第42話 妖食倶楽部①

 ゴールデンウィークが明けたが、僕の心は曇ったままだった。

 あれから何をしていてもあの男が頭から消えない。そのことが忌々しかった。

 そして深村堂は相変わらず暇だった。それが余計にあの男のことを考えさせる。


 怪異案件に人を送り込み続けて、対怪異のエキスパートとして選別し、やがて京都中の怪奇案件を独占する……というあの男の壮大な計画。そして計画のその歯車にされそうだったことがずっと引っかかり続けているのだ。


 とはいえ、あの計画についてはまだそこまで危惧していない。確かに実現したら脅威ではあるが、どれぐらいがエキスパートになるかなんて現時点では計算しようがないからだ。100人送り込んで10人残ればいい方で、実際は2人や3人かもしれない。


 それなら独占なんか当分無理だ。シジマ機構にいくら信者がいようと、モルモットには限度があるだろう。ただ、あの男の計画が予定通り始まるなら、今後どこかでシジマ機構の人間と顔を合わせることになる。その時に僕がどう振る舞うかの方が問題だ。


 の少し先輩として助言するか、「嫌いな人間の部下だから」という理由で無視するか……。

 しかしまあ、当の僕にしたってたまたま生存しているだけの人間としか言いようがないわけで、誰かに偉そうにアドバイスをできるような立場でもない。


 僕とあの男では京都市民としてのキャリアが違う。あの男にしてみれば僕なんて庭の水場の金魚みたいなものだろう。適当に泳がせておいても、いざとなったら容易く掬えてしまう……。


 それでも、だ。

 仮にあの男の計画がつつがなく進行したら、いずれは京都内の怪異案件の独占に動くだろう。その場合、僕や深村堂へ何らかのアクションを行う筈だ。


 その時に備えて、あの男を出し抜ける状態は作っておきたい。そのためにもあの男が絡んでいない、自分なりのコネクションを見つけていきたい……そう思っている。


 もっとも僕のように社交性の低い人間には、誰かと強い繋がりを持つこと自体難しいわけだが……。


 ふと、帳場の脇に放り出された小冊子が目に付いた。表紙には『月見里屋やまなしや 5月新入荷号』とある。魔美が貰ってきたものだろうか。何かのきっかけになるかと手に取って、パラパラ開いてみる。


 この小冊子は寺町四条にある古道具屋『月見里屋』が定期発行しているもので、新しく入荷した商品や在庫の目録などを載せるための会誌らしい。だが何故か途中のページには詩やエッセイなんかが挟まっている。


 正直なところ、読み物としては可もなく不可もなく……ぐらいの内容だが、これが不思議と丁度いいのだ。というか商品の案内だけだと息が詰まるのが解ってて、箸休め的に挟んでいるのだろう。


 なるほど、こういうやり方もあるんだな。深村堂のwebカタログも改善の余地がありそうだ。小冊子は印刷費がかかるからできないかもしれないけど、他に何かいいやり方が見つかるかもしれない。


 そんなことを思いながら開いたページに載っていた作者不詳の小話に、僕の意識は吸い寄せられた。


――――――――――――――――――――――――――――


 『未知の肉』


 男は美食家だった。

 金に糸目をつけず、世界中の珍味を食べ歩いた。男は食べれば産地や調理法はもちろん、その生物が生きていた環境まで見抜けると豪語していた。


 男は気がつくと、病院の白い天井を見ていた。

 全身が鉛のように重く、首から下がまるで他人のもののように感覚がない。ただ、強烈な「空腹」だけが、男の意識を支配していた。


 そこへ白衣の人物が現れた。

「食べてください」

 白衣の人物は肉片を男の舌に置いた。


 ……美味い。

 空腹もあったが、そもそも食べたことのない肉だった。高密度の筋繊維なのに歯切れの良い食感で、香りは濃密なのにえぐみがなく、グルタミン酸ベースでありながら知らない旨味がある……。


 美味い、美味い、美味い。

 咀嚼する度に涙が出るほど幸福な味だった。


 そしてその直後だった。

 男は怯えたように眼を見開き、自分の舌を勢いよく噛み切った。


――――――――――――――――――――――――――――


 水平思考ゲーム、あるいは水平思考クイズという遊びがある。

 与えられた「奇妙な状況」をめぐって、出題者に〈はい〉か〈いいえ〉で答えられる質問を投げ続け、少しずつ真相を浮かび上がらせていくタイプの推理ゲームだ。


 その代表的な作品が『ウミガメのスープ』である。


 ある男がレストランで「ウミガメのスープ」を注文した。

 ひと口飲んだ男は店を飛び出して自殺してしまった。

 いったいなぜだろう?


 ちなみに真相はこうだ。


 昔、男は仲間たちと海で遭難し、食べるものが何もない極限状態に陥った。仲間たちが次々と衰弱していく中、ある人物が「ウミガメを見つけた。これでスープを作ったから飲んでくれ」と言って、瀕死の男にスープを振る舞った。男はそのスープのおかげで生き延びることができた。


 そして今、レストランで本物のウミガメの味を知り……あの日の“肉”が本物のウミガメではなかったと気づいた。自分が知らぬ間に仲間の肉を食べていた。その事実に耐えきれず、男は命を絶ったのだ。


 前置きが長くなった。

 僕が思うに、『未知の肉』も『ウミガメのスープ』と同じような水平思考ゲームとして書かれている。


 未知の肉の美味さに感動した男が、直後に死を選んだ理由とは何だろう……僕はその謎に心を掴まれてしまった。僕はwebカタログの作成の仕事をほっぽり出して考え込んだ……。


 いきなり頬を引っ張られた。

「なんや、難しい顔して」

 横で魔美が顔を覗き込んでいた。いつの間にか帰宅していたようだ。


 ……ということはもう夕方か。3時間か4時間、この小話に意識を持って行かれたということになる。

「……これが頭から離れなくて」


 流石に「ずっとこの小話のことを考えていた」とは言いづらいので、誤魔化すように冊子を開いて渡す。

「ああ、月見里屋さんとこの。これ、ちょっと面白かったな。でもそんなずっと悩むような話か?」


「一応、僕の辿り着いた答えがある」

「聞かせて」

 そう言って魔美はニヤニヤ笑う。聞く前から絶対に外れているという確信がある表情だ。


「……美食家はこれまでに食べたことにない肉の味に感動したんだ。しかし今後もうこれ以上の感動を味わうことができないことに気づいて、絶望して命を絶った……という解釈なんだけど」


「ふーん。でも舌噛むって死に急ぎすぎやろ」

「それは確かに」

 早速、減点されてしまった。


「ウチの解釈はこうや。あらゆる珍味を食べた美食家がまだ食べたことがないのは人間の肉、だからこそ肉の正体がすぐに解ったってわけや」

 確かに前フリ的にはそうかもしれない。でも僕は食い下がる。


「でも人間の肉を食べさせられたからって命を絶つか?」

「身体が動かへんってのもミソやろ。食べされられているのが自分の手とか足って気づいたらどうや?」

「ああ……」


 なるほど。発想がエグすぎて、僕の中から出てこなかった。

「で美食家は自分がとんでもない拷問を受けていることに気づいて、耐えられずに命を絶った……な? 綺麗やろ」


「……確かにそういう解釈もできるけどさ」

 聞いてみると、なんだか魔美の解釈が正解っぽい。それでも僕はまだ納得したわけではなかった。


「でもこの作品は書きっぱなしじゃないか。質問する相手はいないし、答えだってどこにも書かれていない。まだ僕の答えが間違いだったとは限らないぞ」

 そう言って小冊子のページをめくる僕を見て、魔美は肩をすくめる。


「だってプロの先生が書いてはるんやで。素直に読み解いた方がええやろ」

「え?」

 思わずページを確かめるが、やはり作者名はない。なのにプロの先生だって?


「作者を知ってるのか? っていうかプロの作家?」

「こわいこわい! どんだけ圧かけんねん」

 おっと。つい詰め寄ってしまった。


「……元木雁もときがんって作家先生。知らん?」

「元木雁!」

 驚きのあまり、思わず声に出してしまった。


「知ってんの?」

「ファンってまででもないけど、昔読んでた作家だからさ」


 元木雁。十年と少し前に、京都小説ブームの波に乗ってデビューしたミステリー作家だ。デビュー以降も年一ぐらいで本を出していたが、ここ三年ほどはすっかりご無沙汰。世間的には忘れられた作家扱いかもしれない。


「それにしてはリアクション大きすぎへん?」

「……そんなわけないんだけど、元木読者って自分だけだと思ってたから」

「なんてこと言うねん。先生に失礼やろ」


 今回ばかりは魔美のツッコミももっともだ。

「じゃあ、元木作品だと魔美は何が好き?」


「読んでへん」

「お前の方が失礼だろ!」

 予想外の返事でびっくりした。


「いや……なんか知ってる人の本読むのって気まずない?」

 そう言われると確かにそうかもしれない。作家に知り合いがいないから解らないが。


「そうか、知り合いなのか……」

「なんや急にそわそわしだして」

「上手く説明できないんだけど……小説に書かれた京都に憧れてここに来たから、それを生み出す作家先生も畏れ多いというか」


「特にオーラとかもない、気さくなおじさんやで」

「なんてことを言うんだ!」

 しかし魔美は意に介する様子もない。


「元木先生、この時間やったら月見里屋で店番してるんとちゃうかな」

「バイトしてるのか?」

「そ。だいたいアンタと同じ立場」


 道理で魔美と面識があるわけだ。

 そうか……まあ、三年も本を出してない作家だ。バイトぐらいしててもおかしくはないか。しかし、作家には羽振りよくしててほしい気持ちがある。


「あ、そうや。ホンマは宅急便で送ろう思ててんけどな……」

 そう言って魔美は一度奥に引っ込んだかと思うと、壺でも入っていそうな桐の箱を持って来る。そして紫の風呂敷で、持ち手を作るように包んでくれた。


「これ持って月見里屋さんまで行ってき。運が良かったら元木先生と話せるで」

「……いいのか?」

 魔美は柔らかく笑う。


「祟、最近ずっと辛気臭い顔してたからな。好きな作家先生と話して元気になるならお使いぐらいさせるわ」

 ここ数日のモヤモヤした感情、表に出していたつもりはなかったのだが、魔美にはバレていたようだ。


「あ、そうだ。時間あったら妖食倶楽部の話も聞き出してみ? 絶対に面白いから」

 妖食倶楽部?

 そこでふと、根本的なことに気づいた。


「あれ……でも、バイトの時間終わってるのにお使い? あと宅急便代浮いてるよな?」

「男が細かいこと気にせんと。はよ行き!」

 魔美は思いっきり僕の背中を叩いた。

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