第2話 ワンのマブイ
那覇の夜は、国際通りの街灯が石畳に柔らかな光を投げ、路地に漂う三線の調べが潮風に溶け合う。かりゆし酒場のカウンターに、嘉手苅ユイ(26歳、刑事)は重い体を預けていた。ゴーヤーチャンプルーの皿は手つかず、泡盛のグラスはすでに三杯目。ピンクとグリーンのグラデーションボブが、酒場の灯りに鮮やかに映える。
ユイの目は、疲弊と苛立ちが交錯し、星のない夜空のように暗く光っていた。那覇市開南のコンビニ駐車場で死体が見つかった。被害者は*比嘉マリ、25歳。防犯カメラに映った大柄な男が基地関係者だと推測して操作を始めていた。ところが署長のあの薄っぺらい笑顔、「基地絡みは政治問題だ。慎重に取り組んでくれ。嘉手刈! 余計なことするんじゃないぞ!」だって? ふざけるなよ。* ユイの拳が、カウンターの木目を叩く。古い木材が、ユイの怒りに小さく応えた。*ワン、ただじゃ終わらせねえ*
カウンターの向こうで、新垣アオイ(21歳、女子大生)がグラスを磨きながら微笑む。白いワンピースの裾が揺れ、優雅な仕草が酒場の泡盛の香りと赤いかりゆしシャツの粗野な空気に詩的な対比を生む。
「ごきげんよう、姐御。そんな顔では、島のハイビスカスも萎れてしまいますわ」
アオイの声は軽やかだが、目はユイの内なる嵐を読み取っていた。
「アオイ、呑気だな」
ユイは泡盛を一気に飲み干し、グラスを置く。湿った夜気にグラデーションボブが揺れ、かりゆしシャツの襟が汗でしっとりとしていた。
「あのカメラの男、ただの基地関係者じゃねえ。歩き方が…まるで波のように無駄がない。ワンのマブイセンサーがビンビンだぜ」
店内の奥では、ユイの空手道場の後輩たちが騒がしく笑い合っていた。大浜ジン(23歳)は三線を手に、リズムを外しながら陽気に歌う。父親ゆずりの褐色の肌と短いアフロヘアが、酒場の灯りに温かく映える。ジンの父親は黒人米兵で母とジンを捨ててアメリカに帰国して行方知れずだった。
「ジン先輩、音痴すぎ!」
宮里リコ(22歳)がタコライスを頬張りながら突っ込む。ショートカットの髪が額に張り付き、動きやすいタンクトップがリコのサバサバした気性を物語る。
山城カイト(21歳)はメガネを直しながら静かに笑い、平良タツヤ(20歳)は純朴な笑顔でジンを応援していた。
ユイは彼らを一瞥し、声を張り上げる。
「おい、かりゆし探偵団! 呑気にしてる場合じゃねえぞ。集まれ!」
ユイは立ち上がり、泡盛の瓶を手にテーブルへ移動した。*署長の命令なんか知ったことか。ワン、この事件の真相を暴くぜ。* ユイの心は、沖縄の海のように揺れ、燃えるような決意が波となって押し寄せていた。
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泡盛の瓶をテーブルに置き、ユイは後輩たちを見回す。
「いいか、姐御の話、よーく聞けよ」
ユイはグラスに泡盛を注ぎ、一気に飲み干す。アルコールの熱が喉を焼き、ピンクとグリーンのボブが揺れる。
「比嘉マリ、25歳。開南のコンビニ駐車場で死体で見つかった。防犯カメラに映った大柄な男が基地関係者って話で、署長は捜査を打ち切らせやがった。けどな、ワンのマブイが言ってる。この事件、絶対おかしい」
ジンが三線を置き、ニヤリと笑う。
「姐御、マブイって何だよ? また変なセンサーか?」
「バカ、沖縄の魂だ!」
ユイはジンの頭を軽く叩き、笑う。だが、すぐに真剣な顔に戻る。
「カメラの映像、被害者のマリがその男と接触してた。けど、その後が消えてる。データが途切れてるんだ。ワンのマブイが言ってる。この男、犯人じゃねえ」
リコがタコライスを飲み込み、眉を上げる。
「姐御、でも、接触してたなら怪しくね? なんで犯人じゃないって?」
ユイは目を細め、泡盛のグラスを握りしめる。*あの男の歩き方、訓練された動き。警備会社のジャケット着てたけど、なんか…偽装っぽい。映像が消えてるってことは、誰かが隠したい何かがあるってことだ。
「ワンの勘だ。マリが何を知ってたか、そいつが何者か、全部暴く。映像が消された理由もな」
カイトがメガネを直し、冷静に言う。
「姐御、映像が消えてるなら、システムの改ざんです。外部のハッキングか…」
アオイもテーブルにやって来て微笑む。
「姐御、もしよろしければ、私の『趣味』でお手伝いできますわ。映像のバックアップ、掘ってみましょうか?」
リコが身を乗り出し、声を弾ませる。
「姐御、ちょっと待って! 国際通りのバー、『ブルー・コーラル』、知ってる? 米兵がよく集まる場所なんだけど、変な噂があるんだよね。帰国する米兵に『餞別』って名目で、かなりの小遣いが渡されるって。裏でなんか怪しい取引があるっぽい。…何か匂いますね」
ユイの目が光る。「リコ、ナイス! そのバー、絶対何かある。ワンのマブイがビンビンとサイレンを鳴らしてる」
ユイは矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「よし、かりゆし探偵団、動くぞ! アオイ、カメラのデータを徹底的に調べろ。消された部分、復元できそうか? カイト、比嘉マリを調べろ。普天間基地の職員だ。どんな仕事、どんな人間関係か、全部洗え。ジン、基地周辺の噂を聞き込め。怪しい外国人の動き、なんか出てねえか? リコ、タツヤ、ブルー・コーラルの聞き込みだ。マリが最後にいた場所、誰か見てねえか、怪しい噂も掘れ。ワン、その男を追う!」
タツヤが目を輝かせ、拳を握る。
「姐御、任せろ! 俺、地元民のツテでガンガン聞き込むぜ!」
リコが笑いながら突っ込む。
「姐御、『ワン』って何? 自分を犬みたいに言うなよ!」
「うるせえ! ワンはワンだ!」
ユイはリコの肩を叩き、笑う。泡盛の熱が、ユイのやる気のなさを溶かし始めていた。
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深夜、国際通りの裏路地は、街灯の光が石畳に淡い影を刻み、潮風に泡盛と汗の香りが混じる。クラブ店内から漏れる重低音が地響きのように響き、若者たちが笑いながら行き交う。ユイは赤いかりゆしシャツにジーンズ、ピンクとグリーンのグラデーションボブをポニーテールにまとめ、夜の街に溶け込む。ユイの目は、夜の海を映すように鋭く光る。
リコとタツヤはバー「ブルー・コーラル」のなかでで聞き込み中だった。
ユイは路地裏のゴミ箱の陰に身を潜め、バーを見張る。*マリの死、ブルー・コーラルにヒントがある。ワンのマブイがそう言ってる。* ユイの心は、刑事としての勘と、やり場のない怒りでざわめいていた。タツヤが小声で言う。
ユイの視線が動く。「ブルーコーラル」から大柄な男が出てくる。「Okinawa Security Solutions」のロゴが刻まれたバッグを持っている。ロゴ入りの黒いジャケットが、街灯の光に鈍く映る。ユイの息が一瞬止まる。*こいつだ。*
リコとタツヤも店から出てきて男を尾行する。
男が路地を歩き出す。ユイは影を縫うように追い、足音は寄せる波のように静かだ。だが、男が振り返り、ユイに気づく。男はバッグを投げ捨て、雑踏へ走り出す。ユイは即座に追う。
「待て、コラ!」
ユイの脚は、空手の鍛錬で鍛えられた筋肉が波のように弾ける。国際通りの人混みを縫い、街灯の光が彼女のグラデーションボブを鮮やかに照らす。男は驚くほど俊敏で、路地を抜け、細い裏道へ。ユイは息を整え、跳び蹴りを放つ。
「逃がすかよ!」
蹴りが男の背中に当たり、男は石畳に倒れる。ユイは素早く男を押さえつけ、膝で腕を固定。ユイの目は夜空の星のように燃える。
「比嘉マリと開南のコンビニで何があった! ワンに吐け!」
男は苦しげに息を吐き、英語で言う。
「お前、誰だ?」
ユイは英語で返す。
「刑事だ! マリと接触してたろ? 何を隠してる!」
そこに、リコとタツヤが追い付いて来る。リコが叫ぶ。
「姐御! この男の服、警備会社の制服だって! ブルー・コーラル、米兵が金もらってるって噂、マジっぽい! 何か匂いますね!」
タツヤが続ける。
「会社、基地と契約してる。そいつの名前、デビッド・クラークってらしい」
ユイはデビッドを睨む。*デビッド・クラーク…お前、ただの警備員じゃねえな。ユイは拳を握るが、突然、デビッドが身を捻り、ユイの手を振りほどく。デビッドは路地の闇へ消える。ユイは追おうとするが、人混みに阻まれる。
「ちっ、逃げ足だけは速えな!」
ユイの心に、かすかな疑念が芽生える。*あの目、犯人の目じゃなかった。ワンのマブイが言ってる。こいつ、別の何かだ。*
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翌日、ティーダかんかんの日差しがかりゆし酒場を照らしていた。窓から差し込む光が、木のテーブルに黄金の筋を引く。寡黙な料理人とママさんがランチの用意をしていた。沖縄そばのスープに使うかつお出汁の香りが店内に流れていた。
ユイは仲間を集め、泡盛を注ぐ。ユイは朝から泡盛を飲む。ユイにとって泡盛は爆発してエンジンを回転させるガソリンのようなものだ。
*映像が消えてる。デビッドの動き、犯人じゃねえ。ワンのマブイがそう言ってる*
「姐御、デビッド逃がしちゃったの?」
ジンが三線を弾きながら聞く。
ユイはグラスを握り、目を細める。
「ワンのマブイが言ってる。デビッド・クラーク、犯人じゃねえ。映像にマリと接触してたけど、その後が消えてる。誰かがデータをいじった。アオイ、データ復元、どこまで進んだ?」
アオイはノートパソコンを開き、微笑む。
「姐御、映像のバックアップ、クラウドに残ってましたわ。マリとデビッドが話した後、別の二人が現れた。女と男、めっちゃ怪しいですわ。調べてみたらコードネーム、鶴と亀、とある国のスパイ、そしてアサシン」
「とある国って?」
とユイが尋ねる。
「チャイナよ」
「え?」
ユイの目が光る。
「アオイ、そいつらの動き追え。カイト、マリの周辺を早く調べろ。基地の職員だろ? どんな生活、どんな繋がりか、全部洗え。ジン、リコ、タツヤ、ブルー・コーラルの聞き込み続けてくれ。鶴と亀、怪しい二人組の噂、なんか出てねえか? ワンは、デビッドをもう一度追う!」
タツヤが拳を握り、叫ぶ。
「姐御、任せろ! 地元民のツテでガンガン探るぜ!」
リコが笑う。
「姐御、『ワン』ってマジでカッコいいよ!」
ユイは泡盛を飲み干し、ニヤリと笑う。
「ワンはワンだ! かりゆし探偵団、この事件、ぶっ潰すぞ!」
そのとき、ユイのケータイがブルブル震える。比嘉主任からのようだが、ユイは無視した。だが、また何度もかかってくるので、しかたなく電話に出た。
「電話にはすぐに出ろ! ばか野郎! いま、何時だと思ってるんだ! 朝のミーティング、すっぽかして、いま、どこで何をしてるんだ?」
比嘉主任の怒鳴り声はいつ聞いてもうっとうしいなぁとユイは思った。
「どうせ、やることないんでしょ? ミーティングなんて無意味っすよ」
「なんだと? お前、警察組織をなめてんのか?」
「なめてません。ちょっと遊んでるだけです」
ユイはそう言って電話を一方的に切り、また泡盛をあおった。道場の後輩たちは、何喰わぬ感じで泡盛を飲むユイの横顔を見つめていた。
そのとき、店の入り口ドアが開き、一人の大柄な男が立っていた。デビッドだった。
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