だ!どうしてアイツと会っている!」
とても怒っていた。
アイツってルークの事?
「は、話があったからです」
私は答えた。
少しだけ震えた。
「こんな人目につかない所でか!」
「人に聞かれたくない話だったんです。マーシャルの事で」
アイゼルが動揺した。
アイゼルはマーシャルの素性をある程度は察しているのだろう。
あの事件に裏がある事も。
「そう、だったのか」
アイゼルは落ち着いたようだった。
これじゃ、まるで私がルークの事を好きで、アイゼルがルークに嫉妬したようだった。
「どうして? 6年間一度も私に関心を持ってくれなかったのに!」
私はアイゼルに、非難の言葉を投げつける。
アイゼルは唇を噛み苦悶の表情を見せた。
「僕だって、そうしたかったわけじゃないっ!」
そう言ってアイゼルは去っていった。
何故?
私はアイゼルが「僕」と言うのを十数年ぶりに聞いた。
アイゼルは私の事を覚えていて、何か事情があって私に冷たくしていたの?
◆◇◆
悶々としながら翌日になった。
ミアは私の苦悩を察しているようだが、何も聞かずに見守っていてくれる。
午後の時間にマーシャルが訪ねてくる。
頼んでいた道具の修理に来てくれたのだった。
いつもと変わらない笑顔を見せてくれるが、私は気になった事があるので訪ねる。
また、ミアには出て行ってもらう。
「マーシャル、昨日の貴方の素性の件だけど誰かに話しましたか?」
「いえ、クレア様だけです。ルークは知ってますけど」
良かった。
「マーシャル、この事はくれぐれも内緒にしていてください。貴方の事情を理解してくれる人も多いでしょうが、使用人の中にはよく思わない者もいるでしょう。その対策にもなりますが、何より貴方が連れて来た赤ちゃん、ターニアの素性は隠してあります。アイゼルの愛人の子で、ここから離れた領地内から来た事になっています。だから、貴方が帝都から来た事は知られてはいけないんです」
それが私の懸念事項だった。
本来の物語で、赤ちゃんがマーシャル自身の子だった場合は、マーシャル自身が当事者として急に訪ねて来たアイゼルの愛人の役を演じたから、秘密は守られたのだ。
それが、今回はマーシャル自身はただ赤ちゃんを連れて来ただけなのだから、口裏を合わせる必要があった。
「もちろん分かっています。それに、私、祖父が亡くなる前に辺境伯の領地には連れて来て貰った事があるんですよ。その時に来たのは、ここから遠い場所でしたけど」
「なら私よりも詳しそうね」
私は結婚してから、ここと辺境の首都ぐらいにしか行った事がなかった。
「そうなんですか? あ、そう言えば、その時にアイゼル様をお見かけしました」
マーシャルが言う。
その言葉に私の記憶の最後のピースがはまった。
どうして、マーシャルが皇弟と恋に落ちなかったのかが分かった。
そうだ! これだったのか!
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