第55話:何度目の正直。ならず...
私は実に困難な決意を固めていた。
使命を放棄してから一週間、日常に戻った安堵感も落ち着いた頃、私の心に新たな課題が浮上したのである。
それは、これまで何度も挫折してきたアリアへの感情表現という、極めて個人的かつ重要な問題であった。
「今度こそは」と私は自分に言い聞かせた。
これまでの失敗を振り返ってみると、いずれも場所の選択に問題があったのではないかと分析した。
魔導河という神秘的な場所では、どうしても情緒に流されて適切な言葉を選べなくなってしまう。
「蓋し、理性的な環境でこそ、理性的な表現が可能になるのではないか」
そう考えた私は、今度は図書館で話をすることにした。
我々にとって最も馴染み深く、落ち着いて会話できる場所である。
その日の午後、「魔法基礎理論」の復習を終えた後、私はアリアに声をかけた。
「少し話したいことがあるのですが、お時間はありますか?」
「はい」とアリアは振り返った。「どのような話でしょうか?」
「実は」と私は慎重に言葉を選んだ。
「君への感情を、今度こそ適切に表現したいと思うのだが」
アリアは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに理解したようであった。
「分かりました。こちらでお話ししましょうか」
我々は図書館の奥、比較的人目につかない閲覧席に移った。普段勉強している席からそう遠くない、馴染みのある場所である。
私は深呼吸してから口を開いた。
「これまで何度か、君との関係について話そうと試みたのですが、その都度適切な表現を見つけることができませんでした」
「はい」とアリアは静かに頷いた。
「今度こそは、混乱なく、明確に伝えたいと思います」と私は続けた。
「君と私の関係は、単なる友情や学術的パートナーシップとは、何か質的に異なるもののような気がするのです」
そこで私は言葉に詰まった。一体何がどう違うのか、具体的に説明できない。
「つまり、特別な...何というか、独特の結びつきとでも言うべきものを感じるのです」
アリアは微笑んだ。
「あなたがそのような感覚をお持ちだということは、薄々感じていました」
「そうでしたか」と私は少し安堵した。
「それで、君の方はどのように...」
「私も」とアリアは少し顔を赤らめた。
「人間関係の性質について、改めて考えてみました」
私は「また始まった」と内心で思った。しかし、これが我々らしいやり取りなのかもしれない。
「人間関係の性質、ですか」と私は興味深そうに尋ねた。
「はい」とアリアは真面目な表情で説明を始めた。
「一般的に、人と人との関係は明確に分類されがちですが、実際はもっと複雑で曖昧なものではないでしょうか」
「どのような意味で複雑なのでしょうか?」
「友人、知人、同僚、家族...これらのカテゴリーはあくまで便宜的なもので、実際の関係はその境界線を越えた独特のものになることがあると思うのです」
私は頷いた。確かにアリアらしい分析である。
「それは興味深い見解ですね。では、君は人間関係を固定的なカテゴリーで捉えるべきではないということですか?」
「完全に否定するわけではありません」とアリアは訂正した。
「分類は理解の助けにはなります。しかし、時として既存の枠組みでは説明できない関係性が生まれることもあるのではないでしょうか」
私は考え込んだ。確かに一理ある。
「つまり、表面的な関係性の分類ではなく、実際の相互作用や理解の深さに基づいて関係を捉えるべきということですね」
「その通りです」とアリアは嬉しそうに頷いた。
「そして、その観点から申し上げますと...」
彼女は少し躊躇してから続けた。
「あなたと私の関係は、従来の分類では適切に表現できない、独特なものだと思います」
私は心臓が高鳴るのを感じた。これは明らかに好意的な返答である。
「それは」と私は慎重に確認した。
「つまり、君も私との関係について、通常の友人関係とは異なる何かを感じているということでしょうか」
「はい」とアリアは頷いた。
「ただし、これをどのように定義すべきかは、なかなか難しい問題ですね」
私は困った。確かに、我々は互いに特別な関係であることを確認した。しかし、それをどう言語化するかという新たな問題が生じてしまった。
「既存の関係性の用語では表現しきれない関係、ということでしょうか」と私は呟いた。
「しかし、それを何と呼べばよいのか分からません」
「私も同感です」とアリアも同意した。
「新しい関係性には、新しい言葉が必要なのかもしれませんが、それを創造するのは困難ですね」
「では、どのような表現が適切でしょうか」と私は尋ねた。
アリアは少し考えてから答えた。
「『深い理解と信頼に基づく、特別な知的パートナーシップ』とでも言うべきでしょうか」
私は苦笑いした。確かに正確な表現だが、実に学術的である。
「それは確かに我々の関係を正確に表現していますが、何だか研究論文の一節のようですね」
「そうですね」とアリアも笑った。
「でも、これが私たちらしい表現なのかもしれません」
我々はしばらく沈黙した。確かに互いの特別な関係性を確認したのだが、何だか釈然としない気持ちが残っている。
「つまり」と私は整理を試みた。
「我々は互いに通常の友人関係を超えた何らかの結びつきを感じており、それは既存の分類では表現できない独特なものであると」
「はい」とアリアは頷いた。
「しかし、それを定義する適切な言葉が見つからないということですね」
私は頭を抱えた。
結局、今回も明確な結論に達することができなかった。
関係性の確認はできたものの、それをどう位置づけるかという新たな問題が生じてしまったのである。
「もしかすると」とアリアが提案した。
「言葉で定義する必要はないのかもしれません」
「どういう意味ですか?」
「私たちの関係は、既に十分に独特なものになっています」とアリアは説明した。
「それを言葉で分類しなくても、現実は変わりません」
確かにその通りかもしれない。我々は確実に以前より特別な関係になっている。
それを言語化することにこだわる必要はないのかもしれない。
「しかし」と私は反論した。
「やはり何らかの形で明確にしておきたいという気持ちもあります」
「分かります」とアリアは同意した。
「私も同じ気持ちです。でも、焦る必要はないのではないでしょうか」
その時、図書館の時計が夕方の五時を告げた。我々はかれこれ一時間も、この議論を続けていたのである。
「今日はこの辺りで終わりにしましょうか」と私は提案した。
「はい」とアリアは同意した。
「でも、今日のお話は有意義でした」
確かに有意義ではあった。互いの特別な関係性を確認し、その独特さを認識することができた。
しかし、結局のところ明確な結論は出ていない。
図書館を出る時、アリアが振り返った。
「あのう」
「はい?」
「先ほどの『深い理解と信頼に基づく特別な知的パートナーシップ』ですが」とアリアは少し照れながら言った。
「とても素敵な表現だと思います」
私も微笑んだ。
「君の人間関係論も、とても興味深かったです」
我々は並んで寮へ向かった。
特別劇的な変化があったわけではないが、確実に何かが進展したような気がする。
部屋に戻ってから、私は今日のやり取りを振り返っていた。
結局、我々は今回も学術的な議論に終始し、感情的な表現を避けてしまった。しかし、それが我々らしいアプローチなのかもしれない。
窓の外では、魔導河が静かに流れている。
明日もまた、我々は図書館で並んで勉強し、学術的な会話を続けるのだろう。そして、その日常の中で、ゆっくりと確実に、関係を深めていくのである。
互いの特別な関係性を確認できただけでも、今日は大きな進歩だったと言えるだろう。たとえそれを適切に言語化できなくても、理解し合えたという事実は変わらない。
つまるところ...我々は永遠に学術的表現から逃れられないのかもしれない。
しかし、それもまた一つの関係性の築き方なのであろう。理性的で、慎重で、そして確実な結びつきとして、これはこれで価値があるのではないだろうか。
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