0‐7 座右の銘は〝地獄の沙汰も金次第〟


 よくある話だと言われても、ウリスにはよくわからなかった。

 ある日、魔法使いが道を踏み外して下法に手を染めるのも。

 そんな魔法使いを冒険者が討伐に向かって、負けるのも。

 生き残るために悪い魔法使いにへりくだって、その手下にされるのも――それがよくある話だと言われても、ウリスはそれを飲み込めなかった。


「あの村はせいぜい、キャスバドの根城ってところかな。ソウルスティールとライフスティールの下法。心を砕いた手下や虜囚から命を吸って、自分の力に変えていた。これもよくある話かな……弱肉強食は世の習い、なんて言う不届き者もいるくらいだしね」


 開拓村からの帰り道。彼らが乗ってきたのだろう馬車の御者台から、ラスティはそう説明してきた。

 馬車は早朝、街へと戻る道を行く。朝日がまぶしくてウリスは荷馬車の奥にいたが。一睡もしてないのに眠気がなくて、憔悴したままラスティの話を聞いていた。


「……あの村、どうなるの?」


 御者台の背中に尋ねると、ラスティは暗い声音で答えてくれた。


「たぶん、潰れちゃうだろうね。村の開拓申請自体は、正式なものだったらしいけど……住んでた人たちは、もうみんないないから」


 あそこにいたはずの人たちは、皆灰になって消えてしまった。

 ラスティが言うには皆既に死んでいて、あの老人の命令を聞くだけの人形になっていたらしい。

 既に心を殺された抜け殻。それが彼らだったのだと。


「――そこにお前も加わる予定だったわけだ。運がよかったね、クソガキ」

「ヨランダ、言い方」


 老婆――同じく荷馬車で寝ていたヨランダの茶々入れに、ラスティが非難の声を上げる。だがヨランダは肩をすくめてみせるだけだ。

 口が悪いし、それを直せと言われても気にもしない。こういう老人なのだろうと、ようやくウリスも彼女のことがわかってきた。

 と、大して興味のなさそうな瞳で、ヨランダが聞いてくる。


「それで。結局お前はなんなんだい」

「あたしは……」


 ぽつりぽつりと、ウリスは語り始めた。

 といって、語れることは多くなかった。村が不作で食べるものがなくなりそうで、だから口減らしのため親に捨てられたこと。一人で生きていくために、冒険者になろうとしたこと。〝体験学習〟ということで、ガラルドについていったこと。そして、今――それだけだ。

 茶々を入れてくるかとも思ったが、ヨランダは予想に反して静かにウリスの話を聞いていた。

 そして最後まで聞き終えると、深々と長い溜息をついた。


「呆れたよ。なにからなにまでよくある話だ。ギルドのアホどものクソマヌケと、ガキのワガママで余計な仕事増やされただけじゃないか」

「…………」


 それほど非難めいた声音ではなかった。だが言っていることは事実ではあったので、ウリスは何も言わなかった。

 だがヨランダはそこで止まらず、もう一歩踏み込んでくる。


「お前が捨てられた理由、ホントに口減らしだけかね?」

「…………」


 答えられない。だが、ウリスも本当は知っていた。

 痛みをこらえるように。あるいはヨランダの視線から隠すように、頭にそっと手を添える。

 そこにあるのは角だ。牛に似た、だが黒い光沢の巻き角。

 それだけならまだ獣人の特徴ともいえる。だがウリスの腰から生えた尾は、決して獣人の特徴とは重ならなかった。

 何故なら、そこにあるのは爬虫類の尾によく似ていたからだ。


 頭角に、爬虫類の尾。ウリスはその程度だが、人によっては羽があったり、肌の色が浅黒かったり、青白かったり。人間でも、獣でもない〝何か〟が混じった〝人もどき〟――

 それがウリスの〝種族〟だった。

 そして〝種族〟を隠すための帽子も、肩下げも、あの森の中で失った。身を小さくして縮こまるウリスを隠すものは、もう何もない。

 観念するように、またぽつりぽつりとつぶやいた。


「あたし、捨て子で……最初は、普通だったのに。最近になって〝こう〟なって……お前のせいで、村が不作になったんだって……」

「……呆れたね」


 先ほどと、同じ呟き。

 だがそれはウリスではなく別の何かに向けられたもので。

 うんざりと後頭部をがりがりかいた後、御者台のほうに怒鳴り声をあげた。


「おいラスティ!! 後で〝揺り籠〟のババアんとこに話つけときな!! ガキ一匹押し込むくらいの貸しはあったはずだろ!」

「……揺り籠のところ?」


 訊くと。

 ヨランダは今度はため息をつかなかったが、似たような調子で答えてくれた。


「孤児院だよ。揺り籠ってのは、〝教会〟の中でもまだマシな連中の集まりさ。後ろから頭ぶっ叩きたくなるくらい、なまっチョロいことしか言いやしない。そいつらにお前を引き取ってもらう」

「――っ! イヤだ!!」


 それは――それだけは、嫌だ。

 誰かに頼って生きるのは、もう嫌だ。

 捨てられたあの日のことを、ウリスは忘れない。あの悲しみと惨めさを、ウリスは絶対に忘れられない。

 これしか方法がないと言って、街に置き去りにした元両親たちの表情も。

 捨て子だと知ったのも、その時だ。世界の何もかもから裏切られて――だからウリスは、決めたのだ。


「あたしは一人で生きるんだ! 孤児院になんて――」

「――ワガママ言うんじゃないよ!!」


 だがそれも、ヨランダの一喝の前に叩き伏せられた。

 言葉だけで、ウリスを叩き伏せて――なお、口撃は止まない。


「自分のケツも拭けないようなガキが、いっちょ前にでかいこと吹いてんじゃないよ!! そういうのはテメエの面倒テメエで見れるやつが言うもんだ! あたしが来なけりゃ、お前は死んでたんだ。死人にワガママ言う権利なんてないんだよ!!」

「そんな……! でも、だって……!!」


 なにか。なにか、言わなければ。

 そう思っても想いは形にならず、ただ価値のない言葉だけが漏れる。

 泣き出しそうな自分に気づいて、だから必死に涙をこらえた。違う。そんなものはいらない。ほしいのは涙じゃなくて、生きていくのに必要な力で――


「――ヨランダ」


 ハッと。

 これまで蚊帳の外だった声に、ハッと顔を上げた。

 御者台の青年――ラスティが、困ったような顔でこちらを見ている。

 気色ばんだのはヨランダのほうだ。噛みつくようにラスティに言う。


「なんだい。弱い者いじめはやめろってか? だがあたしから言わせりゃ、これほどバカげた話はないよ。バカガキ一匹野良犬に食わせて、アタシが『あーよかった』なんて思うとでも? ふざけんじゃないよ、ガキにはガキなりの生き方ってもんが――」

「違うよ、ヨランダ」


 今度はラスティが、ヨランダの言葉を遮って。

 だがさほど気分がよさそうでもなく、それでも呟いた。


「天秤が揺れた」

「は……?」


 言葉としてはそれだけだった。言われたヨランダも、意味がわからなかったのかぽかんとする……が。

 何かを悟ったように目を見開くと、彼女はばっとこちらを振り向いた。

 その意味がウリスにはわからない。わからないが――

 ラスティがこちらを見て、苦笑した。


「地獄の沙汰も、金次第らしいよ」


 そしてその言葉に。


「――金を払う!!」


 突き動かされるように、ウリスは叫んだ。


「あたしが冒険者になったら――あんたが、望むだけ!! だから……だから――」


 見つけた、と思った。これが糸口だと。これが正解だと、確信を持って告げる。

 下手には出ない。懇願もしない。何故なら、これは〝契約〟になるからだ。対等に結ばれる約定となる――

 であれば、無視はできないと。知るはずもないそれを、だがウリスは何故か知っていた。知るはずのないそれを、だがウリスは確信と共に突き付けた。


「だから! あたしを、あんたの弟子にしろ!!」

「お前……」


 予想していなかったに違いない。驚愕に目を見開いていたヨランダは、しかし、すっと目を細めると……

 子供を相手にするのとは違う。挑む目で言ってきた。


「……いいかい。お前が口にしたのは契約だ。天秤の女神の信徒に、契約を突きつけたんだ。戯言とはわけが違う。釣り合ったなら、果たさなきゃならない。それが天秤の契約だ。お前……自分が誰に、何言ってるのかわかってんのかい?」

「…………」

「はっ。覚悟はできてるってかい」


 だから嫌いなんだ、あのアバズレめ――そう呟かれた言葉の意味は、ウリスには分からなかったが。

 うんざりと、そして深々とため息をつくと、ヨランダはまた御者台のほうをにらみつけた。


「おいラスティ! お前がアバズレの託宣なんか聞くからだぞ! 罰としてお前が面倒見な!!」

「契約するのはヨランダなんだから、ヨランダが面倒見なよ。というか、そもそも最初の託宣を受けたのはヨランダなんだから、根本的にはヨランダのせいでしょ」

「うるさいね! 誰が受けたくてあんなアバズレの託宣なんか受けるもんか!  まったく、ろくなもんじゃない――一通り終わって楽な仕事だったかと思えば、お前のせいで台無しだ、師匠を裏切りやがって! どうしてくれる!?」

「どうもしないよ、やりたくてやってるわけじゃないんだし。たまには自分の女神を敬いなよ。ただでさえ信者少なくて、ご利益ないんだから」

「ご利益ないのにへりくだれって? だから嫌いなんだよあのアバズレは!!」


 ああ言えばこう言う。慣れ切ってはいるが疲れるのだろう、そんな感じでラスティはため息をつく。

 だが一通り怒鳴れて満足したのか。ケッと苛立ちを吐き捨てると、その勢いでウリスに向き直ってくる。


「いいかいクソガキ。お前は今、天秤の上に自分の人生を乗せた。アタシはお前の人生と引き換えに、お前に冒険者としての生き方を教える。お前は将来稼いだ金で、アタシから人生を買い戻す。これが契約だ。アタシはこの件では妥協しない。徹底的に、お前に地獄を見せてやる――それでもお前は望むんだな?」


 その問いかけと共に、音が消えた。

 景色も。五感で感じる何もかもが消え失せて、ウリスは今、真っ黒な世界に立っていた。

 そこにはウリスの他に、ヨランダと――天秤が見える。自分たちを見下ろすようにしてある、遥かに大きな天秤だ。真下からでは、その天秤に何が乗せられているのかわからない。

 だがきっと、そこには自分の人生が乗せられているのだろう。

 だから、ウリスは真正面から受けて立った。


「ああ。頼む」


 その瞬間に、天秤は大きく傾いて――そして。

 消えた。景色が一瞬で元に戻る。真っ暗な天秤だけの世界から、再び元の世界に戻った。

 辺りを見回しても、もう天秤はどこにも見えない。夢を見たのかと思うほどに、脈絡もなく現れて、消えたが。


「ふん。見えてたか……アバズレに気に入られたな。見込みがないわけじゃなさそうだが……運のない奴」

「……?」

「お前、名前は?」


 問われて、そういえばと思い出す。今まで、名を聞かれなかった。

 だから慌てて、ウリスは声を上げた。


「う、ウリス。ウリス……だ」

「そうかい。ならウリス。よくお聞き」


 そうして改めるように一度、咳ばらいを置くと。

 歌うように朗々と、だが力強く滔々と、ヨランダはそれを口にした。


「私たちは七派にわかれる〝教会〟の一派、〝天秤〟の信徒だ。司る権能は裁きと憤怒。放蕩が過ぎて主神に怒られ、〝咎測りの天秤〟を押し付けられた、馬鹿な女神に仕えてる。お前がどこの、どんな誰であろうと関係ない。アタシがお前を一から育てる。アタシがお前を弟子にする」

「…………」

「アタシはヨランダ。人呼んで〝強欲〟のヨランダさ。座右の銘は〝地獄の沙汰も金次第〟。お前は金がないんだから、その分地獄を見てもらう――いいね」

「あ――ああ!!」


 そしてその日から、冒険者としてのウリスの日々が始まった。


 ――端的に言えば、地獄の日々の始まりだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2025/07/26

新作書き溜め分ここまでになります。

本作は私のネタ庫に残ってたものを死蔵するのもなんだかなあと思ったために投稿しただけで、ここから先の続きはありません。

どこかで時間ができてもしかしたら続き書くかもしれませんが、一旦はここでストップとなります。


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