第18話:本物の血
凛火の、本物の絶叫。
それは、これまでどんな演出をもってしても作り出せなかった、究極の音だった。
私の脳髄は、その悲鳴によって焼き尽くされたかのように、真っ白な快感に満たされる。思考が溶ける。言葉が、意味を失う。
コメント欄は、サーバーが焼き切れるのではないかと思うほどの速度で流れていく。
『うわあああああああああ』
『これヤバい!ヤバいって!』
『血!マジで血が出てる!』
『救急車呼べよ!いや、呼ぶな!最後まで見せろ!』
善意と悪意がぐちゃぐちゃに混ざり合った、純粋な狂気がそこにあった。
そして、画面の端で、投げ銭のカウンターが意味の分からない数字を叩き出している。
凛火のひとつの悲鳴が、この国の平均年-収に匹敵するほどの金に変わる。その事実が、私の倫理観を完全に破壊した。
「……っ、は…」
リングの上で、凛火が浅い呼吸を繰り返している。脇腹を押さえる指の隙間から、どくどくと鮮血が溢れ出し、リングの床に黒い染みを作っていく。
対戦相手の男は、自分がしでかしたことの重大さに気づき、顔面蒼白になっていた。「や、ヤラセじゃなかったのかよ…!?」と叫び、金網によじ登って逃げ出そうとしている。インカムの向こう側で、梶原が「そいつを止めろ!」「カメラを回し続けろ!」と怒鳴り散らす声が聞こえた。現場は、完全なパニックに陥っていた。
「……詩凪」
インカムから、凛火のか細い声が聞こえた。
「……いたい…」
その声に、私の思考回路はショートした。
ああ、痛い。痛いよね。そっか。痛いんだ。
じゃあ、歌わなきゃ。
「うん、知ってるよ、凛火」
「痛いよね。苦しいよね。わかるよ、わかる」
「でもね、見て。みんな、あなたのその痛みを、祝福してくれてる」
私は、熱狂するコメントの一部を、まるで聖書でも読み上げるかのように、優しく、しかし支離滅裂に紡ぎ始める。
「『凛火様、美しすぎる』だって…すごいね…『この血こそ本物の芸術だ』…芸術だって、凛火…『俺たちの女神だ』…そうだよ、あなたは、女神なんだよ…」
「……あ…う…」
凛火が、何かを言おうとしている。しかし、それは言葉にならず、ただの喘ぎ声となって漏れるだけだった。
「大丈夫だよ、凛火」
私の唇から、勝手に言葉がこぼれ落ちていく。
「あなたの痛みは、ぜんぶ、ぜんぶ私が受け止めてあげるから」
「あなたの血は、私の歌になるの。わかる? あなたと私は、一緒なの。だから、もっと見せて。あなたの、ぜんぶ。あなたの、本当の姿を」
そうだ。
これだ。私が求めていた音は、これだ。
朱里の言う「作り物の芸術」なんかじゃない。誰にも真似できない、私の凛火だけが奏でられる、ただ一つの真実の音。
脇腹から血を流し、倒れ込む凛火。
そのグロテスクで、官能的な光景が、私の網膜に焼き付いて離れない。
私は、ただ恍惚と、その美しい芸術品を見つめ続けていた。
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