第4話 龍と闇の脈動



第4話:龍と闇の脈動


 沖縄の夜は、台風の猛威に飲み込まれていた。空は厚い雲に覆われ、まるで墨を流したような闇が広がる。道場の木造の屋根を叩く雨音は、戦太鼓のように激しく、風が唸りを上げて窓枠を揺らし、まるで天地が怒りをぶつけるかのようだった。外では、ヤシの木々が風にしなり、葉擦れの音が幽鬼の囁きのように響く。遠くの海は白波を立て、波濤の咆哮が闇夜にこだまする。真夏の湿気は空気を重くし、道場の木の床には湿った熱気が漂っていた。


 道場の中では、ユイがただ一人、嵐の喧騒と静寂の狭間で己と対峙していた。ユイの鍛え上げられた身体は、汗で光沢を帯び、黒い道着の裾が床に濃い影を落とす。両手には滑らかな丸みを帯びた「龍脈石」が握られ、5キログラムの重さが腕にずっしりと響く。足首には1キロの砂袋が締め付けられ、ユイの動きに負荷を加えている。道場の空気は、彼女の呼吸と汗でさらに熱を帯びていた。



 ユイはまず、10分間の瞑想に入る。目を閉じ、嵐の雨音と遠くの波音を聞きながら、意識を沖縄の海と空、そして宇宙の果てへと広げる。心の奥底で「星海の龍」と対話する。

「限界を超えろ。魂を燃やせ」と、龍の声が響く。ユイの呼吸は深く、まるで海底から湧き上がる潮のように力強い。真夏の湿気がユイの肌を濡らし、汗と混じり合う。瞑想を終えたユイは、ゆっくりと立ち上がり、砂浜を想像しながらナイハンチ初段の型を始める。

 動作に10秒。龍脈石の重さが腕に食い込み、砂の抵抗を想像しながら足を踏みしめるたび、筋肉が悲鳴を上げる。しかし、ユイの目は揺らがない。雲に隠れた月光をイメージし、宇宙の気を吸収するように呼吸を整える。

 「根を張れ」と自分に言い聞かせる。足が砂に沈む感覚を意識しながら、体幹を極限まで鍛える。10分後、ユイの身体は熱を帯び、まるで内側から星の光が漏れ出すかのようだった。


 次に、ユイは龍脈石を片手に持ち、海に向かって立つイメージで直突きを始める。1000回。1突きごとに「ハッ!」と気合を入れる。波が引くタイミングで突き、寄せるタイミングで引く。石の重さが肩と腕を苛むが、ユイは波のリズムに魂を同期させる。

 嵐の雨音と波音が混じり合い、ユイの気合がその合間に鋭く響く。最終100回、ユイは目を閉じる。波音と風の唸りだけを頼りに突きのタイミングを計る。真夏の湿気がユイの道着を重くし、汗が床に滴り落ちる。ユイの集中力は超人的な領域に達していた。

「星海の龍よ、導け!」

 ユイの突きは、まるで空間を貫く刃のようだった。


 イメージの世界がさらに拡大する。ユイは足首の砂袋の重さを感じながら、海面すれすれで前蹴りと回し蹴りを繰り出す。各100回。砂浜の不安定さを想像し、バランスが崩れそうになる中、ユイは「龍の尾で星を斬る」イメージで蹴りの軌道を完璧に保つ。

 波が足に当たるイメージの中、ユイの精神は揺らがない。風が道着をはためかせ、雨が窓を叩く。真夏の熱気がユイの動きをさらに重くするが、ユイの目は虚空を見据え、まるで星々を切り裂く龍の尾のように、蹴りは鋭く、力強い。

 5分間、ユイはひたすらに蹴り続けた。道場の空気はユイの熱気でさらに重くなり、後輩たちは遠巻きにその姿を見つめ、息をのむ。


 最後に、ユイは全ての道具を外し、自由に創作した「星海の型」を演武する。突き、蹴り、受け、移動が爆発的に組み合わさり、ユイの動きはまるで嵐そのもの。砂を蹴り上げるイメージで空間を切り裂く。想像の中でユイは沖縄の砂浜を自由に舞う。

 雲に隠れた月光を背に、ユイの動きはまるで闇を裂く雷のようだ。波の音と雨の音が背景となり、ユイの気合が道場を震わせる。

 3回目の演武の最後、ユイは両手を天に掲げ、叫んだ。

「洞窟に潜む龍よ、目覚めなさい!」

 その声は、嵐を切り裂く雷鳴のようだった。道場の空気が一瞬静まり、後輩たちの息が止まる。ユイの魂は燃え上がり、まるでユイ自身が炎のような龍と化したかのようだった。



 練習を終えたユイは、道場の軒先に腰を下ろし、瞑想を再開した。真夏の雨は温かく、激しく降り注ぎ、ユイの道着を濡らす。風がユイの髪を揺らし、遠くの海は白波を立てて咆哮していた。道場の灯りがユイの背に淡い影を落とし、雨音が世界を包む。


 そこへ、軽やかな足音が近づいてくる。天才ハッカーのアオイ(21歳)が、ずぶ濡れで現れた。白いブラウスが柔肌に張り付いていてブラジャーの型がくっきりと見えた。アオイのお嬢様らしい口調は、嵐の中でも不思議な気品を放つ。

「ユイ様、お元気そうで何よりですわ」

 アオイは濡れた髪を払い、ユイの隣に腰を下ろす。アオイの手にはタブレットが握られ、画面には複雑なコードが映し出されている。

「コードネーム『鶴と亀』の暗殺者について、興味深いことが分かりましたの。あの国のシャドーバンク、セキュリティがまるで子どものお砂遊び並みでしたわ。わたくし、ほんの少し手を加えて、お金の流れを止めて差し上げましたのよ」

 ユイは目を細め、アオイを見つめる。「そんなことができるのか?」

アオイは優雅に微笑み、まるで舞踏会の貴婦人のように首を傾げる。

「わたくしを誰だとお思いですの?」アオイはニヤリと笑みを浮かべてこう言った。「これで、あの組織は大変なことになりますわよ」



 アオイが去った後、今度は大浜ジンがやってくる。黒人の父親とウチナンチューの母親を持つジンの肌は小麦色に輝き、濡れたTシャツが筋肉質な身体を際立たせている。真夏の雨に濡れ、髪から水滴が滴り落ちる。

「ユイさん、普天間基地近くの古いマンションで妙なことがあったんで報告っす」

 ジンの声は低く、どこか緊張を帯びている。

「4階建てのボロいマンションで、ちっちゃな爆発があったらしいんす。住民は『なんの音?』って感じで、すぐ話題にしなくなった。でも、異臭が漂ってたって。それと…」

 ジンは一瞬言葉を切り、ユイの目を見る。「そのマンション、深夜に子どもの悲鳴が聞こえることがあるって話なんすよ。最近、県内で子どもが行方不明になってる事件、多いじゃないすか」


 ユイの瞳が鋭く光る。ユイの魂がビンビンと響き始める。まるで星海の龍が咆哮を上げ、闇の脈動を捉えたかのようだった。

「ジン、そのマンションの場所を教えてくれ」

 ジンの声は静かだったが、その奥には嵐よりも激しい決意が宿っていた。


 外では、台風が一層の勢いを増し、海と空が一体となって咆哮していた。ユイの心は、まるでその嵐と共鳴するように燃え上がり、ユイのマブイ(魂)は闇の向こうに潜む真実を追い始めた。


 

 時を同じくして、諸見里マリの身辺調査を進めていたカイトがマリの旦那と接触していた。マリの本名は陳美玲、中国人だ。旦那はモノレール安里駅付近の栄町の酒場で飲んだくれている60過ぎのオッサンだった。栄町には通路にテーブルを出して外飲みをする屋台のような店がいくつかある。マリの旦那は外のテーブルに座り、よだれをたらしながら道行く観光客女性に声をかけているが、誰も相手にしない。栄町のアーケードは安物のテントが古びていて、ところどころ破れているので、雨がションベンのように落ちて通路にその音を響かせていた。カイトがマリの旦那の横に座って泡盛の水割りを1杯おごったら、すぐに打ち解けて呂律の回らない声で話し出した。

「おお、たしかに、マリは俺の嫁だよ」

「亡くなったんですよね」

「え? マリが死んだの?」

「知らなかったんですか?」

「あいつとは、1回だけエッチさせてもらった。そして10万ほどもらったかな。それで、婚姻届けにサインしたんだよ。それっきり会ってないし、俺は関係ないからね。ところで、あんたは何者? まさか警察?」

「違いますよ」とカイトは笑って「どうです? もう1杯飲みますか?」とすすめた。

「え? いいの? 悪いねぇ」

 とマリの旦那は鼻先を赤く染めて笑った。旦那には偽装結婚に対する罪の意識はなさそうだったが、カイトはふと『どんな罪になるんだろう?』と思った。

「で、その後、マリさんからは、何の連絡もなかったんですか?」

「そういえば、1カ月前に電話があったね」

「なんて言ってましたか?」

「子どもを助けたいって」

「え?」

「まさか、俺の子じゃないだろうなって言ったら、マリは違うって。どこの子を助けるんだよって言ったら、手伝って欲しいって言って泣き出すんだよ。俺、なんか変なことに巻き込まれたくないからさぁ。ごめん、俺には、何もできないから、警察に相談しなって言って電話切っちゃったんだよ」

「そうなんですか。ありがとう」

 カイトはそう言ってお金を払い店をあとにして雨の降る暗い通りへと出て行った。


 リコとタツヤは国際通りから路地に入ったところで、雨のなかバー『ブルーコーラル』を見張っていた。二人はデビッドが20人くらいの男たちを連れて店に入っていくのを目撃した。

「え? どういうこと? 何がはじまるの?」

 リコは思わず傘から飛び出して雨の中で仁王立ちしてしまった。

「リコさん、濡れますよ」

 とタツヤは傘をリコにさしかけて、次々と『ブルーコーラル』のなかに消えていく男たちの背中を見守った。



(つづく)

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