第11話『通話越しの指先』

「……ねぇ、今、どこ触ってるの?」


彼女の声は、くすぐるように甘かった。

夜中の1時過ぎ。イヤホン越しに囁かれるその響きが、耳の奥を撫でる。


──オナ電なんて、初めてだった。


出会いは、匿名の音声チャットアプリ。

ふざけ半分、興味本位。

「音声だけなら安心かな」なんて思って、始めたやりとりだった。


名前も知らない、顔も知らない。

でも、声はやけにリアルだった。


色っぽくて、どこか淡々としていて、

まるでプロの声優のように、こちらの反応に合わせてトーンを変えてくる。


「そう、そこ。優しくね。……ん、いい子」


たったそれだけで、鼓動が速まる。

何度か言葉を交わすうちに、完全に“その気”になっていた。


部屋は暗く、ベッドの上。

スマホだけが発光し、イヤホンの奥で彼女の息づかいが、熱を持って絡みつく。


「……あ、でも……」


彼女の声が、少しだけ変わった。


「そこ、もう少し強く。……あなたって、右手派でしょ?」


一瞬、息が止まった。


(……言ったっけ?)


いや、言ってない。

話題にすらなってない。


「あと……親指、いつも中にしまって握るタイプ……でしょ?」


ゾクリと、首筋を冷たい風が撫でたような感覚。

画面を見ていないのに、彼女がこちらの動きを見ているような錯覚。


「え……なんでわかるの?」


聞くと、彼女は笑った。


「わかるよ。だって……ずっと、見てたから。」


その瞬間、イヤホンの奥から、耳の内側に“指”を差し込まれるような感覚があった。


(やばい……これは、普通じゃない)


そう思ったときには、遅かった。


通話を切ろうとスマホに手を伸ばしたが、

画面が勝手にロック解除され、

“カメラ”アプリが自動で起動した。


前面カメラに映ったのは──俺の顔だった。


だが、その表情は──笑っていた。


(……笑ってない……)


自分の顔が、勝手に笑っている。

口角が上がり、目が細められ、舌が唇を濡らしている。


「……こっちのほうが、見やすいでしょ?」


スマホから、さっきの女の声が再び聞こえた。


「今度は、カメラ越しに、つながろうね?」


スマホを投げ捨てようとしたが、腕が動かなかった。


反対の手が、自分の手首を掴んでいる。


(……もう一人分の手……)


誰のものかわからない、白くて細い指。

俺の“自撮り映像”に映っているのは、俺と、背後から覆いかぶさる“女の手”だった。


画面の奥で、笑っている“自分”が言った。


「大丈夫。君のこと、もっと知ってるよ。

体のことも、指のことも、好きな体位も、嫌いな声も……」


「……もっと教えてあげる。だって……」


「……これからは、わたしが動かすから。」



翌朝。


目が覚めると、スマホはベッドの横で画面が割れていた。

通話履歴は、どこにも残っていない。


でも、カメラロールには──

“自分が女の手で身体をまさぐられている動画”が10本残っていた。


すべての動画に、俺は目を見開いたまま、

鏡のように“にやけた顔”を浮かべていた。



それ以来、スマホのカメラを起動するたび、

自分の映像が“タイムラグなし”で勝手に動くようになった。


指を上げると、ほんのコンマ数秒、映像の自分が“迷ってから”同じ動きをする。


そして、寝る前に動画を見ていると、

音声の中に、必ず彼女の声が混じるようになった。


「ねぇ、こっち見て」

「ほら、また動かなくなってる」

「気持ちいいこと……してあげるね……?」


今では、俺の“指”は、俺の指じゃない。


彼女が、「そこを触って」と命じる場所へ、勝手に導かれていく。


彼女の指が、俺の手を使って、俺の体を愛撫している。


そして今夜も、カメラを起動すると──


笑っている“俺”が、画面の奥からこう言う。


「君のなかに入ってよかったよ。

もう、ひとりでしなくていいからね」


【完】

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