第36話 エミリヤ日記――言い訳のような任務

 同じ屋根の下にいる。

 それだけで、少し落ち着かない。


 ラジェールと一緒に住むことには、別に特別な想いがあるわけではない。

 そもそも、騎士選抜のときも同室だったのだから、今回がはじめてというわけでもない。

 ……そう思い込もうとしている自分が、少しだけ可笑しい。


 ヨル様はいろいろと期待しているようだが、私……いや、私たちは何も変わらない。

 ――それが、私たちの絆。

 そういうことにしておこう。



 もっとも、ヨル様が私を、呼び寄せたのは、からかいだけが目的ではない。

 ……いや、それが第一であることは、間違いない。


 ここでは、城内では見えなかったことが見える。

 人々の息づかい。

 遠くの国から運ばれてくる物資。

 そこに混じる、微かな情報の欠片。


 ヨル様がおっしゃっていた意味が、ようやく少しだけ理解できた。



 船乗りたちの噂。

 入ってくる荷物と、その値段の変化。

 それらを見ていると、世界の輪郭が少しずつ浮かび上がる。

 誰も気づいていない小さな脅威も――きっと、こうして見張っていれば見えてくる。


 王国を見張り、

 人々の声を見張り、

 ……そして、たまに自分の心も見張っておく。


 筆を持つ指先が、無意識に震える。

 見張っているのは心ではなく――ただ、彼の背中なのかもしれない。

 見守っている……いや、ただ見ているが正確な表現だ。


 今のところ、どれも平穏だ。



 昼の集まりで耳にした話だが、

 東方の高名な魔導士が行方知れずになったという。

 それは、ここでしか聞けない生の情報。


 私は、ここで王国の脅威を見張る。

 それが、私の新しい任務。


 ……書いていて気づく。

 任務でも、祈りでもない。

 ただ、そばにいたい――それだけの理由だった。

 だから、今は見ているだけで構わない。


 わかっている。

 そんなの、ただの言い訳だって。

 でも、言い訳でもしておかないと、騎士であることを忘れてしまいそうになる。



 だから、今日のところはこれで終わり。

 余計なことを書きそうだ。


 明日も変わらない日になるといい。

 変わらない日々を願いながら、

 その日々の中に、彼がいることも願っている。


 ……それが、私のいちばんの祈り。

 我ながら少し笑っちゃうわね。

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