魔法少女ごおぐぇまお

平手武蔵

消しゴムマジックで消してやるのさ

 彼氏と約束のカフェへの道順を調べるため、極度の方向音痴な私、未知みち真宵まよいはスマホの検索窓をタップした。


 なんで地図アプリを入れないのかって? スマホのストレージが、消せない思い出の写真や動画でいつもパンパンだからよ。新しいアプリを入れる余裕なんて、どこにもないの。だから私はいつも、ブラウザを立ち上げて検索する。


 スマホの画面に表示されたQWERTY配列のキーボード。私は普段から、フリック入力ではなく、この英字キーボードを使っている。そして、私の人差し指は、いつもほんの少しだけ、意志に逆らって隣のキーを叩いてしまう。


 日本語/英数字の切り替え忘れ。日本語入力モードのまま、私は気づかない。画面に表示される奇妙な文字の羅列にも構わず、私はキーボードだけを見ていた。「g」「o」「o」「g」「l」「e」……「m」「a」……。最後の最後、叩くべきだった「p」のキーからわずかに右にずれ、隣の「o」のキーをタップしてしまった。


 検索窓に確定された文字列は、もはや見慣れた悪夢の残滓だった。


 ──ごおgぇまお。


「もーっ! またやっちゃった!」


 その呪文めいたタイプミスをトリガーに、スマホが閃光を放つ。世界から音が消え、網膜を焼く光の中で、私の体は意思とは無関係に、優雅で、しかしヤケクソじみた決めポーズをとっていた。


「ルート検索! 目的地は私! 魔法少女ごおぐぇまお、ナビゲート・オン!」


 フリル満載の衣装への変身が完了する。これが、最初の誤入力から始まった、私の宿命である。Google Mapのピンの形をした妖精ナビィが私の肩に現れる。この妖精と出会ったあの日から、人知れず、私は「オブジェクト」を壊す存在から地球を守るために戦っている。


 ナビィが叫んだ。


「まお! 緊急事態です! 街から、様々なオブジェクトが消失しています!」


 現場へワープすると、そこは異様な静寂に包まれていた。ポストが、電柱が、公園のベンチが、まるで写真の一部を塗りつぶしたかのように、不自然な更地と化している。その中心で、聞き慣れた声が響いた。


「あー、ムカつく! このポスター、ヤスコじゃん! 最近やたら見るんだよね、はいはい、すごいすごい。はい、消去ー!」


 親友の不破ちゃんが、スマホの画面を憎々しげにスワイプすると、商店街の柱に貼られていた自衛隊募集のポスターから、タレントの姿だけが綺麗に消え去った。


「不破ちゃん!」

「あ、真宵じゃん」


 不破ちゃんは虚ろな目で私を見ると、スマホを掲げて歪んだ笑みを浮かべた。


「見て見て、すごくない? 気に入らないヤツは、ぜーんぶ、消しゴムマジックで消してやるのさ! 私はもう、ただの不破ちゃんじゃない。魔法少女ごおぐぇぴぇおよ!」


 ──ごおgぇぴぇお。


「あなた、打ち間違えてしまったのね、『Google Pixel』を!」


 私の叫びに、不破ちゃんのスマホから陽炎のような黒い影がゆらりと立ち昇った。


「その通りだ。しかし、それは正しい理解ではない。――我が、彼女の心の闇に囁きかけたのだ」


 グリッチと名乗ったその存在は、空間をバグらせるように歪ませながら、せせら笑った。私のナビィとは対をなす、データの歪みから生まれた闇の妖精だった。


「彼女は自ら望んだ。この正常な世界から、不愉快なエラーを全て消し去る力をな。SNSでの些細な失敗、『面白くない』『誰かの真似』『うるさいだけ』……そして、あのヤスコという同級生の芸能界での大ブレイクへの嫉妬! その心のバグを、我が見逃すはずがなかったのだ……!」


 グリッチの言葉に呼応するように、不破ちゃんが甲高い叫び声を上げた。


「うるさい、うるさい、うるさーい! ヤスコだけじゃない! あいつがテレビで『美味しい』って言ってたクレープ屋も、雑誌で『カワイイ』って紹介してた雑貨屋も、全部全部ぜーんぶ、いらないっ!」


 不破ちゃんは、狂ったようにスマホを操作し、街の建物を次々と消していく。クレープ屋が歪み、雑貨屋が背景に溶け、思い出の場所だったはずの景色が、無機質な更地へと変わっていく。


 私は叫んだ。


「もうやめて、不破ちゃん! あなたが消しているのは、ただのモノじゃない! 誰かの待ち合わせ場所、誰かの帰り道の目印、誰かのささやかな思い出なのよ!」


 私は一歩踏み出し、今にも泣きそうな顔で笑う親友を見つめた。


「『面白くない』ですって? 『誰かの真似』? そんな心ない言葉で、あなた自身を消さないで、不破ちゃん! あなたが本当に消したいのは、ヤスコのポスターじゃない! そういう言葉に傷ついて、自信をなくしてる弱い自分自身なんでしょ! そんな力で街を壊したって、あなたの心は少しもスッキリしない!」


 私は不破ちゃんのスマホから立ち昇る黒い影を睨みつけた。

 

「グリッチ! あなたも聞きなさい! 人の弱さにつけこんで、その子の一番大切なものを消させようとするなんて、最低よ!」


 私の叫びが届いたのか、不破ちゃんの狂乱の動きが、ぴたりと止まった。


「……真宵?」


 憎悪に燃えていた瞳からスッと力が抜け、いつもの不破ちゃんの色が戻ってくる。しかし、周囲をキョロキョロと見渡した後、すぐに焦りの色が浮かんだ。


「ち、違うの、これはさ、なんかそういう演出っていうか、ノリ? みたいな……。嘘、ごめん、マジ無理……。あたし、もう分かんない、どうしたらいいか……。てか、もう全部めんどくさい……。助けて、真宵……」


 不破ちゃんが震える手を私に伸ばしかけた、その瞬間。


「無駄だ!」


 グリッチが叫び、黒いオーラが津波のように不破ちゃんを飲み込んだ。その瞳は再び虚ろな光に支配され、伸ばしかけた手はだらりと力なく落ちる。


「……不破ちゃん!」

「もういい……」


 グリッチによって、完全に操り人形と化した不破ちゃんが、私の言葉を遮るように応える。


「一番いらないもの、それはおまえだ、真宵! おまえは偉くないので、死んでください! 予選敗退です!」


 ついに、不破ちゃんのスマホが私に向けられた。まずい、私自身が消される!


「食らいなさい! ファイナル・イレイザー!」


 強烈な光が私を包み込み、視界が真っ白に染まっていく。体が、存在が、全てが薄れていく。


 ――いや、負けない……!


 消えかけた意識の中、私は聞いた。消されたモノたちに向けられた人々の想いを。「帰りたい」「会いたい」「届けたい」……無数の願いが私に流れ込み、道しるべとなる。私の目的地は、こんな場所じゃない!


「はああああっ!」


 光を内側から弾き返し、私は再び立ち上がった。


「強制ルート検索! あなたのゴールはここじゃない! 来て、ナビィ!」

「了解です、まお! 座標固定、最大出力でいきます!」


 私の呼びかけに、ナビィは、まばゆい光を放ちながら巨大化し、ロケットのように天高く舞い上がった。そして、空の頂点で巨大な赤いピンの形となり、何もない空間にズブリと突き刺さる。その衝撃で、空に世界地図がオーバーラップし、グリッド線が走った。転送先座標――『ネットワークの深淵』が、物理的に固定されたのだ。


「これが私のアンサー!」


 私は叫び、ステッキをグリッチに向けた。


「バグったロジックごと、あなたのワガママ……彼方へナビゲートします!」


 ステッキの先端から無数の光のラインが、一本の巨大な奔流となって噴出する。その光のハイウェイは、天頂のナビィのピンを目指し、グリッチと不破ちゃんを強制的に絡め取った。


「ぐわぁぁぁ! やめろぉぉぉ!」

「ぴぇぇぇん!」


 二人は悲鳴を上げながら、猛スピードで光のハイウェイを駆け上がっていく。そして、デジタルノイズ混じりの断末魔が響き渡ると同時に、天頂のピンへと吸い込まれる。光はブラックホールのように全てを飲み込んで消滅した。


 戦いは終わった。私は変身を解き、静かになった街に一人立ち尽くす。


「不破ちゃん……」


 きっと大丈夫。強敵ともの「帰りたい場所」は、ここだから。その道を、私がいつか必ず見つけ出す。


 変身を解き、一息つくと、私は本来の目的地である、彼氏が待つカフェへ向かおうと歩き出した。


 だが、辺りを見回すが、目印にしていたもの全てが、戦いの影響で変わってしまっている。


 そう、私は忘れていた。


 敵がいなくなっても、私が極度の方向音痴であるという、根本的な問題は何一つ解決していないことを。


 壮大な戦いの果てに訪れた、あまりに個人的で、どうしようもない現実。


「……ここ、一体どこなの?」


(了)




【イメージソング】

※カクヨム外部サイトに飛びます。

https://suno.com/song/7f8a7449-4317-4bd4-862a-a9cd8553301d

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