第33話 エマ日記――隊長として

 最近の朝は特に早い。

 旅をしていた時よりも、ずっと。


 まだ空が青白くて、街も息を潜めている時間。

 かすかなパンの香りと、どこかで水を汲む音。

 そんな静けさの中で、わたしの一日は始まる。


 昨日の夜露がまだ石畳に残っていて、踏むたびに小さく音を立てる。

 露を跳ねる靴音が、昔の自分を思い出させる。

 あの頃は、音を立てないように歩いていたのにな……今は違う。

 音がしてもいい。だって、もう逃げてるわけじゃないから。


 エイミー様が、あの広場での炊き出しを手伝っているから。

 「貴女たちは後からでいいから」

 なんて言われても、そんな訳にもいかず、わたし達は毎日同じ時間に手伝いに行く。

 もっともエレノワはギリギリまで寝てるし、たまに寝坊もするけど。



 朝は早いけど、わたしにとってはそんなに不快じゃない。

 むしろ、ちょっと楽しみだ。


 親父殿や子分たちとガヤガヤしてた食事を思い出すから。

 あの頃の楽しさと重なるのは、今は辛いことじゃない。


 あの人は口が悪くて、乱暴で、でも不思議と誰も逆らえなかった。

 飯の時は笑って、怒る時は本気で殴る。

 あの人が生きてたら、今のわたしをどう思うだろう。

 「隊長」なんて呼ばれてるって言ったら、笑って酒を吹き出すに決まってる。


 風の匂いが似ている。あのアジトの朝と。

 息を吸うと、胸の奥の何かが少し動いた気がした。

 あの夜の痛みも、消えた訳じゃないけど、少しずつ違う形に変わっている。


 あの頃を思い出しても辛くなくなったのは……。

 ……考えたくないからもうやめよう。

 なんか、感謝したくない奴に感謝しそうになるから。

 ……ちょっとムカつく。



 そう言えば、最近、広場のガキたちから、隊長なんて呼ばれるようになった。


 「おい、隊長! こっち、早く!」

 そう呼ばれて振り向いた時、胸の奥が少しムズムズした。

 なんだそれ、と思いながらも、口元が勝手にゆるんでしまう。


 ガキどもは元気だ。

 縄を木に結んで遊んだり、泥をぶつけ合ったり、わたしがちょっと目を離すともう誰かが転んでる。

 でも、泣いてもすぐ立ち上がる。

 あの強さは、ちょっと羨ましい。

 たぶん、昔のわたしにはなかったものだ。


 貧民街とは言え、王都の都会育ち。

 ましてや、海育ちのこの辺りのガキたちにとって、

 わたしが教える田舎の山での遊びは珍しいらしい。

 わたしにとっては、昔、親父殿たちから教えてもらったことと同じことをしてるだけなんだけど。



 親父殿たちと居ても、エイミー様と居ても、わたしはいつも一番年下だった。

 でも、ここではわたしより年下がいる。

 それが新鮮で、ちょっと恥ずかしくなることもある。


 ……でも、悪くない。


 アイツはエイミー様が認めた勇者。

 だけど、私は認めた訳じゃない。


 ……でも、ちょっとだけど感謝している。

 あの人のせいで、いろんなものが変わった。

でも、変わったことを後悔してない自分がいる。

 あの夜から時間が止まってたけど、少しずつまた動き出した気がする。


 言葉にした瞬間、胸の奥が少し熱くなる。

 なんかもう、今日はこれ以上日記書くのやめよう。

 もう夜も遅いし、明日も早いから。


 でも、胸の奥が少しだけ、あったかい。

 なんでかは、考えたくないけど。


 ……ああ、もう、考えるのはやめだ。

 なんかアイツのこと考えたら、モヤモヤしてきた。


 やっぱり、アイツは……キライ。

 ……でも、明日もまた顔を合わせる。

 どうせまたムカつくことを言うんだろうけど。

 それでも、きっと同じ時間に広場へ行くんだろうな。

 なんでだろう。

 考えたら、ちょっとだけ笑えてきた。

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