マブイデカ
レジェンド井伏
第1話 夜に咲く血の花
那覇市、国際通りの裏路地。真夏の夜の熱気がアスファルトをむせ返らせ、満月の光がひび割れた地面に銀の糸のように溶ける。深夜2時、観光客の酔った笑い声や三線の哀愁漂う音が遠くで響き、路地の奥ではゴミ袋が湿った風にカサカサ揺れる。雑居ビルの看板や屋台の提灯が、じっとりした空気に揺らめく影を落とし、泡盛の甘い香りとタコライスやサーターアンダギーの油っぽい匂いが絡み合う。
軒先のシーサーが満月を睨み、古びた自動販売機がカタカタ唸る。沖縄の夏の夜の脈動が、汗と魂の熱で息づいている。 桜坂近くの居酒屋『かりゆし酒場』では、三線の生演奏に客たちがカチャーシーを踊って大騒ぎ。若者たちが「姐御(アネゴ)」と呼んでいる女性のスマホがブルブル震える。姐御は無視するが、何度もかかってくるので、しかたなく電話にでる。深夜にも関わらず呼び出しの電話だった。
「早く、電話に出ろ! 何考えてるんだ! お前は!」
電話の相手は怒鳴りまくりながら、すぐ現場に来るように命令する。
「クソっ、まだ飲み足りないっつうの!」アネゴはそう毒づき、後輩たちに向かって
「悪ぃ、行きたくないんだけど、ワンは行かなきゃいけない。ごめんな」 と言って店をあとにする。
姐御の名前は嘉手苅結(ユイ)、26歳。沖縄県警刑事課強行犯係の最年少刑事で、検挙率は謎にトップ。
『やる気なし、出世欲なし、常識なし、だが魂(マブイ)はある』
腰には、シーサーとハイビスカスがド派手に描かれたヤチムン製のポケットボトルをいつも携帯している。もちろん中には泡盛がチャプチャプ。ハイビスカス柄のアロハシャツをだらしなく着崩し、ピンクとグリーンのグラデーションボブの髪をかき上げる姿をみて沖縄の人たちは、ユイのことをこう呼ぶ。
「マブイデカ!」
現場は『かりゆし酒場』からほど近いコンビニの駐車場だった。ゴミ倉庫の影に若い女性の遺体が横たわっていた。20代前半、首に残る絞め痕、乱れた服――強姦殺人事件の生々しい爪痕が、那覇の夜を切り裂く。
「はー、マジだるい…こんな時間に呼び出しといって、現場とか、刑事課、頭おかしいんじゃないの?」
ユイはポケットボトルを口につけてグビっと泡盛をあおる。
「バカ野郎! 1番下っ端が1番遅くやってきて、どうすんだ!」
刑事課主任の比嘉栄作(40歳)はいつも苛立っている。比嘉は、ユイを見るなり血管が切れそうに怒鳴る。 ユイは比嘉の叱責を無視してスマホを取り出し撮影をはじめる。
「うーん、この満月の光、映えねーな。…健太、死体って撮っちゃダメなんだっけ? 知らんけど」
「ゆ、ユイさん! 現場でそんな態度、ありえないですよ! 遺体をバックに自撮りなんて辞めてください 」
バディの大城健太(32歳)が、顔を真っ赤にして声をあげる。イケメンだが不器用で真面目な健太は、ネクタイをピシッと締め、汗だくで立ち尽くす。ポケットの中でスマホを握りしめ、ソワソワと足を小刻みに動かすが、勤務中の規律を守るため絶対に開かない。何か急ぎの連絡を待っているのか、その理由は誰も知らない。ユイは健太の落ち着かない様子をチラ見し、ニヤリ。
「健太、めっちゃ怪しいよ。犯人よりソワソワしてんじゃん。何? 闇の取引でも待ってんの?」
「違います! ユイさんこそ、その…そのヤチムンで酒飲むのやめてください! 現場が泡盛臭くなりますよ!」
健太の抗議を、ユイはデカい欠伸でスルー。ユイはヤチムンのポケットボトルを傾け、泡盛をクイッともう一口、そしてゲップ。現場の血痕を避けるどころか、キラキラ光るLEDビーサンでズカズカ踏みつけ、鑑識から「嘉手苅! 証拠荒らすな!」と怒鳴られる。ゆいは「うっせ、マブイさえあれば証拠なんかいらんさ」と一蹴し、ボトルのシーサー柄を指でなぞる。
「嘉手苅! テメエ、ふざけんな! 現場で酒飲んでんじゃねえぞ!? 刑事の面汚しだ!」
比嘉の怒りが沸騰する。比嘉は立ち上がり、ユイの前へ詰め寄り、鼻と鼻がこすりつけそうになるほど接近する。
「主任、顔赤すぎ。なんかムカつくことでもあった? ま、知らんけど」
ユイは顔をそらし、ハート型サングラスを取ってニヤニヤする。ヤチムンのボトルを振って泡盛をチャプチャプさせ、比嘉を挑発する。
「ほら、健太、コンビニの防犯カメラの映像、さっさと確認しにいくよ」
とユイは先輩である健太に命じる。
健太は「はい!」と慌てて頷くが、「ボクのほうが年上なんだけどなぁ」とボヤく。
コンビニの事務室に防犯カメラの映像が保管されてあり、鑑識がそれをチェックしていた。比嘉と健太、ユイらが狭い事務室に入ると空気の濃度が濃くなり息苦しいうえに泡盛の匂いが充満した。
健太は相変わらずポケットのなかのスマホを握る手が震えている。ソワソワが止まらない健太を、ユイは「マジで何? 借金の催促でも来た?」とからかうが、健太は「違いますって!」と叫んで目を逸らす。
防犯カメラには、屈強なアメリカ人男性が映っていた。190センチ近い巨体、筋肉質な腕にタトゥー。犯行時刻の深夜1時頃、被害者がコンビニへ入るのを尾行するように入っていき、店内でも被害者をジッと監視する姿が映っていた。ユイは映像を一瞥し、ヤチムンのボトルをくるくる回しながら呟く。
「ふーん、こいつのマブイ、ちょっと変だね。ま、知らんけど」
--- 翌朝、県警刑事課の会議室。空気が張り詰めている。係長の金城悟(55歳)は、波風立てないのがモットーの穏やかな口調で切り出す。
「この事件はな、とにかく慎重にいこう。米軍絡みだと面倒だからな。嘉手苅、変なことするなよ?」
だが、話はすぐに暗転する。ユイが昨夜、現場で血痕を踏み荒らし、鑑識の証拠写真にヤチムンのボトルが映り込んでいたことが問題に。金城の穏やかな顔が曇り、比嘉が机を叩いて立ち上がる。
「嘉手苅! お前のせいで証拠が台無しだ! 毎回毎回、こんなふざけた態度で捜査をメチャクチャにしやがって!」
健太も、珍しく声を震わせて加わる。
「ユイさん! ボクもう、あなたとバディを組むのが耐えられません。なんでいつもこんな無責任なんですか! 被害者のために真剣にやってくださいよ!」
金城が追い打ちをかける。
「嘉手苅、証拠写真に写り込むなんて前代未聞だぞ。こんなのは常識だろ! いい加減にしろ!」
会議室の全員の視線がユイに突き刺さる。空気が凍りつき張り詰める。心臓がドキドキと高鳴る瞬間――ユイは、ゆっくりとハート型サングラスを外し、ヤチムンのボトルを机に置く。そして、ニヤリと笑う。
「常識って何ですか? わたし、コミ障なんで、かわりませ〜ん」
ユイはとぼけて言い放つのだった。
ユイはLEDの光るビーサンを机に投げ出し、椅子の背もたれにふんぞり返る。
「てかさ、証拠がどうとかめんどくさ。どうせ、この事件、上から捜査中止って圧力がかかるよ。見てみな」
ユイはそんな予言めいたことを言う。
比嘉が「ふざけるな!」と吠えるが、ユイの言葉に金城が一瞬目を細める。
「…嘉手苅、その直感、根拠は?」と問うと、ユイはボトルをくるくる回しながら、「マブイがそう言ってるだけ。常識とか根拠とか、あんたらも、ウスウス氣づいてるでしょ?」 と返す。
会議室に呆れた笑いが漏れるが、ユイの無敵のダルさでピンチを切り抜けた瞬間だった。
だが、数日後、上層部から衝撃の通達。「捜査打ち切り」ユイの予言通りの展開となった。米軍との外交問題を避ける圧力だ。比嘉は何か個人的な悩みを抱えているのか、苛立ちを隠して「仕方ねえ」と頷く。健太はソワソワしながら「でも、被害者が…」と呟く。
一方、ユイは会議室の椅子に寝そべり、スマホでゲームをしながら一言。
「打ち切り? ふぁ、別にいいけどさ。…でも、被害者のマブイ、なんか騒いでる気がするね」
ユイの目が、一瞬だけ鋭く光る。やる気ゼロ、常識ゼロだが、魂の声だけは聞き逃さない。国際通りの裏路地から米軍基地の影へ、ユイのダルい捜査が、泡盛の香りとともに始まろうとしていた。
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