第17話:筋書きのない悲鳴

廃工場の空気が、異様な熱気で震えていた。

「オーディエンス参加型デスマッチ」の配信が始まり、カメラのレンズの向こう側では、顔のない神々が、今か今かと生贄の登場を待ちわびている。


『最初のクエストが承認されました!』


無機質な合成音声が、配信開始を告げる。

『クエスト内容:騎士の利き腕を封じよ。報酬:¥500,000』


梶原の手下の男たちが、無遠慮にリングに上がり、凛火の右腕を拘束バンドで胴体にきつく縛り付けた。抵抗しようとする凛火の肉体に、バンドが食い込む。その光景に、コメント欄は最初の絶頂を迎えていた。


『最高!』

『縛られてる凛火様、エロすぎ』

『これで勝ったらマジ神』


「大丈夫、凛火。台本通り、いなすだけでいいから」


私はインカム越しに、平静を装って声をかける。しかし、自分の指先が興奮で冷たくなっているのを感じていた。


ゴングが鳴る。

片腕を封じられた凛火は、巧みに相手の攻撃を避ける。だが、その動きは明らかに精彩を欠いていた。対戦相手の男の瞳に、下卑た光が宿るのがモニター越しに見えた。こいつ、楽しんでいる。


『次のクエスト、承認!』


間髪入れずに、合成音声が響く。

『クエスト内容:騎士の視界を奪え。報酬:¥1,000,000』


百万円。その数字が、私の倫理観を麻痺させる。

男たちが、黒い布で凛火の目を覆った。視界と利き腕、その両方を奪われた凛火は、まるで祭壇に捧げられた生贄のようだった。


「詩凪…!」


インカムから、凛火の悲痛な声が聞こえる。

「大丈夫。私の声を、信じて」

私は、震える声で答えることしかできなかった。


その瞬間から、ショーはコントロールを失った。

相手の男は、もはやヤラセの役者ではなかった。無抵抗のサンドバッグをいたぶる、ただの садист に成り下がっていた。


ガッ!と鈍い音が響く。

男の膝が、凛火の腹部にめり込んだ。凛火の体は「く」の字に折れ曲がり、床にうずくまる。


「あ……」


コメント欄の熱狂を、私はもはや目で追うことができなかった。

モニターに映る、凛火の苦悶。その一挙手一投足が、私の網膜に焼き付いて離れない。


男は、うずくまる凛火の髪を掴み、無理やり引き起こした。そして、隠し持っていたのだろう、拳に巻かれたバンテージの隙間から、金属の鋲がキラリと光った。

まずい、と梶原が叫ぶ声が聞こえた。


だが、遅かった。

男の拳が、凛火の脇腹を抉るように打ち込まれる。


ブツリ、と肉が裂ける、濡れた音。


「――――ッアアアアアアアアアア!!!!」


凛火の口からほとばしったのは、演技ではない、本物の絶叫だった。

それは、これまで私が聴いてきたどの歌よりも、どの音楽よりも、私の魂を直接揺さぶる、官能的な響きを持っていた。


私の全身に、雷が落ちたような衝撃が走る。

ぞくぞくと、背筋から脳天にかけて、快感が駆け上がっていく。


これだ。

私が求めていた音は、これだ。

朱里の言う「作り物の芸術」なんかじゃない。誰にも真似できない、私の凛火だけが奏でられる、ただ一つの真実の音。


筋書きのない悲鳴。

血飛沫という名の喝采。


モニターの中で、凛火が脇腹を押さえて倒れ込み、赤い液体がじわりと衣装を濡らしていく。そのグロテスクな光景が、私の目には、この世の何よりも美しく映っていた。


私は、マイクを握りしめた。

震える唇を開き、インカムに向かって、恍惚と囁く。


「……凛火」

「今のが、最高だよ」

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